17.公爵令嬢はサークルに入りたい
「ルナエ様、少しよろしくて?」
翌日、教室に入るなりルシャーナに声をかけられた。
朝早い時間のため、教室にはわたくしとルシャーナと、もう一人くらいしかいない。もう一人、は侯爵家の男子生徒で、わたくしとは家同士の繋がりもなかった。
ルシャーナがわたくしに声をかけたので、男子生徒の視線がちらりとこちらを向いた。すぐに逸らされたが、気にしているのがわかる。
(まあ、昨日の事もあるしなあ)
昨日の昼、教室には全員が残っていたから、わたくしとルシャーナの会話も聞いていただろう。当然、そこに割って入ったエリオットについても。また何かあるのか、と気になるのは仕方がない。
わたくしだって、まだ何か言いたいことがあるのか、と少しだけうんざりしている。
「スプレンダー様、おはようございます。どうかされましたか?」
とはいえ、わたくしに非があっての事ではないし、ルシャーナもそれは理解している。
挨拶をしたわたくしにルシャーナは少しだけ驚いた顔をして、すぐさま「おはようございます、ルナエ様」と返した。
「昨日、聞いた話なのですけれど」
そのまま、少し顔を寄せる。
その分声がひっそりと小さくなって、わたくしは思わず瞬きをした。
「エリオット殿下が、あなたたちとサークルを作られるらしい、と。サークル活動なされるのなら、わたくしも参加できるのかしら」
教室内の男子生徒には聞こえないように、小さな小さな声で問う。
わたくしは驚いてルシャーナの顔を見上げた。身長の低いわたくしは、大抵の人の事を少し見上げなければならない。
ルシャーナはその黄金色の瞳を困った様子でたれ下げて、どうかしら、と続けて問う。
元々猫目な方だと思っていたが、そうするとますます猫のような瞳だ。顔立ちがはっきりしている美人なだけに、垂れた猫目は素直に可愛らしいと思った。
それにしても話が早い。
あの場で話したことを誰かが口にするとも思えないので、外部に漏れたのはサークル設立の準備を進めたからだ。昨日はランチタイムとそのあとの時間しか話をしていないので、放課後にフレディが手配したのだろう。
サークルの作り方などわたくしは知らないが、学内活動なら間違いなく学校への申請が必要なはず。
その話をキャッチするのが随分早い。
フレディが放課後に設立申請をしたとして、受理には少し時間がかかるはず。
ついで、エリオットが関わるサークルの申請なら、情報の取り扱いは通常よりも慎重になるはずだった。設立前に参加希望が殺到しても困るだろうし、フレディだってその辺りは注意深く動いたはずだ。
だというのに、ルシャーナが情報を持っているということは、余程学内情報に詳しい伝手を持っているか、優秀な“影”がいるかのどちらかだろう。
さすがはスプレンダー公爵家と言うべきか、わたくしは押し黙った。
「それとも、あなたはご存じない?」
わたくしの様子を見て、ルシャーナがやや不安そうに瞳を揺らす。慌ててわたくしは首を振った。
ここで知らないことにしてしまったら、いざサークルが始まった時、初期メンバーにわたくしがいることが不自然になってしまう。
ルシャーナに嘘を吐いた、と後々指摘されることの方がリスクは高く、なら知っているとしたうえで、申請状況は知らない、と正直に話すのが一番だろう。
「話が出たので、準備をされているだろう、とは知っています。ただ、昨日の今日で、もう申請されたのかと驚いてしまって」
慌てて弁明すると、ルシャーナは「そうだったの」と表情を緩めた。
「それで、参加方法は?」
「あ、いえ、ですから、まだ何も、どのようになるのか、知らなくて……活動内容が、魔法研究に関わること、ということしか……」
答えると、ルシャーナは目に見えてがっかりした様子を見せた。普段、きっちりと感情を見せないルシャーナにしては珍しい。
思わず、「大丈夫ですか?」と声をかけてしまった。
「大丈夫ですわ……分からないことを聞いてごめんなさいね。でも、参加方法がわかったらわたくしにも教えてくれるかしら」
(たぶん、教えても通らないと思うけど)
思ったが、それは口には出さないで、わたくしは「勿論ですわ」と頷いた。
「ありがとう。ルナエ様は、本当に殿下の事を何とも思っていらっしゃらないのね」
ルシャーナは漸く少し笑みを浮かべると、次いで、と言わんばかりにそんなことを言う。
「何とも」の部分に感情が入っていた気がして、わたくしは首を傾げそうになるのを堪えた。
