16.助手は聞かないことにした

 教室に戻っても、ルシャーナたちが声をかけてくることはなかった。

 エリオットとフレディと共に入ったのが良かったのか、はたまた昼前のエリオットの発言が功を奏したのか。わからなかったが、その日の授業は何の問題もなく終えることが出来た。


 受け取ったボトルを眺めながら、さてどうしようかと考える。

 向かう先はルナエ邸の裏庭に設置した、わたくしの研究室である。


 元は花好きの曾祖母のために作られた温室だったが、曾祖母が亡くなって以降、人が寄り付かず寂れていたので、わたくしが研究室として再利用している。

 温室だけあって空調設備がしっかりしており、広さも十分、時折薬草栽培なども行う関係で、個人的には非常に満足している。

 日当たりが良いので、わたくしは休日にこの研究室でお茶を飲むのがとても好きだった。


「お嬢様、お帰りなさいませ。何かお悩みですか?」


 研究室の扉を開けると、中で作業をしていた侍従のセイクがひょいと顔を出して挨拶をした。

 わたくしは「悩みというか、なんというか」ともごつきながら、持ってきてしまった鞄をソファに置く。


 セイクはわたくしが四歳の頃から仕える侍従である。

 兄のヴェントルより五つも年が上なのに、兄と同い年くらいに見える童顔で、こげ茶の髪に緑の瞳は素朴な印象を与える。鼻から頬にかけて散らばるそばかすが、本人曰くチャームポイントらしく、さらに彼を幼く見せた。

 ルナムペルシャが来るまでは、ルナムペルシャの立ち位置にいたのがセイクだった。

 今でもわたくし付きの侍従として――主に研究方面の手伝いをしてくれている。侍従というより助手のような感じで、気安い間柄だ。

 とはいえ、セイクはルナムペルシャのような態度は取らないし、侍従としての一線は超えてこない。一緒にお茶くらいはするけれど。


「ちょっと、水の中に含まれる魔力の抽出調査を頼まれちゃって。なんの検査にかけようかなと悩んでた」


 言いながら、持っていたボトルを掲げる。

 セイクはわたくしの手から「失礼しますね」とボトルを受け取ると、「確かに魔力がありますね」と首を傾げた。


「どこの水です?」

「ドクトリア運河。学校前を通ってるだろ」


 答えると、ああ、と、セイクが頷く。


「課題にしては専門的ですし。厄介な臭いがしますんで、詳細はお伺いしません。ルナムが把握してるでしょうし」

「そうしてくれると助かる。わたくしも、ちょっとセイクを巻き込みたくはなかったし」


 言いながら、手伝ってもらっている以上「巻き込んでいない」とは言い切れないけど、と心中で呟く。

 セイクもわかっているのか、苦笑を浮かべて魔力抽出機の方に向かった。


 魔力抽出機は、上部に球体の装置、下部に鉄板を載せる台座があって、その間を噴射用のノズルで繋げた装置である。球体の装置には、噴射ノズルと別に排出ノズルと挿入口があり、挿入口から魔力抽出する物質を入れるようになっていた。

 指示をするまでもなく、セイクが挿入口から機械へとぽとぽと水を流しいれていく。「半分くらいですか?」と量だけ聞かれたので、それで構わないと頷いた。


(魔力版は二、三枚作った方がいいかな)


 魔力抽出機、とは言ったものだが、実際抽出された魔力を有効活用することはあまりない。

 大きな研究所などでは人工魔石の製造に用いられているらしいが、製法自体が完全に確立しておらず、公開されていないのだ。

 成功例については何度か新聞で見かけたが、安定製造までは至っておらず、研究を重ねているとあった。


 人工魔石の研究チーム以外は、大抵抽出した魔力を特殊な鉄板に定着させて、“魔力版”を製造して研究に用いている。

 抽出に用いる粉末は、特殊な環境下で生まれるとある鉱石を粉砕して製造されたもので、この鉱石は魔力に“付着”する性質を持つ。

 つまるところ、粉末状にしたそれを魔力に付着させて、目に見えるようにしてしまおう、という機械なのだ。

 そしてこの粉末、熱を加えると金属に結合する性質があって、そのため、研究者たちは粉末の形状保持のため、抽出した魔力を鉄板に吹き付けて、熱を加えて“板”にしてしまうのだ。

