前世“魅了”持ちは平凡に暮らしたい
佐古間
アリア・メルクリア・ルナエには前世の記憶がある。
1.幸せは逃げ続けている
ツルツルと手触りの良い、上質な紙を握りしめていた。
何度触っても心地が良い。端の方に少しインクを垂らしてみたが、吸収も早くすぐ乾く。ペン先を滑らせても突っかからないし、滑りが良いので書きやすい。
ああいいなあ、この紙に論文を書き連ねたらきっと大層捗るに違いない。この紙が事務的な連絡事項でばらまかれていることを思うと、嘆かわしさすら感じられた。もっと他に使い道があっただろう。むしろもっと質の悪い紙でも良かっただろうに。
「何、やってるんですか、リア様」
はあ、とため息を吐きながら、昨日受け取った手紙に頬ずりをしているわたくしを見て、侍従のルナムペルシャが笑顔を引き攣らせた。手には気に入りのティーカップが握られていて、注がれたばかりのハーブティが良い香りを出している。
わたくしはルナムペルシャの表情など知らぬふりをして、居住まいを正すと彼からティーカップを受け取った。受け取った、というよりは、奪い取ったが正しいかもしれない。奪ったカップに口をつけると、仄かに甘い香りがすっと鼻に抜けていった。わたくしの好きな香りだ。
「……現実逃避」
「は?」
ルナムペルシャが理解不能をそのまま表したような声を上げた。凡そ主人にする態度ではなかったが、ルナムペルシャなら仕方がない。昨日、彼から手紙を受け取ったのは就寝前で、わたくしは寝る前に一人で手紙を開けている。なので、手紙の内容を彼は知らない。
「読んで。わたくしの現実逃避の理由」
そっと、頬ずりしていた手紙を差し出した。受け取った手紙にインクを垂らしたり文字を書いたりしていたわけだが、事務連絡なので問題ないだろう。第一、受け取った手紙をどうしようがわたくしの勝手である。ルナムペルシャは最初に手紙の端のインク汚れを見つけて、それからわたくしの筆跡の適当な言葉の羅列を眺めて、漸く本文に目を移した。その間、手紙とわたくしの間をもの言いたげな視線で往復していた。
「これは……ああ、魔法士養成学校のクラス通達ですね」
そんな時期でしたか、と、ルナムペルシャは頷いた。そう、そんな時期だった。手紙の内容を思い出して、わたくしは何度目かになるため息を吐いた。
アクアサクラ王国には、十二歳になった貴族の子息子女の殆どが通う学校がある。
名を魔法士養成学校と言い、名前の通り、魔法士を養成するための学校である。とはいえ、入学できる素養・財力を持つ平民は少ないため、その実態は貴族学校に相違ない。
貴族が通える学校は他にもいくつか存在するが、魔法士養成学校が学力的にも格式的にも最上位に値するため、余程の事情がなければ殆どの貴族がこの学校に通う。わたくしも例に漏れず、魔法士養成学校の生徒だ。
魔法士養成学校、なんて名前だが、魔法士という職業に就ける者はごくわずかである。
そもそも、魔法は一定量以上の魔力がないと使用できない。魔力は多かれ少なかれ誰でも持っているものだが、その保有量は先天的なもので、後天的に増やすことはできなかった。貴族は遺伝的に魔力保有量が多い傾向にあるが、あくまで“傾向”だけで誰しもが魔法を使えるわけではない。反対に、平民の中にも魔力保有量が多い者はいる。魔法を使える一部の者たちの中から、さらに厳しい試験を合格して初めて魔法士、を名乗れるので、魔法士という職業は難易度の高い職業だった。
では何故、「魔法士養成学校」に貴族が通うのかと言えば、魔法士という職に就くためではなく、魔法についての知識や正しい使い方を教わるためだ。実際、貴族ながら魔力を殆ど持たない者もこの学校に通っている。自分は魔法が使えずとも、遺伝的に、自分の子供が使える可能性は高いためだ。
とはいえ、魔法を使える者と、使えない者を一緒くたにして授業をするのでは効率が悪い。
そういうわけで、魔法士養成学校は大きく二課程に分けられていた。
魔法についての基礎知識や、その他一般教養を学ぶ一般課程。
そして、魔法についての応用・専門知識や、魔法実技などが含まれる魔法課程。
十二歳で入学した子供たちはまず三年かけて一般課程を修了する。魔力がない・魔法士になるつもりがない・あるいは、専門性を学ぶ必要がない生徒の多くが、この三年間で卒業していく。
一般課程修了後、希望者は魔法課程に進学できる。こちらは進学試験があり、合格者しか進めない。魔法実技があるため魔力保有量も合格基準に含まれるが、“魔法が使える”量があれば合格できる緩い基準だ。試験自体もそこまで難しくはなかった。
(そう、難しくなかったんだよな)
もう一度ため息を吐きそうになって、それはぐっと堪えた。手紙を読み終えたルナムペルシャが、「ご愁傷様です」といい笑顔で手紙を返してきた。
笑顔なのが腹立たしい。この男は無駄に顔ばかりよくて、性格は飄々と掴みどころがなく、大体いつもわたくしをおちょくっている。
「いい加減、腹を括ったらどうなんです?」
ついでとばかりにルナムペルシャは言った。聞き流しながら、何度も読んで、現実逃避をした文面を指でなぞる。
「嫌だ。わたくしが面倒事を嫌っているの、知っているだろう」
ふん、と鼻を鳴らせば、ルナムペルシャは「まあ、そうですが」と肩を竦めて見せた。
魔法課程は三年制で、三つのクラスに分けられる。
初年度は進学試験の上位者が、二年度以降は成績上位者が集められたハイクラス。
彼らを除いた、上位貴族から中位貴族が集められたミドルクラス。
下位貴族と、平民出身者が集められたロークラス。
わたくしはルナエ伯爵家の二女なので、順当に行けばミドルクラスに入る予定だった。元よりそのつもりで、難しくない試験も「こんなに落として平気か?」と不安になるほど“誤答”した。実技試験も大いに力を抜いたし、一般課程の三年間、目立つことなく影のように過ごしてきた。
そのはずなのだけれど。
「私としては、あなたをハイクラスと見抜けないなら、この国の魔法士養成学校の評価を改めなければならないと思ってましたけどね。アリアお嬢様」
ルナムペルシャはそれはそれは美しい笑みを浮かべると、「楽しみじゃありませんか」と続けた。
「たった十人ばかりのハイクラス。同じクラスに第三王子も編入されるとか。ハプニングの予感ですねぇ」
それから、うっそりと瞳を細めて妖しく口角を引き上げる。わたくしは思い切り顔を顰めて、いっそこの手紙を破いてしまおうか、と指に力を入れた――が、破こうとしてなお上質な紙の手触りに、なんだかなあ、と、机に突っ伏した。
わたくしの望む幸せなど“最初”から見当たらない。見当たらないので、いくらため息を吐こうが関係なかった。
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