わたくしにそう聞くということは、ルシャーナは「何とも」思っているということなのだろうか。
「わたくしでは、身分も釣り合いませんし、何よりわたくしは研究が大好きですので……研究のし過ぎで婚約者になってくださる方が見つからないほどですから」
これは嘘ではない。
十二歳のデビュタント以降、わたくしへの縁談もいくつか入っているのだが、中々まとまらないでいる。
というのも、わたくしが婚約者となる方へ自分の論文を送り付け、意見交流を求めてしまうからなのだが……大抵、一度のお見合いで破談してしまうので、両親からは「もう研究所の職員と見合いでもしたらどうか」と言われている。
わたくしとしても、そちらの方が気の合う方が見つかりそうでいいなと思っている。
ただ、研究所――国立精霊魔法研究所――の職員は、多くが爵位のない貴族の三男や四男といった方々で、二割ほどが平民出身にあたる。わたくしは爵位には拘らないし、前の生では平民だったのだから正直身分にも拘らない。
許されるなら卒業後はわたくしも研究所に入って働きたいと思っているくらいで、貴族でなくとも働いて暮らせるならそれで良いと思っている。
とはいえ、家としてはそうもいかない。
ルナエ伯爵家は建国から続く古い家柄の、いわゆる「名家」のひとつで、姉も公爵家へと嫁いでいる。もう少し兄弟が多ければ、一人くらい研究馬鹿でいてもいいかな、と思うのだが、三人兄弟ならそうもいかないだろう。
貴族の噂は風よりも早いし、身内の噂は親族全体の汚点になる。
そういうわけで、わたくしの婚約問題についても両親は頭を悩ませているようだった。
ルシャーナ様は少し意外そうな顔をしたが、わたくしが論文を出していることを思い出したらしい。「そういえばそうでしたわね」と苦笑交じりに言った。
「とはいえ、結婚しないわけにもいかないでしょう。殿下とのことを取り持ってくださったら、わたくし、良い方をご紹介してさしあげましてよ」
それから少しだけ考えて、そんなことを言う。
取り持つ、がどの程度の事を言うのかわからないが、わたくしは曖昧に笑って「ご心配には及びません」と首を振った。
「家同士の事ですので、わたくしの一存では決められないことですし。参加の件に関しては、わたくしよりスプレンダー様の方が早くお知りになるかもしれませんが……分かりましたらお伝えいたしますね」
話は終わりだ、と、意思を込めて礼をする。
ルシャーナはさらに何か言いたげな顔をしていたが、わたくしがそうして頭を下げたので「頼みましたよ」とこちらに背中を向けた。
ちょうど、四人目のクラスメイトが教室に入ってきたところだった。
(なんというか、怖いなあ)
ルシャーナが席に戻るのを見届けてから、漸く自分の席につく。
鞄を置いたらどっと疲れが来たようで、ため息を吐きそうになるのをぐっと堪えた。
貴族社会で情報は命だ。いかに早く情報を得るか、得た情報をどのタイミングで、どのように使うか。
恐らくサークルの情報はルシャーナが最速で掴んだと思われるが(何せわたくしも話が進んでいると知らなかった)、すぐに切り込んでくるとは思わなかった。
ルシャーナの誤算としては、わたくしが設立申請に関わっていなかったことだろう。
あるいは、どの程度話が進んでいるのか把握したかったのかもしれない。まさかすぐさま、サークルの話から婚約者の話にすり替えられるとは思わなかったけど。
(どの道、卒業まで結婚のことは考えたくないなあ)
昔ほど政略結婚の色は薄れているものの、今だって全くないわけではない。
恋愛結婚だって家柄は重視されるし、家同士の繋がりや利点などは考慮される。同じ条件で二人の候補者だったなら、感情面を優先しても許されるが、片や平民、片や身分の釣り合う人、となったら感情は押し殺される。相手に余程の難がなければ難しい。
昨日、エリオットも「卒業後は魔法研に進みたい」などと言っていたが、気持ちだけは十分理解できた。
好きな事だけして暮らしていけるならそれが一番いいだろう。
(身分に釣り合いの取れる、殿下みたいな男性がいたら楽なんだけどな)
考えても詮無いことだ。
何気なく視線を扉の方へ向けると、のんびりした様子のエリオットとフレディがやってきたので――なんとなく、気まずくなって目を逸らした。
他意はない。本当に。
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