6.令嬢は逃げ出したい

 食事が並ぶと、テーブルの上は一気に華やかになった。

 昼食には少し遅い時間だが、懇親会の直前までオリエンテーションが行われていたので、この食事は昼食も兼ねている。

 ケーキやゼリー、プディングなどのデザートはもちろん、様々な具材のサンドイッチも美味しそうだった。


 ウェルカムドリンクは既に下げられて、代わりに紅茶のカップが差し出される。

 茶葉は選べるようだったので、わたくしは好んで飲むハーブティを頼んだ。少し気持ちを落ち着けたかったのだ。

 冷たいドリンクも頼めるらしく、エリオットとフレディは冷たいソーダを頼んでいた。フルーツが入っているらしい。


「それで、早速なのだけど、ルナエ嬢に頼みたいことがあって」


 とにかくエネルギーを得るべきだ、と、わたくしはサンドイッチに手を伸ばした。

 エリオットはさっそく話し始めながら、わたくしの手からトングをするりと抜き取った。呆気にとられるわたくしを余所に、エリオットは「どれ?」と小首を傾げる。

 取り分けてくれるつもりらしい。


「……そんな、恐れ多い」

「いやいや、思ってもないことを言うもんじゃないよ」


 苦笑を浮かべて、エリオットが適当に手前の方からフルーツサンドを抜き取った。

 わたくしの皿に勝手に乗せて、「食べれなかったらよけて」と言う。

 食べられないどころか、まさしく取ろうと思っていたサンドイッチだったので、返事はせずに大人しく皿を受け取った。


「……せっかくこうして縁ができたことだし、ぜひ友人になりたいのだけど。アリア、クアラ、と呼んでも?」


 そのやりとりを静観していたフレディが、改めてこちらに向き直る。

 先ほど教室で問われた時はお断りに近い形でスルーしたが、今度はそうもいかないだろう。

 わたくしは思わずクアラを見つめた。クアラも同じようにわたくしの方を向いて、けれどその眉尻が仕方なさそうに下がりきっている。


「……では、フレディと呼んでも?」


 今のは、フレディからの申し出だ。

 エリオットではない。言い聞かせながら問えば、フレディは「もちろん!」と頷いた。続いて、隣のエリオットの脇を突つく。

 脇を突かれて気が付いたのだろう、クアラやフレディの皿にもサンドイッチを取り分けていたエリオットが、はっとして顔を上げた。


「私……俺も、アリア、クアラと呼んでもいい?」


 ついでのような言い回しだったが、実際ついでなのかもしれない。貴族の慣習が面倒くさい、と言いたげなのが雰囲気から伝わってきた。

 小首を傾げるエリオットは、さすが王族というだけあって顔の作りはとても良い。

 よく見れば整った顔つきの美青年であるのに、どうしたって眼差しがぼんやりしているので、パッとしない印象に思えるのだ。

 わたくしは引き攣った顔で頷いた。隣は見てないが、恐らくクアラも同じだろう。


「どうぞ、喜んで」

「じゃあ、俺のこともエリオット、と」

「いえ、そちらは殿下と呼ばせていただきますわ」


 間髪入れずに断ると、エリオットは残念そうな顔をした。

 とはいえそれも一瞬の事で、すぐさま「ま、なんでもいいや」と気にした様子もなく首を振る。


「さて、じゃあそういうことで、少し砕けさせてもらいますよ」


 ぱん、とフレディが軽く手を打った。

 ぎこちなかった空気が霧散して、フレディはじっくりとわたくしたちを見つめた。

 それから、宣言通り、砕けた様子で話し始めた。


「殿下が口下手だから、もう代わりに俺が話しちゃうけど。

 アリアに声をかけたのは、ちょっと頼みたいことがあったからなんだ」


 頼みたいこと、とフレディは言った。

 話したい、が頼みたい、にすり替わっていることに、急な悪寒を覚え始める。


 こういう時、わたくしの優秀な従者がいたら多少気持ちも落ち着くのだが。

 同じ学生の立場でなければ、学内に従者は連れ込めないことになっていて、ルナムペルシャは学生ではない。

 彼は今頃、わたくしの帰宅に合わせて馬車の用意をし、帰宅後のスケジュールの確認をしているところだろう。

 できれば先月祖母から戴いた、ちょっと希少な茶葉あたりを出してくれると嬉しい。今日はどうせ散々な日だ。


 現実逃避をしていると、エリオットが「あまり広げたい話ではないんだけど」と言葉を続けた。

 それに合わせて、「ソノ・アングスト」と呪文が聞こえる。見れば、フレディが防音の魔法をかけていた。


 ふわり、と、フレディを中心に透明な膜が周囲に広がる。膜はわたくしたち四人が収まるくらいの大きさになると、広がるのをぴたりと止めて、空気に溶け込み見えなくなった。

 近くに精霊の姿は見えないので、元々契約していた精霊の魔法だろう。


(防音までするとは、よっぽど厄介な話なんだろうなあ……)


