第35話 中古の彼女を愛せますか?

 瑠璃乃に支えてもらったから耐えられた、あの時の元同級生の視線。永遠は、それと同質の視線を赤木から向けられていると改めて感じ、震えが加速してしまう。


 だが、今は瑠璃乃はいない。見えない圧にも押し潰されそうになる。


「乙職っつう、お嬢ちゃんみたいな子といられる仕事にありつけた。なのに、この有様……。言動全てが中途半端で、とても求められた役割を全うしてるとは思えねえな」


 これ見よがしに赤木が俯き、深々と嘆息してから尚も続ける。


「どんなに馬鹿にされようと役割は役割だ。なのに君はせっかく与えられた役割も中途半端に震えてるだけ。震えるのは地面だけにしてほしいってもんだぜ」


 皮肉たっぷりに片方の口角を上げると、赤木が視界に表示される減っていく一方のカウントに目を遣った。


「……地層の活性化、地殻変動の兆候、異常気象……理由は複合的らしいけど、確実に言えることは地球は今、震えて、悶えてる。だからどうしても今日のみたいな強力なエイオンベートが現れて、それを抑えるためにもっと強いアザレアージュが必要になった。それがお嬢ちゃんだ。で、そのお嬢ちゃんを起こしてられるのが君って訳だな」


 話の内容が思考に上るのかどうかも怪しい状態で永遠は目を泳がせている。


「何で君なのか? 理由は簡単。前任者と脳の構造が似通っていたからだ。おかげでお嬢ちゃんの好みにベストマッチしたエルイオンを出せる。たったそれだけ。義務も大義も必要無い、君にとっちゃつっ立てるだけでいい楽な仕事なはずだ。本当にたったそれだけの仕事……なのになのにのテイタラク。愚痴の一つも言わせてくれよ」


 吐き捨てるように言った後、赤木が特大の溜息を吐き出す。


 それを聞いた永遠の胸が締め付けられた。息が上手くできない。息苦しいのに大声で叫びたくなる。針のむしろの中、どんどん追い詰められていく。


「……いい加減、怒ってもいいんだぞ? 何か言い返すことはないか?」


 押し黙ってしまった永遠から反論を期待するように、赤木が下を向き続ける永遠を覗き込む。


「はぁ~~。もういいや。君はよく気張ったほうだと思う。中途半端とは言え、お嬢ちゃんと一緒に戦った。でも、ここらが潮時、引き際だ。家に帰って、元通りの生活に戻ったほうがいいんじゃないか?」


 自分の選択が根こそぎ否定されるようで、永遠は赤木に強い恐怖を覚えて戦慄する。


「家に帰りな。そんで今日のことは忘れて安心安全な変わらない毎日を繰り返していけばいい。うちの弱者なら食ってくのと小遣い程度なら一生涯保証できるし、その方が絶対に君のためだ」


 気遣いの言葉のはずなのに、赤木の口から出てくるそれらは酷く冷たい。


「世間の本音に目を向けない限り、誰も君を責めやしないさ。表面上は。逃げ帰ることに罪悪感を覚える必要もない。しょうがない。本当にしょうがないことなんだ。なんてったって君は、可哀想な弱者なんだからな」


 赤木がそう言って、永遠の肩を二回叩く。その振動は死刑宣告のように永遠を凍てつかせ、大きく揺さぶった。


「じゃ、優しい人じゃない人が、もう一度訊くぞ? 今日の出来事を踏まえて、それでも、あなたは弱者であることを受け容れますか?」


 赤木の問いに、永遠は息が止まったような気がした。それほど今日は、現代の弱者の、普通ではない者の立ち位置を実感させられたからだった。だから、とても『はい』と答えられない。


