10.令嬢は精霊を魅了しない
“それ”が人間ではないことは、実のところ最初に見た時から気が付いていた。
人間離れした美貌、と大いにして表現するが、そうした並外れた容姿を持つ人は、真実人間ではないことがたまにある。
精霊は気まぐれで、人間嫌いの精霊も多くいるが、世界の大部分で暮らしているのは人間である。
人間が嫌いゆえに、人間に“精霊”と知られたくなくて故意に人間のふりをする者や、逆にそれほど数の多い人間に興味を持ち、人間に交じって生活する者がいるらしい。
つまるところ、意外と身近なところに“人間のふりをした精霊”というのは存在していた。
もっとも、普通の人ならわからない。
わたくしも、この“瞳”を持っていなければ、違和感は覚えても気づくことはなかっただろう。
わたくしのような、宝石に例えられる瞳は“精霊眼”と呼ばれ、精霊眼を持つ者は魔力の有無にかかわらず、精霊の“真実”を視認することが出来るのだ。
「その目は精霊眼だね。私が精霊なのを理解していてなお、変わらず接してくる人間は珍しいよ」
目の前の美人はにこにことそう言うと、幼いわたくしの頭をゆっくり撫でた。
わたくし自身に“魅了”があるからか、精霊が持つ特殊なフェロモンというか、強烈に惹き寄せられる力、に影響を受けない。
先ほどこの美人に言い寄っていた男も、あまりの美貌に惑わされて引っかかった、ある意味で被害者なのだろう。性質の悪い精霊には、そうして人間を惹き寄せて、悪戯をするものもいると聞いた。あまりに頻発すると、都市伝説のように噂になることもある。
わたくしは問いかけには答えず、「誘拐だと思われたら厄介だ」と忠告をした。
美人は笑みを深めると、「何が?」と首を傾げてみせる。
「精霊の常識と人間の常識は別だから、あなたにとっては誘拐でもなんでもないのは理解するけど。わたくしは一応伯爵家の娘だから、誘拐だと思われたら町中に捜索が入るし、あなたなら逃げおおせると思うけど、見つかったら暫くその姿は使えない」
厄介でしょう。
続けると、美人はぱちりと瞬きをした。
「……――ルナムペルシャ」
「は?」
「私はルナムペルシャ。ますます気に入った」
「はぁ?」
ルナムペルシャは何度か頷くと、まじまじとわたくしの事を見つめなおした。
見つめる、というよりも観察である。その銀色の瞳が妖しく輝いたので、実際わたくしの“中”を覗いているのだろう。中、と言っても持っている性質や能力、魔力なんかのことで、思考や人格までは探れない。わかるとすれば、わたくしに“魅了”がある事くらいである。
ルナムペルシャは少し驚いた顔をした。“魅了”に気づいたのだろうと思って、わたくしは口を閉ざす。
その頃すでに、魅了を制御する方法を思い出し自制できるようになっていたわたくしは、無暗にそこらの精霊を魅了しないよう、細心の注意を払って生活していた。
魅了の力は魔力に宿る。だから魔力を最小限に体内に留め、外部に漏れないように制御するのだ。
「……君の力を使えば、私を意のままにすることくらい、簡単に思うのだけれど」
ルナムペルシャは驚きをそのまま首を傾げる。
わたくしの何をそんなに気に入ったのか知らないが、制御が外れてうっかり魅了してしまったわけではなさそうだった。わたくしは顔を顰める。
「そんなことをしても意味はない。わたくし、制御できた以上、この力は使わないって決めてるから」
きっぱりと告げれば、ルナムペルシャはぎゅっと唇を噛みしめて、爆笑したいのを堪えるような表情をした。
人間のふりをしている“精霊”だが、ルナムペルシャは人間嫌いなわけではないらしい。
男に言い寄られていた時も男を害そうとはしなかったし、わたくしを突然見知らぬレストランに連れ込んだのも、落ち着いて話がしたかったからだろう。果たしてこのレストランの店員が、わたくしとルナムペルシャの来店に気づいているかどうかは定かではないが。
明らかに貴族用の個室など、来客や予約がなければ頻繁に使用することもない。
にやぁ、と意地の悪い雰囲気で口角を押し上げたルナムペルシャが、「だめ、ほんとにだめ」とぼそぼそ呟く。
「君、一生私のものにならない?」
「……はぁあ?」
余程、何かが気に入ったらしい。
わたくしは渋面をさらに深くして――多分原型をとどめていないほどに――侍従が見たら悲鳴を上げて駆けつけてくるような顔で、ルナムペルシャを睨みつけた。
それでもルナムペルシャは面白そうに笑っていたが。
「死んでも嫌」
「ええー! 死んでも? 本当に? 本当に今、私が君を殺そうとしても、嫌?」
「嫌だし、あなたはそんなことはしない。そういう冗談は嫌いだ」
わたくしはそっけなく返すと、「いいから、セイクのところに帰して」と付け足した。
どのくらい時間が経過したのか、生憎とまだ五歳のわたくしは時計を持っておらず、室内に時計も見当たらなかった。
優秀な侍従は“誘拐”が魔法の仕業だとすぐに気づくだろうが、それが精霊によるものだとは思わないに違いない。彼が侍従になったのは、わたくしが魅了の力を制御し始めた頃だった。
(魅了の影響で誘拐されたわけじゃないから、厄介だよなあ)
帰せ、と、目の前のルナムペルシャを見上げながらぼんやりと思う。
制御する前は無意識に魅了を垂れ流していたので、魅了に狂わされた精霊たちがこぞってわたくしを“神隠し”しようとした。
