9.侍従は何でも知っている
クアラたちと別れ、ルナエ家の馬車に乗り込むと、待ちぼうけを食らっていた侍従は非常に良い笑みで「お帰りなさいませ」と挨拶をした。
少し慇懃にも感じられるルナムペルシャの様子に、わたくしは思わずじとりと彼を睨み上げた。
ルナムペルシャとは長い付き合いだ。これは面白いことを見つけた時の態度で、面白いこと、すなわち、今日の懇親会の様子をどこかで探っていたのだろう。
「一体何に化けていたんだ? 近辺には何もなかったのに」
ただいまの返事もせずに問いかけると、ルナムペルシャは「挨拶は大事ですよ、リア様」と肩を竦めた。
「あなたに色変えの魔法を渡したのは、何の精霊でしたっけね」
それから、答えをくれる。
色変えの魔法は、懇親会が始まる前、エリオットから隠れるために小精霊に使わせてもらった魔法だ。
ああ、と、思い至ってわたくしは思わず顔を歪めた。
すぐさまルナムペルシャが「ひどいお顔ですよ」と指摘してくるが、舌打ちしなかっただけ褒めて欲しいくらいだ。
あの小精霊は、月属性の小精霊だった。
ルナエ一族は月の加護を受けているため、月の精霊と縁が深い。
月の精霊自体、あまり人に寄り付かない性質を持つのだが、わたくしの持つ魅了がなくとも、ルナエの血があれば一人や二人は姿を見せるものだ。
なので、月の小精霊が力を貸してくれたことに違和感は覚えなかった。
何より迫りくる危機をどのように回避すべきか焦っていたので、そこまで思いつかなかったともいう。
月の精霊は、ルナムペルシャにとって眷属のようなものなのに。
「……あの子から話を聞いたのか」
「良い子でしたよ。リア様の魔力がとても美味しかったので、ぜひ契約をしたいと言ってましたが。それはダメだと丁重にお断りしておきました」
「それは、有難いけど……」
色変えの魔法の顛末が気になって、あの場に留まっていたのだろう。話がひと段落着いた辺りでルナムペルシャに情報を流しに来たのかもしれない。
経緯はなんだっていいが、わたくしがエリオットの事情に巻き込まれた事は、やはりお見通しのようだった。
「全く、これだからリア様の傍は飽きませんね。あなた様自身は平凡を願っておいでだというのに」
まるで面倒事を引き寄せているみたいだ、と付け足してくすくす笑う。
わたくしはルナムペルシャの綺麗な顔をもうひと睨みした。
ただそれに何の効果もないと知っているので、最後は深いため息を吐くだけにした。
ルナムペルシャがわたくしの侍従となったのは、わたくしが五歳の頃の事だった。
当時から魔法学に傾倒していたわたくしは、屋敷中の関連書籍を読みつくし、さらなる知識を求めてよく街中の本屋までお忍び散歩をしていた。
お忍び散歩、とはいうが、しっかり護衛兼侍従は連れていたし、母の許可は取り付けていた。
前の生の記憶の影響で、五歳児の割にわたくしは分別がしっかりついていたし、自己認識では“体の小さい大人”に相違なかった。
周囲はそれを少しだけ微笑ましそうに見守りながら、それでもわたくしの精神が五歳児とは思えぬほど成熟していると(なんとなくでも)理解してからは、ある程度好きなようにさせてくれていた。
その日、わたくしは取り寄せていた『魔法学の歴史』を受け取るため、いつものように侍従を連れて本屋を訪れていた。
棚にない本を取り寄せてもらうことは間々あって、受け取りに行くついでに新しく入荷した本を確認するのはわたくしの楽しみでもあった。
一つ、取り寄せると、関連書籍をまとめて入荷してくれるので、棚の一部がすっかりわたくし専用のようになっているのだ。
のんびり、じっくりと本を眺めて回り、気になるタイトルの本は中身を確認して、としているところに、声が聞こえたのだ。
非常に煩い声で、本屋の中とは思えないほど下品な言葉だった。
侍従がわたくしを遠ざけようと、「お嬢様、今日は早めに帰りましょう」と退店を促す。視界まで遮ろうとしたので、わたくしはそれよりも早く声の出どころに顔を向けた。