 悪寒がいよいよ強くなっていく。

 それは隣のクアラも同様のようで、クアラは恨めしげにわたくしを睨みつけた。

 わたくしに巻き込まれたと思ったのだろう。素直に申し訳ないと思う。


「君たち、近頃王都の水の純度が下がってるって、知ってる?」


 ぱちりと瞬きをする。エリオットの顔を見つめるが、言葉は覆らない。

 エリオットは、考える限りで最も大きな爆弾を落としたようだった。





 アクアサクラ王国は水の国である。

 というのは、代々王国を収めるアクアピア王家が強い水の加護を受けているからだ。

 その加護のおかげで、王都を中心に、国内の全ての地域が純度の高い、澄んだ綺麗な水で満たされている。

 ここでいう「純度」とは、実際の水質ではなく、水に付与された「加護」の純度の事を指す。

 加護の純度が高ければ高いほど、植物が育ちやすくなったり、その水を飲むだけで病気に罹りにくくなったりするのだ。

 加護純度の高い水を、地域によっては聖水などと呼ぶこともあるらしいので、その理論でいくとアクアサクラ王国は聖水が溢れる国、ということになる。

 もっとも、加護純度の高さと水質は全くの無関係でもないので、王国内を流れる水の水質だって非常に良い。

 アクアサクラ王国が「水の国」といわれる所以であった。


 とりわけ王都は「水の都」として有名で、街道と同じくらい水路が通っている。

 主な交通手段は馬車と、水路を渡るゴンドラで、貴族などは自前のゴンドラを持つのが主流である。

 王都の貴族の屋敷には、直接水路につながる水路扉があって、そこから直にゴンドラに乗ることができるのだ。

 逆を言えば、王都に屋敷を構える貴族の中で、水路に直接繋がっていない屋敷はそれだけで箔が落ち、その家の経済状況を疑われてしまう。


 水はアクアサクラ王国の象徴だった。

 王家の紋章にも水を模した意匠が含まれており、王族が得意とする水の属性は、王国内でも人気の属性である。

 アクアサクラ王国に住む上で、清らかな水、は、生活に密接にかかわっているのだ。





(その、水の、純度が下がっている?)


 何を馬鹿なことを、と、言いかけてわたくしは口を噤んだ。思い当たることがないわけではなかったのだ。

 そしてそれはクアラも同様のようだった。

 わたくしを睨むのはやめて、難しい顔つきで眉間に皺を寄せている。

 フレディが「さすがだね」と少し戯けた調子で言った。


「何が?」

「いやいや、今の殿下の一言だけで、二人とも気づいたことがあるんだなって」


 普通の令嬢じゃそうはいかないよ、とフレディは言う。その言葉にハッとして、わたくしは思わず居住まいを正した。

 つまり、エリオットが執拗にわたくしを追いかけたのも、それからわたくしの友人だと告げたクアラに離席を促さなかったのも、“そういうこと”なのだ。


(賢いと思われたら逃げられなくなる……!)


 慎重に言葉を選ばなければなるまい、と、わたくしが身構える横で、クアラが恐る恐る「なぜ、私も?」と問いかけた。

 フレディはちらりとエリオットの方に視線をやって、エリオットが代わりに口を開く。


「クアラ・ソーノス伯爵令嬢なら、アリアと同じように、魔法学分野でいくつか論文を出してただろ。

 元々、アリアに話をつけた後、ミドルクラスまで君に話をしにいく予定だったんだ。二人が友人で、一緒に懇親会に参加してくれてて正直助かった」


 その言葉にクアラの肩ががっくりと落ちる。

 わたくしは思わず、クアラに同情の眼差しを向けてしまった。わたくしに巻き込まれたとばかり思っていたが、最初からクアラも目的だったなど。


「……ということは、殿下もその、純度の問題が魔法にあると?」


 はたと気がついて声を上げる。言った瞬間、しまった、と思ったがもう遅かった。

 エリオットの目がぴかりと光ったように感じられて、その鮮やかなタンザナイトの瞳がわたくしの方を見る。


「正確に言うと、精霊に、だね。やっぱり、アリアも同じことを推測したんだな」


 それから嬉しそうにはにかんだ。

 悔しいことに、そうしてはにかむと常のぼんやりとした印象が掻き消えて、見目の良い青年が柔らかく笑んでいる姿だけが残ってしまう。

 わたくしは反射的に顔を逸らした。


「……わたくし、面倒ごとは嫌いなんだけど」


 不敬を承知で伝えると、エリオットは「奇遇だな、俺も嫌いだ」と同意する。

 クアラが小声で「私もよ」と付け足した。フレディは苦笑を浮かべただけだったが、好む人はそもそもあまりいないだろう。


(おかしい。この場の全員が面倒ごとを嫌いなはずなのに)


 着実に、面倒ごとがわたくしの方に向かってきている。逃げ出したくて仕方がなかったが、そうもいかない状況も恨めしい。

 クアラが諦めたように息を吐いた。隣でそうされてしまえば、わたくしばかりが意地を張っているわけにもいかない。


「……お話を伺いましょう」





 校舎の方からリンゴン、リンゴン、と鐘の音が鳴り響く。強制参加の三十分が終わった合図で、本来わたくしはこの鐘のあと屋敷に帰る予定だった。


(……ルナが待ちくたびれてないといいけど)


 一瞬、侍従の姿が思い浮かんで、振り払うように軽く首を振る。帰りの手配を放棄されるくらいなら、まあいいだろう。

 最悪なのは、待ちくたびれて、こっそり会場に潜入してくることである。

 ルナムペルシャの言った通り、進学初日にエリオットに目をつけられたなど、あまり知られたくはない。


「まず、王家が得ている水の加護についての説明をしようか」


 エリオットはわたくしの様子に気付きもせずに話し始めた。

 わたくしは吐きそうになったため息を飲み込んで、手付かずのハーブティを一口含んだ。

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