27.令嬢は疲弊する 2
ルナエ伯爵家では、現在家の主人である伯爵も、伯爵夫人も留守にしている。
父・ノーティスは外務大臣であるため国外へ行くことが多く、今も仕事で国を離れていた。
伯爵夫人である母・ベルプルヴィアは、普段なら屋敷に残り、伯爵家を守ることを仕事とするが、起業家でもあるため常に忙しくしている。
それでも普段なら、なるべくどちらか一方は屋敷に留まるようにしているのだが、今回はたまたま二人の目的地が重なったため、たまには一緒に行きましょう、と、夫婦旅行を兼ねて行ってしまったのだ。
外交に深く関わる仕事なら母も遠慮しただろうが、父の今回の仕事が祭事への参加のみだった、ということも理由だろう。
となれば、本来家の主人は長兄であるヴェントルが担うのだが、王国魔法士団は近衛部隊に所属する兄は多忙で、基本的には魔法士団の宿舎で生活している。
それでも、両親が不在の折はなるべく屋敷の方に帰るようにしてくれるのだが、今回は仕事の予定を合わせることが出来なかった。
運悪く、春の遠征訓練に出てしまったのである。
そういうわけで、家族の誰かが帰ってくるまでの間、ルナエ邸の主人はわたくしが担っていた。
わたくしは学校生活について多く話す方ではないし、話したとしてもルナムペルシャか、セイクか、ポネーレの前くらいなので、使用人の間で広まることもない。
父付きの筆頭執事は幾らか社交界の噂を察知しているようだったが、だからといってわたくしに何か言及することはなかった。
特に現状、問題のある噂ではなかったためだろう。
ただ、フローラは違う。
フローラはルナエを出た人間で、社交界の中枢に居座る公爵夫人で、非常に悲しいことに、わたくしを揶揄う性格である。
「それで? アリアは、エリオット殿下とどのようなご関係なの?」
ルナエ邸の談話室で、久しぶりに我が家のシェフのケーキを堪能しながらフローラが問うた。
今日のケーキはチョコレートケーキだ。
長方形のケーキの、上部は少し苦みのあるチョコレートムース。下は柔らかなスポンジで、間に優しい甘みのチョコレートクリームが挟まっている。ムースの上には赤いベリーとミントが乗っていた。少しだけ金粉がかけられて、上品なケーキである。
わたくしたちに給仕をしていた屋敷のメイドが、壁に控えながらも意識をこちらに向けたのを悟った。
一応「公爵夫人」相手のため、外向きの対応をしているが、基本的に使用人たちとわたくしたちは気安い関係である。
「……ただの友人だけど?」
ゆっくりと紅茶を喉に流して、お腹を温めてから、わたくしは答えた。
にやにやとしたフローラの顔にムッとする。
「逆に、お姉さまは、それ以外の関係があると思ったの?」
「そりゃあ、あるわよぉ! とうとうアリアに春が来たのねって、とっても楽しみにしてきたのに」
問えば、フローラは笑って紅茶を啜った。少し懐かしむ様子で遠くを見つめる。
「あなたったら、せっかく見た目も可愛らしいのに、男性みたいな話し方は治らなかったし。良い縁談だって沢山来てたのに、全部断っちゃうし。挙句の果てには論文発表なんてして……」
はあ、と、ため息を吐く。わたくしはムッとして、「でも、エリオット殿下はそのせいでわたくしの事を知ってらしたぞ」と反論した。
「エリオット殿下が?」
問い返されて、今のが失言だったと気づく。
はっとして口元を抑えたが、もう遅かった。ため息とともに遠くを見ていたフローラの瞳が、再びキラキラと輝きだす。
「もしかして、エリオット殿下の方からお声掛け頂いたの? まあ、確かにアリアから声を掛けるとは思わなかったけど」
ほんとうに? と、フローラの顔がずい、と寄ってくる。
寄られた分だけ身を引きながら、わたくしは「ううう、そう、だけど」と言葉を漏らした。瞬間、フローラの顔が輝きを深める。
「まあ、まあ! ということは、エリオット殿下はあなたの“それ”にご理解があるってことよね? もしかして、論文を?」
「……お読みになられたって聞いた」
まあ! と、何度目かになる悲鳴を上げた。フローラの顔がもうずっとにこにこと笑いっぱなしだ。
ちらりと壁の方を見ると、控えているメイドたちも喜色ばんだ顔で、今すぐ抱き合って歓声を上げたそうな様子だった。仕方なく、深く、深くため息を吐く。
気が付いたフローラが、メイドたちに「あなたたちも今知ったのね?」と話を振った。
「はい。今は、ご主人様も奥様も外出しており……お嬢様しかおられませんでしたので……」
メイドの一人がフローラの問いに答えて、もう一人がわたくしに「お嬢様、さすがですわ!」と声をかける。
何が“さすが”なのだろうと聞こうと思って、フローラが大きく頷いたので咄嗟に口を閉じた。
「アリアはそういうギャップがハマると大物を釣ってくるって思ってたのよねぇ。
エリオット殿下と同学年だとは思っていたけど、まさかこんなに早くお近づきになるとは」
「いや、あの、近づきたかったわけでは」
「しかも殿下の方からお声掛け頂いたなんて! 婚約者選びでどの令嬢も迂闊に動けなかったでしょうに、そんな中アリアに声をかけたってことは、つまり、そういうことよねぇ?」
ねぇ、と、フローラはもうわたくしそっちのけでメイドに話しかけた。
メイドたちが口をそろえて「そういうことだと思います!」と同意する。
(な、何が“そういうこと”なんだよ……!)