そこに、絵画から浮き出てきたような美麗な人と、平凡な男がいた。
どうやら、男の方が声をかけ、嫌がる美人にしつこく絡んでいるらしい。
美人の方の声は控えめだが、男の声は荒く、段々と大きくなっている。
(ナンパか)
と、わたくしは一瞬スルーしようとした。
わたくしには関係がなかったし、巻き込まれるのもごめんである。侍従の言う通り、今日は大人しく早めに帰るか、と、レジへ向かおうとしたところだった。
「こんな古臭い本なんかより、もっと楽しい遊びがあんだろ?!」
男が大きな声でそう言ったのだ。
「古臭い……」
呟いたのは無意識だった。侍従が「お嬢様?」と首を傾げる間に、男の言葉がどんどん続く。
「誰が読むのかわかんねーような、つまんない本ばっかじゃん! 遊び方がわかんねえなら教えてやっからさ、一緒に行こうよ! こんな陰気くさい場所じゃなくってさぁ!」
「つまんない……陰気くさい……」
「お……お嬢様?」
気が付いた時には二人の前に躍り出ていた。
「ちょっと!」と声を張り上げると、男と美人、二人分の視線がわたくしを見る。
声をかけられた事よりも、その声が足元近くから聞こえてきたことに驚いたようだった。
「本を見る気も、買う気もないなら出ていけば? ここは本屋で、本を買う目的のために入る店。興味がないならさっさと出てってくれる?」
精一杯、目に力を込めて男を睨みつける。そうはいっても五歳児なので、怖い顔でもなければ迫力もない。わたくしもそれは分かっていたが、それでも、どうにか威圧してやろうと怒気を男に向けた。
男は突然出てきた子供(わたくし)に「はぁ!?」と声を上げようとして――すぐさま気圧されたようにうっと身を引く。慌てて侍従がわたくしの前に躍り出て、男の様子はすっかり遮られてしまった。
うう、と唸り声を上げた男に向かって、侍従が静かな声で「お引き取りください」と退室を促した。
それで、わたくしと、わたくしの背後の美人が見守る中、男は逃げるように店を飛び出していった。
(ふむ)
煩い元凶は立ち去ったとはいえ。
背中に突き刺さる視線がものすごく痛い。すっかり長居する気が失せてしまって、わたくしは振り向いた侍従に声をかけた。
「セイク、帰りましょう」
頷いた侍従がレジへ向かう。身長が足りないのもあるが、これでも一応貴族なので、会計は侍従がやるのだ。
わたくしはなるべく侍従から離れないようぴたりと近くで待っていた。
その、はずなのに。
ぱちりと瞬きをした瞬間、ぐわん、と頭が揺れた気がして、わたくしは見知らぬ場所に座っていた。
(……やられた)
魔法を使われた、とはすぐに理解した。
十分注意していたのに、防げなかったのはその時点でわたくしに“使用できる魔法がなかった”からに他ならない。
魔法は精霊から借りるもので、精霊を魅了してしまうわたくしは基本的にどの精霊からも魔法を借りられるが、それは一時的なものでいつでも使えるわけではない。
いつでも使えるようにするには、その精霊と契約をしなければならなかった。
そして、わたくしは、特定の精霊と契約をする気がなかった。
「やっぱり、君ってばめちゃくちゃ面白いね! ますます好きになりそう」
わたくしがため息を堪えつつ、ゆっくりと周囲を確認している間に、魔法を使った張本人がそう宣う。
どこかレストランのような場所だった。
ぱっと見る限り窓はなく、わたくしでも名前の知っている有名な絵画が飾られている。座らされている椅子やテーブルは高級な木材で作られていて、装飾は華美過ぎず品が良い。
王都内の高級レストランのどこかだろうと思えたが、生憎と王都のレストランに明るくなかった。
そして、わたくしの目の前に、先ほど男に言い寄られていた、美人がにこにこと座っていた。
それが、ルナムペルシャだった。
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