19.令嬢は平均を知らない
実技科目の授業が始まった。
魔法士養成学校魔法課程の実技科目は、「魔法実技」と「精霊学」の二科目にあたる。
このうち、実際に“魔法を使う”のは「魔法実技」の方で、「精霊学」は精霊との契約についてを実践的に学んでいく。
といっても、ハイクラス所属の生徒は殆ど精霊契約済みである。
稀に精霊契約をしたことがない・するつもりがない生徒がいるようだが、魔法自体は必ずしも契約しなければ使えないというわけではなかった。
要は精霊から力を借りることが出来ればいいだけなので、その辺にいる精霊に声をかけ、魔法発動を手伝ってもらえれば事足りるのだ。
最も、一般的なことではない。ごく稀にそのような生徒がいる、というだけで、学術的に解明されているわけでも、広く知れ渡っているわけでもない。
そもそも精霊と意思疎通を図ることが困難なのだ。
「精霊契約をお済でない方はいらっしゃいますか」
グラウンドに集まった生徒十名を見回しながら、教師が優しく声をかけた。
名乗り出る者は誰もいない。教師は満足そうに頷いた。
「よろしい。精霊契約がなされているということは、皆さん一度は魔法を使ったことがあるかと思います。精霊と取り交わしを行う時に用いるのも、契約の魔法ですね。
契約の魔法以外で、使ったことがない方は?」
こちらにも誰も答えなかった。何人かが首を振る。再び教師は頷いた。
「みなさんの結ばれた精霊が、果たしてどの程度の種類の魔法を使えるのか、どのくらいの威力が正しい魔法なのか、というところは、精霊学で学びましょう。
今日は、そもそも魔法を発動するために必要な、魔力の操作についてを学びます」
誰かが「魔力の操作?」と繰り返した。あまりピンとこないのだろう。
この世界の魔法は精霊との契約によって、精霊が使える魔法を「借りる」ことで発動する。
その性質故か、魔力、というものがあまり重視されていない。
いや、重視はされているのだが、精霊契約を行えるか・否かという入り口の判断でしか使われていないのだ。
実際には少し違う。
使う魔法は精霊のものだが、そのエネルギーとなるのはわたくしたちの魔力である。強く出力すれば強い魔法が出るし、弱く出力すればそれだけささやかな魔法になる。
当然、魔法それぞれに最適な魔力量が存在するから、誤差の範囲はあれど多すぎても少なすぎても良くはない。
(制御からやるのか、さすが魔法士養成学校)
地方の学校では、この制御を疎かにすることが間々あると聞く。
貴族が雇う家庭教師の中にも、魔力制御を軽視して教えない教師がいるらしい。
魔法単位で最適量はあれど、発動しないわけではないし、余程多すぎたり、少なすぎたりしなければ目に見えて差が出るわけでもない。
これはルナムペルシャの言だが、余剰に出力したらその分を精霊がおやつ代わりに食べることもあるらしい。
精霊側が調整してくれるならわたくしたち人間が魔力を制御する必要はあまりない。そう考える人々が中にはいるようだった。
(まあ、そういうわけにもいかないよな)
わたくしたちの体がエネルギー源ならば、どれだけ効率的に、少量の魔力で大きな威力の魔法を使えるかが魔法士としては鍵になる。魔力切れを起こしては命に関わるからだ。
あるいは、暴発という例もある。少量でよいはずの魔法に過分に魔力を与えすぎて、意図せぬ威力を発揮した結果、魔法士をも巻き込んで爆発を起こすというものだ。
後方に並ぶわたくしには見えなかったが、前の生徒の何人かが不満げな表情を見せたのだろう。教師がそのようなことをつらつらと述べた。
ハイクラスの生徒なら、大体が家庭教師に基礎を学んでいるけれど、家庭教師は魔法士養成学校に入学したらその任を外れる。
一般課程の三年間で基礎鍛錬を疎かにしていたら、すぐに制御は緩くなってしまうだろう。
「ただ、皆さんが不満に思うのもわかります。せっかく魔法実技の時間ですし、魔法を使いたいでしょう。
というわけで、今より火の魔法を使っていただきます」