つい数分前までそこにいた“アリアお嬢様”が、忽然と消えてしまった、という騒動は月に何回も――酷いときは週に何回も――起こったし、その度、わたくしは精霊を説き伏せて自力で屋敷に戻ってきた。
幸い彼らはわたくしに“魅了”されていたので、お願いすれば大抵どんなことでも聞いてくれる。
神隠しは少々“好き”が行き過ぎた結果なのだ。
だが、ルナムペルシャは違う。魅了した覚えはなく、恐らくルナムペルシャ自身も魅了されていないと自覚している。
お願いして聞いてくれる相手ではないので、いよいよ帰してくれなかったら、どのようにして屋敷に戻るか考える必要があった。
適当な精霊に力を借りて魔法で帰るのが良いだろうが、ルナムペルシャも精霊である。それも、小精霊より力の強い個体が多い、精霊人だ。
「……私が君の傍にいられるよう約束してくれるなら帰してもいいけど、そうじゃないなら嫌かな」
ルナムペルシャは考えて答えた。
わたくしはムッと唇を尖らせて、「そんなのは簡単だろ」と主張した。
「わたくしは人間だ。人間の傍にいたいなら、あなたが人間に倣うべきじゃないのか」
ルナムペルシャは再び驚いた顔をして、ぱちりとゆっくり瞬きをした。
「……まるでわたくしが面倒事を惹き寄せてるみたいに言うけど、ルナの時はルナが面倒事を引き連れてきたんじゃないか」
ルナムペルシャとの出会いを思い返して、わたくしは子供の様に頬を膨らませた。
何が琴線に触れたのか未だに理解できないのだが、ルナムペルシャは出会ってすぐのわたくしを“神隠し”しようとしたことがある。
結果的に神隠しはされなかったが、その翌日、侍従として屋敷にやってきた精霊を見て、悲鳴を上げてしまったのは仕方がないことだと思う。
ルナムペルシャはわたくしの言った通り、“人間に倣って”傍にいられる方法を取ったわけだ。
精霊人が侍従になりたいとやってきたのだから、当時の屋敷は大騒ぎだった。
父・ルナエ伯爵と話し合いの末、ルナムペルシャは受け入れられて、めでたくわたくし付きの侍従になったのだが、ルナムペルシャの正体は屋敷に古くから仕えている使用人しか知らない“秘密”にされていた。
本人は人間と同じように生活することを楽しんでいて、すっかり人間のような顔をしている。精霊は人間よりも基本性能が良い上、ルナムペルシャはどうも精霊の中でもかなり上位の存在のようなので、何をしてもちやほやされるからかもしれない。
時折、メイドたちに褒められまくっては、にこにこしている姿を見かける。
そういう経緯でわたくしの傍にいるので、ルナムペルシャはわたくしに対してあけすけに物を言うし、わたくしも二人きりの時に“侍従らしさ”は求めない。彼とは根本的な常識や価値観が違うためだ。
わたくしといるために、常識の違う人間社会の、それも侍従をやっているのだと思うと、さすがに絆される部分もあった。
今でこそ楽しんでいるが、務め始めは色々苦労したのだ、周囲も、本人も。
「まあ、確かにあの時は騒ぎの原因になった私に非がありますが。そもそもの話でいえば、私はリア様を追いかけてあの本屋に入ったのですよ」
「え?」
急に今更なことを言われて、わたくしは首を傾げた。
馬車が屋敷に着くまでもう少しかかりそうだ。ルナムペルシャは「そもそもですね、」と思い返すように目を細める。
「あの日、私は適当に人間を引っかけて、適当に遊ぶつもりで街にいたのです。
特に本に興味はないですし、ふらふら歩いている中で、月の加護の匂いを見つけたのですよ。辿って行った先にいたのがリア様で、リア様を尾行している内に、あの男が付いてきてしまった、というわけです」
なのですべての元凶はリア様ですね、とルナムペルシャは宣った。
わたくしは思わず自分の匂いをすん、と嗅いだ。
「えっ……加護ってそんな、匂いとかあるの? 嫌すぎるんだけど……」
今もしてる? 問うと、ルナムペルシャは小さく笑って「しますけど」と続ける。
「精霊にしかわからない匂いですね。人間には感じ取れないと思いますのでご安心を。
それに、月の加護の匂いが臭いわけないですし」
ルナムペルシャは「爽やかなハーブの香りに近いですね」と教えてくれた。
「ああでも、お嬢様は十分ご注意を。お嬢様の“魅了”は、精霊が大好きな、砂糖菓子よりも甘ったるい香りがしますので」
それから、わたくしの髪をひと房掬うと、ふ、と緩く息を吹きかけた。
吐息ではない、何か爽やかな風が全身を通り抜けたのを感じる。契約外の精霊の魔法を使った時にルナムペルシャがよくやる動作だった。
「……あの子に魔力を上げすぎですよ。ほんの一滴でいいのです、リア様の魔力は」
それで充分、“良く働きます”とルナムペルシャは笑った。
それが魅了の事を指しているのだと理解したので、わたくしは膨れ面から渋面へと切り替えた。ルナムペルシャを見ていられなくて、窓の外へと顔を向ける。
ルナムペルシャはもう何も言わず、馬車は屋敷に到着したようだった。かたん、かたん、と僅かな振動が煩わしい。
(どうせ知られるのだから、大人しくルナの魔法を使っとけばよかった)
なんて、存外独占欲の強い精霊に思う。
ただ、こうも思いもするのだ。
わたくしがルナムペルシャの魔法を使うたび、ルナムペルシャにわたくしの魔力が流れ込むから。
(……知らず、魅了されているのなら、嫌だな)
それを言葉にするのは、憚られた。
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