 安直だが、それを“魔力版”と呼ぶ。


「セイク、三枚」

「かしこまりました」


 一枚は念のための保管用。もう一枚は観察分析用。最後の一枚は実験に使用しよう、と枚数を決める。準備を終えたセイクが機械のスイッチを入れた。

 球体の中の水に、セットしておいた粉末が混ざり始める。

 何気なく見守っている内に、やがて機械がごうん、ごうん、と音を上げて中身を撹拌し始めた。


「……いつも思うけど、この音だけ何とかしてほしいよなあ」

「最新式は少し静かになったと聞きますけどね」


 ぼんやりとぼやくと、作業を終えたセイクがいそいそと白衣を脱いだ。

 深くソファに座ったままのわたくしを見て、「お嬢様は本当に、お一人だとだらしがない」と苦笑を浮かべる。

 それから、薬缶に水を入れてコンロに置いた。お茶を入れてくれるらしい。


「ご友人は出来ましたか?」

「ソーノス家のクアラ様と親しくなった」

「おや」


 伝えると、セイクは少し意外そうな顔をする。


「ソーノス伯爵のご令嬢、クアラ様ですか。それは、良いご縁ですね」


 驚いたことを隠すように、セイクが小さく笑みを浮かべる。

 どうせ、わたくしが友人をつくらず勉学にのめり込むと思ったのだろう。

 あながち間違いではない。エリオットに絡まれなければ、きっとセイクの予想通り、一時間目から六時間目までびっしりと授業をねじ込んだだろうし、どのご令嬢とも交友関係を結ぶことはなかっただろう。

 せいぜいが、同じクラスの公爵令嬢グループ――ルシャーナやメディア――に派閥に誘われるくらいだ。

 そして、わたくしはどちらの派閥につくつもりもないので、どちらとも親交を深めることはなかっただろう。

 お茶会や夜会の席ならともかく、ただ同じクラスにいるというだけで、何の関わりもない異性同士が親密に話すこともない。

 それは婚約者、あるいは恋人同士とみなされるし、家の取り決め以外のそうした関係を貴族は嫌う。

 本来であれば、進学当日にエリオットがわたくしに声をかけてきたのだってマナー違反だ。妙な噂にならなかったのは、相手がエリオット――第三王子――だったからに他ならない。


 一瞬、エリオットとその侍従・フレディと親しくなったことを話してしまおうか、考える。

 黙っていてもその内噂は回ってくる。

 エリオットからの国家機密は話すわけにはいかないけれど、王子と仲良くなったという事実だけなら話しても良いのでは。


「あ、待ってください、お嬢様、今何かあんまり楽しくない話をしようとされてません?」


 薬缶が軽快な音を立てて沸騰を知らせる。セイクがすぐさま湯をポットへと移し替えた。

 カップを温めながら、ポットの中の湯が適温になるのを待つ。

 用意されたカップが二つ分であることに思わず笑った。


「セイクは聞きたくないだろうけど、わたくしは話したいから話すぞ」


 “楽しくない”といったって、どうせセイクもルナムペルシャと一緒にわたくしを揶揄うに違いない。そして二人とも、わたくしがエリオットの婚約者になんかなりたくないと――むしろ迷惑がっていると――充分理解しているのだ。


「お茶を入れてくれるんだろ? わたくしの新しい友人について、聞かせてあげようじゃないか」


 にやりと笑って言うと、ポット越しにこちらを見たセイクが少し嫌そうな顔をした。

 表情ばかり嫌そうだったが、二つあるカップのうち、一つはセイク自身のものなのだから、やっぱりわたくしは笑うばかりだった。

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