ぱん、と手を叩いて教師が全員の注目を集めた。
そのまま、「ファ・キ・ニエマ」と火をともす呪文を告げる。
教師が合わせた掌をぱっと広げた時には、掌と掌の真ん中にだいだい色の火の玉が浮かんでいた。
ちょうど拳くらいの大きさ。大きさは変わることなく、ゆらゆらと暖かそうだ。
「精霊には属性があると言われていますが、基本的に得手不得手があるだけで、どの精霊もあらゆる属性の魔法を使うことが出来るとされています。もちろん、その精霊が持っている魔法に限りますが。
その中で、四大属性の基礎的な魔法については、程度の差があれ、全ての精霊が持っている、と言われています。水の魔法、火の魔法、土の魔法、風の魔法ですね」
教師の説明に何人かが頷く。わたくしも頷いた。
「皆さんにはこの火の魔法を使って、私が今しているように、火の玉を作っていただきます。
ただし、火の玉の大きさはご自分の拳くらいの大きさ。小さすぎても大きすぎてもいけません。この大きさのまま、十分間維持してください」
なるほど、魔力の制御にちょうどいいなと思った。
教師が再び生徒たちをぐるりと見回す。
授業なのでわたくしたちは言われたことをやるだけなのだが、身分の高い生徒ばかりなので配慮してくれているらしい。
誰にも不満がないのを見て取って、それでは、と、生み出した火の玉をかき消した。
「始めましょう。私が見て回りますから、間隔を開けて、自由な場所でやっていただいて構いません。どうぞ」
生徒がそろそろと動き出す。互いに様子を見ながらばらける中、わたくしは校舎近くの花壇の前に陣取った。
端の位置なので、クラス全体の様子がよく見える。
「アリア、隣いい?」
と、思ったら、エリオットとフレディがやってきた。
同じクラスなので同じ授業を受けているのは当然なのだが、あまり寄って来られても困るなあ、とフレディを見る。フレディは肩を竦めただけだった。
今までの流れを見ても、エリオットに「他の方のところへどうぞ」と言ったところで聞かないだろう。ただルシャーナからの視線を感じて、頷くわけにもいかず、わたくしは少しだけ肩を竦めた。
好きにして、と、言外の言葉は伝わったらしかった。
はじめ、という声かけと同時に、あちらこちらから火の魔法の呪文が聞こえる。
わたくしも両手を胸の前に出しながら、「イーニス」と短く呪文を言った。
右手と左手の間に、ぽう、と火の玉が現れる。だいだい色の火は暖かい。大きさはちょうどわたくしの拳くらいの大きさ。教師を真似て両手で覆っていたが、別段片手でも問題ないので、右手を握って大きさを確認してみた。
ぴったりだが、その小ささに少しだけ不満に思う。
(背も小さいしなあ。幼児体型だし)
別に体型にコンプレックスがあるわけではないけれど。
もう少し背が高かったらよかったなあ、と思うことはある。いつまでたっても子供扱いされがちなのだ。
体型よりも手の小ささの方が少しショックに感じる。
隣をちらりと見たら、エリオットの火の玉はわたくしのより一回り大きかった。
実際、エリオットは身長も高いし、掌も大きい。
手が小さいのは実験に不向きで(断じて、単に不器用なわけではない。多分。きっと)大きな機材を使おうとするとどうしてもまごついてしまう。
まあ、セイクには「お嬢様が扱う必要はございません!」としょっちゅう止められるので、手が大きくても結果は同じだったかも知れない。
それに、どうしたって違和感を覚えてしまうのは、前の生が男であったためだろう。
家族や親戚、屋敷の者たちに「お嬢様は可愛らしい」と褒められるたび、どうにも居心地の悪い思いがする。
子供の頃はまだよかった、子供は男女関係なく「可愛い」と言われるものだし、身長だって、これから伸びるのだと期待できた。
(でもなあ、もう十五だしなあ)
女の成長期ならそろそろ止まってしまうだろう。
父や兄・姉は平均的な身長だが、母は明らかに身長が低い。童顔なのでわたくしと並んでいると姉妹に間違えられるほどだ。
