21.魔力版にはロマンがある 2

 ルナムペルシャとセイクがそうであるように、ポネーレもまた、わたくしが幼い頃から専属で仕えてくれている侍女である。わたくしが四歳の時からの付き合いなので、やっぱり彼女にも考えはお見通しなのだ。


 ポネーレが持ってきたのは動きやすくシンプルな無地のワンピースで、わたくしは素早く制服を脱ぐと手渡されたワンピースに袖を通した。

 前の生では研究する際に白衣を身に纏ったものだが、今世では着用を禁じられている。

 母曰く、わたくしのセンスで白衣をそのまま着るのは「ダメ」なのだそうで、代わりにエプロンドレスかジャケットを着ることになっていた。


 そもそも白衣とは、汚れ防止や衛生面などから着用するものなので、それらの機能がクリアされていれば問題はない。

 外から見た時に、「今、実験中ですよ」という目印にもなるので、個人的にはファッション云々より、機能性を重視して大人しく着させて欲しい、と、思ってしまう。


 まあ、逆を言えば、それらの機能が備わっていれば白衣である必要も同様にないし、こだわる必要もない。

 なんとなく白衣着用を主張し続けてしまうのは、単なるわたくしの意地と、あと、研究用に用意されたジャケット類の質が無駄に良く、上等なものだったからだ。

 汚れる前提で着るものなので、上等すぎると気が散ってしまうのだ。


 今日も白衣変わりの紺色のジャケットを羽織って研究室へ向かう。

 普段なら部屋で待っているポネーレも、今日は気が向いたのか付き添ってくれるらしい。


「珍しいな、ポネーレが一緒に来るの」

「たまにはお嬢様の研究の調子も拝見したいと思いまして」


 にこにこと笑んでポネーレが言う。その手にバスケットがあるのを見とめて、ああなるほど、と思い至った。


「セイク、来たぞ」

「あ、お嬢様、早かったですね」


 研究室――になっている温室の扉を開けて声をかけると、中にいたセイクが慌ただし気にこちらにやってきた。

 何か作業でもしていたのだろうか、と視線を向けると、魔力版の属性分離が完了した様子だった。


「あっ! 冷水実験が終わったんだな!? 危ない、急いで来てよかった!」


 急いだのはわたくしではなくポネーレのおかげでもあったが――とにかく、わたくしは慌ててセイクがいた作業台の方へ走り寄った。


 魔力版に行う実験はいくつかあるが、加熱直後でないと行えない実験や、成功率が変わる実験というのがあって、冷水実験はその一つだった。

 加熱によって鉄板に定着した魔力粉に冷水を流し続けると、特定の変化がみられる。その変化を読み取る、というものだ。

 魔力粉は加熱に弱いが、冷却にも弱い。要は温度変化に弱いのだ。

 冷水を当てることで鉄板に結合した表面が“剥がれ落ち”、魔力粉の結晶の断面を得ることが出来る。冷水実験は、魔力粉の結晶を得てその断面を調べるための実験だった。


「確認できた結晶数は?」

「二種ですね」


 問えば、セイクが顕微鏡の席へ促した。自分で確認しろと言うことらしい。わたくしは勧められるまま顕微鏡を覗き込んだ。


 魔力粉の結晶――を、魔力結晶と呼ぶ――は面白い性質があって、属性単位によっていくつかの層になっている。便宜上、「重い」「軽い」という言葉を用いて、魔力版上の上層と下層を分けているが、どうやら属性単位で重さは決まっているらしい。

 冷水実験で“剥がれ落ちる”のはその内上層部分から――つまるところ、「軽い」属性から剥がれていく。そのため、流した後に残る結晶は「軽い」属性、鉄板に残った結晶は「重い」属性だと判断することが出来た。


 といっても、この世界の属性など掃いて捨てるほど存在している。

 「重い」か「軽い」かだけでは単純な属性判断はできず、実際は魔力結晶を構成する魔力分子の配列などから属性を判断している。

 この方法であれば、以前学校で行った属性検査紙による検査よりもはるかに正確に属性を確認できた。剥がれた結晶の量などから、その魔力に含まれる属性比率なども調べられるのだ。


 ドクトリア運河の水ならば、本来なら単一の水属性でなければおかしい。

 その場合、冷水実験で結晶は剥がれ落ちず、剥がれなかったことが単一属性であることの証明になる。

 同じように魔力分子配列などで属性の確認は必要だが、純度の高い水属性となるのが“正しい”だろう。


 それが、二種の結晶が確認されている。

 覗き込んだ顕微鏡は、確かに違う属性同士の結晶が並んでいた。


「……水属性と、土属性だな」

「やはりそう読めますよね。でも、どうして……」


 セイクが難しい顔をした。この魔力がドクトリア運河の水であると最初に告げていたので、違和感を覚えたらしい。


「お二人とも、難しい顔ばっかりしてないで、少し休憩しませんか?」


 セイクと一緒になって難しい顔をしたわたくしを見て、ポネーレがテーブルの上にバスケットを置いた。それから、有無を言わせぬ様子でセイクをソファに座らせてしまう。お茶なら私が、と立ち上がろうとするのを制して、ポットの方にはポネーレが向かっていった。