とは、怒ることもできず。
わたくしは精一杯、「お言葉だけど」と口を挟んだ。
「殿下から声をかけて頂いたのは、わたくしだけじゃなくって、ソーノス令嬢もだぞ。
殿下はわたくしがどうこうというより、わたくしの論文に興味を持ってお声掛け頂いただけだし、普段だって学問や研究の話がメインで……」
「そんなに普段から一緒にいるの?」
「……はっ?」
“そういうこと”――わたくしが、エリオットの婚約者候補に一番近い位置にいる――ではないのだと否定したくて、つい、饒舌になった。
うっかり溢した言葉を耳聡く聞き留めて、フローラが素早く問いかける。
わたくしは一瞬虚を突かれて間抜けな声を上げた。
「アリア、“そう”じゃなかったとしても、あなたがそんな風に楽しそうに、一生懸命に誰かの事を話すのは珍しいわ。
それ程、殿下と気が合うの?」
然も、単なる疑問だ、と言いたげな様子で。
ことりと首を傾げる。フローラの言葉に、わたくしは瞬間的に顔が熱くなるのを感じた。
「~~~~も、もう! わたくしは研究があるので失礼します!」
それで、否定できればよかったのだが。
フローラの言う通り、わたくしが今まで友人らしい友人を作ったことがないのも、家族や屋敷の人間以外の誰かについて一生懸命話したことがないのも、真実だった。
でもそれはエリオットだけではなくて、エリオットと、フレディと、クアラの三人共に言えることである。
身分や取り巻く環境はあれど、三人との交友関係を持てたのは、わたくしにとって良い縁なのだろうと理解はしている。取り巻く環境に巻き込まれたくないから、やっぱり、エリオットと一定の距離は置きたいけれど。
反論の言葉を失くして立ち上がったわたくしを、止めるものは誰もいなかった。
フローラは楽し気に笑うと、メイドたちに「もう少しお茶に付き合ってちょうだい」と声をかけて給仕を促す。
これ以上揶揄ってこないのが、かえってわたくしの心をかき乱した。
(……でも、絶対、帰ってきたら根掘り葉掘り聞かれるよなあ)
ただ、フローラの襲来は序章でしかないことも知っている。
兄はともかく、父も母もあと一週間ほどで帰国するのだ。両親が戻ってきたら、今までのように気楽でいることはできない。
(まあ、付き合いをやめろとは言われないと思うけど……)
父も母も、わたくしの意思を無視して何かを進める人ではなかった。
でなければ、わたくしにはすでに婚約者がいただろうし、これほど自由に研究に打ち込ませてはもらえなかっただろう。
両親は二人とも貴族の名家出身だというのに、貴族らしからずわたくしの自由意志を尊重してくれる。
だから例えば、エリオットと友人である、と知られたとしても。
もっとお近づきになって婚約者を目指せ、とも、派閥に要らぬ波紋を生むから付き合いを控えろ、とも、言わないだろう。せいぜいが、「周囲にはよく気を付けなさい」くらいだ。
そういう人たちだとわかっている。
わかっているが。
(でも、その分、お姉さま以上に揶揄われるんだろうなあ……!!!)
“あの”アリアが!? と、散々揶揄われるに違いなかった。特に母から。
憂鬱な気持ちになって自室に戻る。扉を開けるとポネーレが「すべて心得た」と言わんばかりの顔でわたくしを見て、無言で白衣を差し出した。
白衣は普段、母に着用を禁じられているため、ポネーレもいつもは用意しないのだが、わたくしが本当に落ち込んでいるときにだけこっそり渡してくれる。
わたくしは無言で白衣を受け取った。
沈んだ日は、研究に打ち込むのが一番なのだ。
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