「迷ったな。決心が揺らいだな。無理もないってところだろうさ」


 赤木は諭すように言ってから、永遠に寄り、耳元にそっと囁やきかける。


「……お嬢ちゃんと出会ったこと、後悔してるんだろ?」


 その言葉を耳にした刹那、永遠の目が見開かれ、目端の涙が弾かれた。


 見開かれた双眸……心の窓の奥には、瑠璃乃との今日が映し出されている。一緒に過ごした彼女のたくさんの笑顔のスライドショーが浮かんでいた。


 同時に、胸に残滓のように残っていた温もりの体積が膨張するように大きくなった感覚を覚える。


――思い出して――

――思い出せ――


 意味は同じで、出所も隣り合う強い想いが永遠を突き動かす。


 外に連れ出し、笑顔をくれた。甘い動悸をもらった。安らぎまで与えてくれた。


 そんな彼女との出会いを後悔することは、瑠璃乃が向けてくれた笑顔を否定してしまうことになる。


 それは自分自身だけでなく、自分のために生まれ持った在り方まで変えて接してくれた瑠璃乃までねつけるようなことになってしまう気がした。


 それだけはしてはいけない。


 ここは絶対に頷いていい場面じゃない。


 瑠璃乃の残滓が最後の力を振り絞ったからなのか、永遠の芯がしなやかさと熱を帯びていく。


 永遠は怖じける体を奮い立たせ、グッと奥歯を噛み締めて、


「そっ‼ …………っんなことは……ないですっ」


 辛うじて息を吸い込み、声を上げた。


 涙を蓄え、震えながらも赤木の顔をしっかりと見据えている。


 赤木に見下ろされるのが分かると、また反射的にすくんで顔を伏せてしまっても、何とか声だけは絞り出していく。


「……ぼっ、僕は結局キモいやつなんです。だから今、最低だけど、残念な気持ちを持ってます。でも、この際そんなの関係ない……です。瑠璃乃に傍にいてもらって分かりました。隣に居るだけで、怖いのと不安が軽くなったんです。それだけでも充分なのに、瑠璃乃も僕を必用としてくれた。今も必用としてくれてる。すごく久しぶりです。自分にも価値があるんだって思えたの……」


 永遠は赤木だけに対してだけでなく、自分の想いを確かめるように吐露していく。


「わたしを自由にしてくれてありがとう……笑ってそう言ってくれたあの子との出会い、後悔なんて絶対にないっ。……今日は怖かったです。でも、それ以上に楽しかったっ。なら怖くても忘れたくないっ。瑠璃乃がくれた想い出の一部なら、怖いとしても、むしろ忘れちゃ駄目なんですっ!」


