14.王子殿下はずれている

 ドクトリア運河は魔法士養成学校の正面を通る、太い水路である。

 王都の北地区と南地区を結ぶ運河で、魔法士養成学校はちょうど中間に位置していた。

 南にある平民街から通っている生徒は、毎朝この運河をはしるゴンドラで通学している。学校前には停留所があって、朝の時間は幾つものゴンドラが通る、忙しい風景が見られた。


 ドクトリア運河は国営運河にあたるため、私的な通行は認められていない。ゴンドラの通行量が多い運河でもあるため、貴族の私用ゴンドラは通行できないのだ。

 そのため、わたくしたち貴族はゴンドラではなく馬車での通学が求められた。

 どの道、平民街のある南地区と違い、貴族街は中央地区にあり、屋敷と学校の距離も近い場合が殆どなので、馬車通学でも特に支障はない。

 個人的には徒歩でも十分な距離なのだが、そこは貴族令嬢なので世間体によろしくない。

 平民と貴族とで通学方法を分けることにより、鉢合わせる機会を極力少なくしている意図もあるのだろう。校内でのトラブルなら如何様にも対応できるが、通学路でのトラブルは対応できないことも多いからだ。


 さて、ドクトリア運河は国営運河だが、ゴンドラの交通量が減る昼過ぎあたりなどは市民解放されており、ちらほらと釣りをする人が見える。

 もっとも交通量がなくなるわけではないので、釣り場は固定されており、決められたエリア外で釣りをすると違反行為となり罰金が発生する。


 学校前停留所の横にも釣り場が設置されており、何人か釣りをしている人がいた。

 学校前の釣り場は比較的大きくて、ベンチが置かれ植物も植えられた、公園のようになっている。

 釣りをしている人もいるが、制服を着ている生徒などはベンチに腰掛け談笑していた。ランチボックスが見えるから、空き時間も含めて長めのランチタイムをしているようだ。


「殿下がいると目立つので、ちょっとこの辺で待っててもらえます?」


 水質調査なら、フレディの持つ調査キットの採取管に水を汲んでくれば事足りる。

 全員で行く必要性も感じられず提案すると、エリオットは少しばかり残念そうな顔をした。

 フレディが宥めつつ、「ご令嬢二人で行くのも目立つと思うよ」と付け足す。


「僕が採ってくるんで、皆さんはここで待っててもらって。

 っていうか、そしたらレストランで待ってても良かったかも」

「まあ、あんまり長時間利用するわけにもいかないし」


 ぼやいたフレディにクアラが苦笑して答える。

 レストランの個室は誰かに話を聞かれることもないので便利だが、確かに長時間占拠して良い場所でもない。


 とにかく行ってくる、と言ってフレディは釣り場の方へ駆けていった。

 わたくしたちは釣り場入り口前のベンチに座る。入り口前だが、大きな木の下でもあるのであまり目立たないだろう。

 そもそも、一応授業中の時間なのだ、学校前の通りは人通りが少なく、ゴンドラの通行も少なかった。


「毎回レストランの個室を予約するのも手間だし、何か手っ取り早く個室を用意できればいいのだけど」


 ふとクアラがそう言って、ちらりとエリオットを見る。

 エリオットの権力でどうにかならないのか、と言いたいらしい。クアラもわたくしと同じく、エリオットの婚約者、という立場には興味がないが、使えるものは使え、という精神らしい。わたくしも同じようにエリオットを見つめた。

 二人分の視線を受けて、エリオットは少しだけ考えた素振りをした。


「……いっそサークル活動にしてしまおうか」


 が、返ってきた答えは予想していたものと少しばかり異なっていた。


「サークル活動?」


 首を傾げると、エリオットは「そう」と簡単に頷く。


「魔法士養成学校では、生徒が自由にサークルを立ち上げることが出来るんだ。所属するのにどんな条件だって付けることが出来るけど、三学年のみとか指定してるサークルは、研究系のサークルが多いかな。

 こちらには魔法研究のアリアと、精霊研究のクアラがいるのだし、精霊魔法研究サークルとか作っておけば、面倒じゃない」


 面倒じゃない、というあたりに妙な感情が籠っていて、エリオットの本心が窺える。

 ただ、サークル活動、というのは存外良さそうに思えた。


(それなら、わたくしたちが四人で固まっていても今ほど不自然ではないし)


 今だって、友人関係である、と周知されれば不自然さは薄れていく。

 ただ、どれだけの期間で薄まるかが分からなかった。その間わたくしとクアラが上位貴族の忠告なり苦言なり嫌がらせなりを受けるのは必至だろうし、いちいち対応するのは面倒だった。


 それを「サークル活動」にしてしまえば、一緒にいることを咎められても「サークル活動だから」の一言で事足りる。

 エリオットが言う「サークル」が本当なら、サークルに所属する条件に、無理難題をつけておけばいいのだ。


「それは、一学年でも作れるの?」


 同じように思考を巡らせていたクアラが問うた。エリオットは「作れたはずだよ」と頷く。


「誰でも、どんなのでも作れるって聞いてる。だから、似たようなサークルも結構いっぱいあるみたい。魔法研究系のサークルも多分あるだろうけど、テーマが違うとかって理由で新設できたと思う。

