28.令嬢は試験を受ける 1

 翌日学校へ向かうと、ハイクラスの周辺に朝から人が集まっていた。

 集まっているのはミドルクラスや他学年の生徒の様だった。さすがに上位貴族の生徒はいないが、伯爵以下の出身の生徒たちが数人単位で塊を作っている。


 教室の出入りがあるたびに視線を向けて、何事かを囁き合う。あまり感じの良い行為ではなかったが、ハイクラス所属の生徒ならば気にするような人も少なく、周囲の状況とは打って変わって、教室内は特に変わりがなかった。


 当然、わたくしが教室に来た時も視線はばっと集まって、教室の奥に向かうまでずっとついて回った。

視線で穴が開きそうだと思ったのは初めての事だ、げんなりしたまま席に向かう。


(まあ、予想はついてる)


 大方、試験概要が発表されたのだろう。


 昨日の放課後、フレディはすぐに王宮へ向かったようだが、授業と授業の間の休憩時間も忙しなく教室を出入りしていた。

 運営委員会と調整をして、今朝の掲示に間に合わせたと考えるのが自然だった。


(何か聞きたいことがあるんだろうな……)


 あるいは、試験問題の対策についてか。


 ハイクラスの教室の中に入ってしまえば、さすがに声をかけてくる者はいない。

 教室前に集まっている生徒の殆どが、子爵位当たりの家の生徒と思われた。


「おはよう、アリア。なんかすごいことになってるね……」


 彼らが一番声をかけやすいのは、わたくしかフレディのどちらかになるだろう。つまり、最初から視線のターゲットはわたくしたちなのである。


 ハイクラスの生徒たちが全く動じていないのもそのせいだと思われた。どうせわたくしやフレディが対処するから、自分たちは関係ないと思っているのだろう。

 全くその通りではあるのだが。


 ため息を吐いていると、エリオットと共にやってきたフレディが眉尻を下げて声をかけてきた。わたくしはフレディを見上げて、「試験概要が掲示されたのではなくって?」と問いかける。


「ああ、確かに。昨日帰る前に提出したから、認可されれば今朝から掲示って聞いたよ」

「だろうと思いました。きっと皆、試験について聞きたくて待機してるんだわ」


 むう、と唇を尖らせて言えば、口調は少し棘のあるものになった。

 フレディは苦笑を浮かべると、「なるほど」と納得したように頷く。そのやりとりで、ターゲットがわたくしとフレディの二人であるとも理解したのだろう。


「それじゃ、クアラの方が心配だな。あっちの方が聞きやすいだろ?」

「確かに」


 続けてフレディが言ったので、はたと気が付き口元に手を当てる。

 わざわざハイクラス所属のわたくしたちを捕まえるより、ミドルクラスのクアラに声をかける方がハードルは低いだろう。

 ただ、クアラが流されるまま、やられっぱなしになっているとも思えない。


「……案外、クアラ経由でこっちに来ているのかも?」


 ぼそりと呟く。クアラならそのくらいはやりそうだ。


「ああ、詳しいことはハイクラスの方に、って?」

「そうそう。あわよくば殿下にお近づきになりたい人がいたとしても、人数が多いから」


 フレディと同時に視線を教室の外に向けた。入り口周辺で教室内を窺っていた何組かが、それで俄かに喜色めいた顔をする。

 声をかけられそうな雰囲気を察したため、わたくしもフレディも慌てて視線を外した。

 いくら彼らからしてみれば親しみやすいとはいえ、わたくしだって目立ちたくはない。フレディは知らないが。


「……とにかく、もし何か聞かれても、何も知らないって答えていいよ」


 入り口の代わりにエリオットの方へ視線を向けたフレディが、ぼそぼそと呟くような声で言った。そういえば、今日はエリオットが近くに寄ってこない。わたくしとしては有難かったが、同じように視線を向けると、どこかソワソワとした様子でこちらを見ているのが分かった。


(ああ……フレディに何か言われたんだな)


 あるいはフレディ以外の誰かか。

 あまり気のない令嬢と仲良くしすぎるな、とでも怒られたのかも知れない。わたくしの元にフローラがやってきたのと同じように、エリオットの親族にだってわたくしたちの噂は出回っているだろう。


「まあ、最初からそう答えるつもりでしたけど」

「ははは……アリアならそうだよね」


 フレディの提案に素気無く返すと、彼の苦笑は一層深まったようだった。

 一息置いて、言葉を探す。少しだけ気の毒に思ったのもあった。矢面をフレディに集中させたいわけでもない。


「……今日だけなら、わたくしたちも今日初めて試験を受けるので、本当に何も知らないのだと言えるでしょう。明日以降は、不正防止のため何もお答えできないとすればいい」


 暗に、あなたもそうしたら? と伝える。フレディは言葉の裏を正確に読み取ったようだった。

 下がるばかりだった眉尻がふと形を整えて、きょとりとした目でわたくしを見つめる。

 フレディはそのまま、ぱっと明るい笑みを浮かべた。


「アリアって、意外と僕たちの事も考えてくれるよね」


 瞬間告げられた言葉の意味を解し損ねて、わたくしは「は?」と不躾な声を出した。

 小さな声だったので周囲には聞こえなかったが、フレディはしっかり聞き留めたらしい。せっかく明るい笑みに戻ったのに、すぐまたへにょんと眉尻の下がった苦笑顔に戻ってしまう。


「ごめんごめん。でもありがと、そうしておく」

「ええ、まあ……わたくしもそうしますので」

「うん。ありがとう」


 何度か礼を繰り返したのち、フレディは漸くエリオットの方へ向かっていった。そろそろエリオットが立ちたそうな雰囲気だったので、丁度良い頃合いだろう。

 ついでに始業時間も迫っていた。


(意外とって……わたくし、そんなに冷たくした覚えはないけど)


 わたくしも席に座りなおして、一限目のテキストを広げる。冷静になって先ほどの言葉を考えれば、少しだけ腹が立ってくる。


(ただ、まあ、確かに、フレディに同情はしていても、積極的に優しくはしていなかった、かも?)


 そもそも、優しくする、とか、しない、とか、そういう間柄でもないだろう。

 エリオットに協力することは嫌がったが、協力すると頷いた以上は最大限協力するつもりだし、そうしてきたはずだ。それを改めて言葉にされたような気がして、どうにも少し落ち着かない。

 確かにわたくしは、これまであまり他者を気に掛けることをしてこなかったのだ。


(わたくしだって……殿下の婚約者の事がなければ、殿下とも、フレディとも、友人だって胸を張って言いたいけど)


 貴族社会で、男女の友情は珍しい。


 ないこともないが、男女で常に一緒にいると、大抵そこに友情以外の関係性を邪推される。わたくしにはそれが煩わしく感じられて、きっとエリオットもそうだと思えた。

 何の制限も制約もなく、友人だ、と言えたなら、これほどやきもきすることもなかっただろうに。あるいはエリオットに第三王子などという地位がなければ、特に問題なく友人として積極的に関わる事が出来ただろうに。


 ちらりと視線をエリオットとフレディに向ける。

 二人はもうわたくしの事など気にせずに、何事か談笑しているようで、エリオットがははは、と明るい様子で笑い声をあげた。

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