 真心と呼べる言葉に、耳を傾けていた赤木の視線にあった棘が丸みを帯びていく。


「……だから、どんな理由があったにしても、今日の僕をくれたあの子にまた会いたいです。僕も何かお返ししたいです。だから……家には帰れません」


 勢いよく顔を上げる永遠の目は、今度は赤木を捉え、しっかりと見据えたままだった。


「……ふふっ、なかなか男の子やってるじゃねえかよ」


 赤木は永遠から顔を逸らし、口を拳で押さえて、嬉しそうに吹き出した。


 そして、彼の決意を汲んで意を改めた赤木は佇まいを正し、永遠に向き直る。顔付きは目に見えて柔和なものへと変わっていた。


「お嬢ちゃんの真実を知っても、君はまたあの子に会いたいって思うか?」


 永遠は、ゆっくりと、しかし迷うことなく頷く。


「そうかそうか。じゃあ改めて訊くぞ? 君はあの子を……」


 赤木は一息置いた後、神妙で真剣な口ぶりで、


「中古の彼女を愛せますか?」


 きつい表現で尋ねた。


「愛する……とかは、まだ早いけど、僕はあの子のことを外見だけじゃなくて……良い子だって思ってます。大切なパートナーです。だから僕はあの子を……受け容れられます」


「……あの子と一緒にいる事を選べば、理不尽に責め立てられる理由もケースも実際多くなる。その覚悟はあるか?」


 胸に宿った温もりが体を巡る。

 これは瑠璃乃が残していってくれた灯火だ。

 永遠は自ら選んだ道を、瑠璃乃がくれた灯火を頼りに歩いて行く決意を赤木としっかりと目を合わせ、伝える。


「……はい。僕は、あの子と一緒にいたいです」


「――その言葉を待っていたっ‼――」


 離れて停車しているトレーラーから、腹の底からの喝采の声を博士が永遠に向けて放った。


 永遠が振り向くと、博士が凄まじく遅い脚で走って向かってくるのが映る。


「人は、誰かに認めてもらって足場を固める事が出来る! 君があの子から足場をもらったように、君もあの子を支えてやってくれ!」


 駆けながら大声で語りかける博士は尋常ではない発汗をみせている。


「お互いを必用とし、お互いがお互いの居場所となって、二人の尊厳を高め合う! 願わくば、あの子が君にそうしたように、君もあの子の在り方を認めてやってほしい!」


 走りながら一息で永遠に言い放つと、博士は顔を真っ青に染める。永遠のもとに辿り着いた時には息も絶え絶えに浅い呼吸を繰り返していた。息切れを抑え込んでの捲し立てだったものだから、とても苦しそうだ。


 博士の様子を見て不謹慎と思いつつも、永遠は気が楽になるのを感じた。それにおかげで瑠璃乃に伝えるべき言葉がハッキリと視えた。だから、思いの外軽くなった肩で、固さの取れた顔で、博士に問いかける。


「……できますか? こんな僕にも」


 出来る出来ないの問題ではなかった。永遠自身の迷いは消え、出来ることをやろうと決意していた。その上で自分の情けなさを自認しつつも、この優しいからこそ損ねてしまう大人からの肯定の言葉を聞きたかった。だから、もう一押しを博士に求める。


「……瑠璃乃が目覚めたのは奇跡と言っていい。だからこそ、その問いへの答えは簡単だ。奇跡は必ずまた起きる。その準備は君が整えてくれたからだ。あの子の真実を知ったうえで受け止め、受け容れてくれた。絆を築いて、投げ出さないでくれたんだ。今の君なら、誰よりも優れたモーニングコールを贈ることが出来るだろう。有り難い。僕はそれが本当に有り難い」


 真摯として柔らかい瞳で語る博士の言葉を、永遠は静かに聞き入れる。


「中途半端な負い目から真実を告げず、結果的に君を偽り、利用するような事をした僕が言えた義理じゃない。でも、どうか、あの子を……よろしくお願いします」


 博士は猫背気味の背筋を真っ直ぐに正し、永遠に向かって深々と頭を下げた。


 その行為に含まれる様々な思いは永遠でも理解できる。この人は瑠璃乃のことを心から大切にしている。そして自分のことも必用としてくれている。パートナーとは別の新しい縁だ。


 永遠は博士の誠意にも応えるため、出来るだけ大きな声を出す。


「はいっ!」


 返事の後、永遠はトレーラーに向かって駆け出す。その後ろ姿を博士と赤木が目を細めて見送った。


 遅い脚を一生懸命に動かしてトレーラーに辿り着き、車内に永遠が入っていくのを見届けると、赤木は博士に向き直って素早く深く頭を下げる。


「時間が無かったとはいえ、焚き付けるような真似して、すみませんでしたっ!」


「いや、謝らないといけないのは僕のほうだよ。強い想いで供給ラインを呼び起こすには、置かれた現実を受け容れ、乗り越えたうえでの絆の再形成が必要だった。けど、僕にはそれがどうしても出来なかった。彼を信じきれていなかったのかもしれないね……。心に偽りは無かった。けれど、道理なんて聞こえの良い欺瞞いいわけのようなもので彼を傷付ける可能性を誤魔化し、瑠璃乃を拒絶されることを恐れた卑怯な臆病者と言われても致し方ない……」


 博士が目を伏して、忸怩たる表情で呟く。


「だから、臆病者の僕の代わりに嫌われ役を買って出てくれてありがとう、赤木君」 


「恐縮です。でも俺、学芸会でも村人Aとかしかやったことないんで、やっぱり荷が重かったっす」


「ははっ。お礼と言ってはなんだけど、今度、食事でもどうだい?」


「マジですか⁉ じゃあ俺、焼肉食いたいです!」


「分かった。いいお店を聞いておくよ」


「ごちそうになります!」


「あっ、もちろん会計は別だよ?」


 赤木の笑顔が引きつっていった。

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