 とはいえ、俺も兄上たちに聞いただけだから、フレディに確認した方がいいかも」


 それで、そういえばエリオットは第三王子なのだった、と思い至る。

 第三王子、ということは、その上に二人、王子がいるのだ。





 アクアピア王家には現在、三人の王子がいる。

 王太子イブラードと、第二王子ウィリアムは現王妃の子供で、第三王子エリオットだけが側妃の子供だった。


 側妃は九年前に亡くなっており、現在のエリオットは後ろ盾がなく不安定な立場にいる。

 側妃の死因は公には病気だとされているが、当時王妃派と側妃派で激しい派閥争いがあったようなので、王妃派に暗殺されたのでは、という噂も囁かれていた。

 そういう事情もあり、エリオットと上の兄王子たちは決裂している――というのが、世間の認識である。


 実際、エリオットは王位継承争いから逃れるように隣国へ留学していた。

 王妃派と側妃派の争いは、側妃が亡くなった現在も貴族を分断しており、旧側妃派の面々は、今は第三王子派としてエリオットを祀り上げようとしている。

 王位継承争いが激化したのは四年前の事で――イブラードが魔法士養成学校を卒業した頃からだった。

 当初、世間ではイブラードが卒業と同時に立太子されると噂されていて、それに第三王子派が強く反発を示したのだ。

 そんな折、何の前触れもなくエリオットが隣国へと留学したため、貴族たちの中ではすっかり「沈静化と身の安全を図るために隣国へ逃げられたのだ」とされている。

 実際がどうだったのかは、わたくしは知らないし、本人に聞くつもりもない。





「……作るなら、わたくしたち以外は入れないような条件を付けないといけないな」


 気軽に他者が触れてよい問題でもあるまい。わたくしは「兄」の発言には触れずに、具体的な話を促した。


「それなら、入りたいと希望者が出た時に、超難解な試験を受けて合格してもらうっていうのはどうかしら」


 クアラもまた聞かなかったことにしたのだろう。

 わたくしの話題転換に追従する形で提案した。


「試験制度はいいかも。それで合格する人なら、実際役に立つかもしれないし」

「助っ人が増えるならそれに越したことはないけど。その場合、身元が安全じゃない人も入る可能性があるから……」


 良い案、とそのまま採用しそうなエリオットに待ったをかける。

 国家機密と言えるような内容なのに、エリオットはどうもその辺りの意識が低い気がする。あるいは、余程自分の見る目に自信があるのか。


(なんか、この殿下なら本当にそんな理由で信じ込んでる気がしてきた……)


 わたくしやクアラについてもそうだ。

 秘密を正しく守らせるなら、あまり推奨されるやり方ではないが、魔法で縛ることもできたはず。王家ならそのくらいの魔法は使用できるだろう。

 だというのに、ただ口頭で協力を取り付けただけで、簡単にわたくしたちを信用している。別にどこかへ情報を流すつもりも、裏切るつもりも毛頭ないが、些か心配になってしまう。


「三人とも、お待たせ……ってどうしたの、渋い顔をして」


 うーむ、と難しい顔をしていると、運河の水を採取し終えたフレディが戻ってきた。

 ふと顔を見上げると、わたくしだけでなくクアラもエリオットも難しい顔をしていて、何かしら考えていたのがわかる。

 代表してエリオットが、「サークルを作ろうかと思うんだ」と答えた。


「サークル?」

「友人同士の集まりってだけだと限界があるだろ。サークルってことにしたら、活動内容によってはサークル室を与えられるし。名目があれば俺も権力を使いやすい。

 ただ、なんて名前のサークルにしようか悩んでて……」

「えっ」


 思わず声を上げた。

 え? と、エリオットがこちらを見る。不思議そうな顔をしていた。


「名前で悩んでたの?」


 問えば、エリオットは首を傾げて「そうだけど」と肯定した。

 然も当然と言わんばかりだ。混乱したのはわたくしだけではなかったようで、クアラも目を丸くしたままぱちりと緩く瞬きをした。


「えっ、二人とも、名前で悩んでたんじゃないの?」


 続けてそんなことを宣う。思わず閉口するわたくしと別に、クアラが言いにくそうに、「いいえ、」と首を振った。


「私は、絶対に他の人が合格できない試験なら、どういうものを作る必要があるかなって……」


 そのままちらりとクアラがこちらを見る。わたくしはゆっくり息を吐きだしてから、「似たようなこと」とだけ答えた。


「あー……なんか、ごめんね。殿下はほら、こういう人だから……」


 フレディが状況を察して、ぽそりと付け足してくれる。“こういう人”で済まされてしまう第三王子でいいのか、という突っ込みは、喉元まで出かかって無理やりに飲み込んだ。

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