 わたくしは苦笑して、同じようにソファに座る。セイクは少しばかり居心地悪そうに居住まいを正した。

 視線がポネーレを追っている。


「まあ、わたくしが悪いのは分かってるけど」


 前置きながら、改めてセイクの顔を覗き込む。

 ポネーレを見ていたセイクは、急にわたくしの顔が近づいたことに驚いたらしい。バッと体を仰け反らせ、「アリア様!?」と声を上ずらせる。


「セイク、ひどい顔色だ。撹拌機はある程度放置しておいても大丈夫なのに、徹夜してみてくれてたんだろ」


 わかってるぞ、と暗に主張すれば、セイクは誤魔化すように視線を逸らした。


 前置いた通り、わたくしが悪いのは重々理解している。

 前回魔力版の生成に失敗したから、セイクも気にしてくれたのだろう。前回の失敗は、撹拌終了のタイミングを逃したのが原因だった。

 とはいえ、撹拌する物質によって大まかな撹拌時間は決まっている。目安を決めて放っておいてしまっても、本来問題はないものなのだ。


「そうは言いましても……今回は成功させたかったので……」


 セイクはもごもごと言いにくそうに言葉を吐いて、すっかりわたくしから顔を背けてしまった。


「まあまあ、お嬢様。必要な作業は一通り終わられたんですよね?」


 窘めるような調子でポネーレがティーカップを三つ並べた。

 わたくしの隣に座ってそう問いかける。わたくしは「もう大丈夫」と頷いた。


「あとは一人でもできる作業だし……」

「それはダメです」


 他の実験は一人で、と続けようとすると、きりりと目を吊り上げたセイクが瞬時に却下した。


「えええ、でも、もう危険な実験はないぞ」

「存じております。ですがお嬢様、熱中されたらお嬢様こそ、徹夜して実験を続けてしまうでしょう」


 年頃のご令嬢なのに、と、セイクの言葉が続く。

 瞬間、ポネーレの顔がきっと険しくなった。


「お嬢様、それでは今日の研究は、セイクからの報告を聞いて終わりです」


 言葉も表情もきついのに、紅茶を飲む姿は実に優雅だ。

 わたくしはうっと言葉を詰まらせて、「で、でも、」と言い訳を探した。


「言い訳は無用です。ただでさえお嬢様ってば夜更かし気味なんですから」


 こうなったポネーレはもう何も聞いてくれない。

 セイクが安心したように「ポネーレが見ていてくれるなら安心ですね」と息を吐いた。心外である。


「大体、そんなに急いでする実験もないでしょうに。アリア様が無理をされないように、私めが徹夜で作業したんですよ」


 むう、と頬を膨らませんばかりの様子でセイクが言う。

 そうしていると兄よりも幼く、わたくしと同年代くらいのようにも見えるが、この男はこれでポネーレよりも年上なのだ。

 ポネーレはすっかり弟を見るような眼差しでセイクを見ているけれど。


 まるでわたくしが徹夜作業を指示したみたいな言い方に、思わずじとりとセイクを見つめる。こう言っているが、セイクだって魔力版実験をやりたくてしょうがなかったのだと知っている。

 証拠にわたくしの目は見ようともしない。


「……もう、お嬢様もセイクも、本当に研究が好きなんだから」


 全く理解できない、と言いたげにポネーレが肩を竦めた。

 わたくしは苦笑を浮かべてバスケットに手を伸ばす。ポネーレが持ってきてくれたバスケットには、クッキーとサンドイッチが入っていた。


 「今日は終わり」なんて言いつつ、ポネーレはわたくしが研究室にある程度籠ることを予想していたのだ。サンドイッチはわたくし用の一口サイズのものと、セイク用の普通サイズのものと二種類あった。セイクが休めていないのも把握していたのだろう。

 とりあえず、とクッキーを手にして齧りつく。

 わたくしが手を伸ばしたので、セイクがバスケットからサンドイッチを取った。


「……しょうがないな、じゃあ今日は報告書だけにする」

「そうしてください」


 別に、わたくしだってセイクに無理をさせたいわけではない。そういえばセイクは些か安心したような顔をした。


 それでも、魔力版の実験にはロマンが詰まっている。

 セイクが行なってくれた実験結果をまとめるだけでも、わたくしとしては楽しみだった。実験しないからいいよな、と、ポネーレの方を見れば、わたくしのワクワクした様子を感じ取ったのか、ポネーレは深く息を吐く。しょうがないですね、と言いたげに。


「セイクの代わりに私がお嬢様の様子を見ていますね。セイク、あなたは食べ終わったら今日はもう休んでください」


 執事長には言ってありますので、と、そんな言葉が続く。

 わたくしとセイクは思わず顔を見合わせる。なんだかポネーレの思う通りになったようだ。


「お嬢様、本当に、くれぐれも、実験はなさらないように」

「はいはい……ていうか、わたくしが夢中になるのを心配しているっていうより、単に自分も実験をしたいからだろ」


 念押ししてくるセイクの魂胆などわかっている。結局セイクも魔力版が好きなのだ。

 セイクは肩を竦めると、「そりゃあ、まあ」と頷く。


「魔力版はロマンですから」

「まあ、ロマンだけども」

「ロマン……わかりませんね」


 セイクはあっという間にサンドイッチを食べ終えた。ゆっくりお茶を飲み干して立ち上がる。「ポネーレにはわかりませんよ。ねえ」とわたくしを見るので、わたくしも同じように、「そうそう、わからないな」と同意した。


 ポネーレは少しばかり憤慨した様子で、「わからなくて結構です!」とそっぽを向いた。

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