わたくしは母に似ているらしいので、きっとこれ以上伸びることはないだろう。
はあ、とため息を吐いたところで、エリオットが不思議そうにこちらを見やった。
「どうかした? うまく……できてるね、うん」
気遣うようにわたくしの手元を見て、全く揺れ動かぬ火の玉に苦笑を浮かべる。
エリオットの玉の方は、そうして笑うと僅かに大きさが揺らめくようだった。
「制御は慣れてるから、このくらいだったら十分と言わず何日も保てると思うけど」
魔力が続く限り、と肩を竦めると、エリオットが更に苦笑の色を深める。
フレディが呆れた様子で、「そういうところだよ、アリア」と言った。
何が“そういうところ”なのか? 問い返そうとするより早く、「ルナエさん!」と教師がこちらに寄ってきた。
「すごくきれいな火の玉です! 私の授業で最初にこの完成度の玉を出したのはあなたがはじめて……! 大きさの確認をしても!?」
ずい、と興奮したように顔を寄せて、教師がわたくしの手首をがしりと掴んだ。
教師と生徒とはいえ、些か失礼じゃないだろうか。
思ったが勢いに飲まれてしまって、わたくしは「はあ、」と曖昧に声を上げた。
「すごい、手首を掴んでも大きさがぶれない! 火は……あつい!! ちゃんと魔法ですね!」
ちゃんと魔法ですね、って。
あんまりな言い草にぽかんと教師を見上げる。先ほどまでは穏やかに授業を進行していたはずなのだが。
「……先生、ルナエ嬢が痛がっています」
「えっ! あ、そうですね、すみません。これはとんだ失礼を」
わたくしが黙り込んでいるので、見かねたエリオットが注意した。
強い力で手首を握り込んでいたのに気づいたのだろう、教師がぱっと手を離す。
接触はなくなったが、教師はなおも熱のこもった目でこちらを見ていた。思わず頬が引きつる。
「あの……?」
教師だって、先ほど微動だにしない火の玉を生み出して見せたはず。エリオットだって綺麗な火の玉を作っていた。
ただ、どうも、反応が何かおかしい。わたくしはぐるりと周囲の状況を伺った。
クラス全体が見えるように、と陣取った場所だったので、実際全員の手元がよく見えた。
教師の大声のせいで視線はこちらに向いていたが、皆手元に火をともしたままだ。
エリオットとフレディを除いて七人。
火を出せない人はいないようだったが、大きさはまちまちだった。
無理やり拳サイズにしようとしているせいで、掲げていても火の玉はゆらゆら揺らいで大きくなったり小さくなったり。あるいは、魔力が強すぎて顔程の大きさになっていたり。逆に、小さすぎて指先に灯すくらいの火の玉になっていたり。
ぐにゃぐにゃと形を変えてとどまらぬ火の玉に、クラスメイト達は翻弄されているようだった。
(えっ、でも殿下は?)
もう一度、隣を見る。
エリオットの手元はきちんと火の玉が出来ている、が、わたくしの玉のようにぴたりと動かぬような正確さは見られない。炎の揺らめき、以上の揺れが目に見える。
すっと視線をずらしてフレディを見ても、大体エリオットと同じくらいの出来だった。
大きさは綺麗、ただ制御し慣れていないせいで、流し込む魔力にムラがあるのだと思われる。
では自分の火の玉は? と、わたくしは手元を覗き込んだ。
魔力制御は無意識で常時行うようにしている。考え事をしていても、呆然としていても、わたくしの体は定めた一定量の魔力をピンポイントに放出できる。
火の玉は欠片も揺らいでいなかった。
ぴたり、と、まるで透明なガラス球の中に炎を閉じ込めたみたいに。
「……」
それを熱心に教師が見つめているので。
思わず消した。「ああ!」と悲鳴が上がったが無視をした。何が“そういうところ”なのか不本意ながら理解して、むすりと顔を顰める。
どうやら、ハイクラス初年度ならば、魔力制御はほぼできないのが常らしかった。
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