第30話 わたしが、わたしでいちゃダメなのかな?

「あれ? 瑠璃乃、なんか体が……体から何か漏れてるよ?」


 瑠璃乃の異変を一番最初に気付いたのは傍にいた永遠だった。彼女の体のそこかしこから霧のような光が漏れていたのだ。


 その霧はエルイオンの光。それを永遠が思い出したのと同時に、瑠璃乃が地面に両膝をついた。まるで全身の力が抜けて崩れ落ちたようだった。


 突然のことに永遠は瑠璃乃を支える事が出来なかった。


「博士! コアが再始動してます!」


 モニターに表示されるエイオンベートのシルエット。その中心部に再び、消えていたはずの至極色しごくいろの球体が浮かんだことを弥生が告げる。


 その表示に間違いは無い。消えたはずのエイオンベートの心臓部である直径1メートルほどの至極色をした球体、コアが、気がつけば再現され、空中に浮かび上がっていた。


「コアの消失はフェイントだったのか⁉」


 エイオンベートの戦略を看過してしまったことを博士が悔いた。


 瑠璃乃の様子がおかしい。やっと認識が追いついてきた永遠が、瑠璃乃の名を呼ぶ。


 しかし、彼女の目は虚ろで、反応を示さない。


 体に力が入らないのか、握っていたナグハートも手から滑り落ち、少しずつ体が前のめりに倒れる兆候をみせている。


 今度は支えなければと永遠が足を踏み出そうとする。


 だが、間に合わなかった。


 永遠が瑠璃乃に触れるより先に、エイオンベートの巨拳が彼女を撃ち抜いた。


 いつの間にかに巨体を再現させた巨人の強烈なアッパーカットをまともに受けた瑠璃乃が円を描いて宙を舞う。


 衝撃の風圧によって永遠の足元がフワリと舞い上がり、目を反射的に閉じ、不格好に後方に尻餅をついて倒れる。


 痛いと言っている場合ではない。永遠は瑠璃乃を目で追った。


 彼女は、空へ打ち上げられ、ピクリとも動かず、脱力し、手脚はブラリと、されるがままに放り上げらていた。


「瑠璃乃っ!」


 部隊員に抱えられて退避する永遠が叫んでも、瑠璃乃は何の反応もない。


 初撃の勢いの頂点に達し、上昇から落下へ。


 瑠璃乃が、内部が水で満たされただけの人形のように落ちてくる。


 エイオンベートの頭部まで落ちてきた瞬間、巨人はその巨体を超高速に縦回転させ、渾身の浴びせ蹴りを瑠璃乃に炸裂させた。


 エイオンベートの踵に圧されたまま、瑠璃乃が地面に叩きつけられる。


 凄まじい打撃音が轟き、クレーターが形成される。


 クレーターの中心で横倒しになったまま埋没し、動かない瑠璃乃を目にして、永遠は吸った息を吐けないまま目を剥いた。


「やっ、止め――」


 永遠が言い切るよりも前に、エイオンベートが拳を二つとも握り込み、頭部より上に構えた直後、腰を折った体勢で苛烈な乱打を瑠璃乃に振り下ろした。


 連続した掘削音が唸り、クレーターの内部が破片となって舞い上がる。


「まずい! 今のあの子は再生できない!」


 博士が瑠璃乃の危機を叫ぶのと同時に、攻撃を止めさせようとエイオンベートを取り囲むカブトムシ型の特殊車両群から、巨体の上半身に集中砲火が浴びせられる。


 それをものともせず、巨体は執拗なまでに瑠璃乃に巨拳の乱れ打ちを叩き込んでいく。


「くそっ! やっぱ当たった瞬間に治っちまいやがる! でも惜しむな! 撃ち続けろ!」


 隊長の指示通りに特殊車両からは巨体に向けて出し惜しみ無く連続で弾が発射される。


 だが、巨体の動きが止まることはまるでない。


 巨体に小さな穴は空いても、弾自体を体に変換するように、すぐさま穴を再生させてしまう。


 永遠は差し当たっての安全地帯まで退避させられて足を着くと、自分の勘違いを恥じて震えた。今までに目にした瑠璃乃の強さのせいで忘れてしまっていた。


 これは戦い。

 ここは、ゼリーをスプーンですくうように地面を容易くくり抜くような力を持つ存在が繰り広げる人知を超えた戦いの現場だったはず。

 戦いである以上、必ず勝ち負け、生と死があるはずだ。

 自分達が犠牲者となる前例が生まれることだってあるかもしれないのだ。


 瑠璃乃が負ける。

 死んでしまう。

 恐怖した永遠の目端に涙が浮かぶ。


 辺りが粉塵に満たされた頃、やっとエイオンベートの猛攻が止んだ。


 しかし、動きは止まらない。


 粉塵立ちこめ、グチャグチャになり、さらに陥没したせいで平行視点からは見えなくなっていたクレーターの中心部にエイオンベートが両腕を突き入れる。


 そこから腕を引き抜くと、掴み上げたものが空に見せつけるように掲げられた。


 両手に掴まれているのは、ボロボロになった瑠璃乃だった。


 その光景に衝撃を受け、永遠の目に溜まっていた涙が弾ける。


 着ていた服も、金の髪も、陶器のように白い肌も汚れてしまっていた。


 美しい存在が蹂躙される現実を目の当たりにし、永遠は言葉を失うしかない。


 トドメを刺す。そう決めたのか、エイオンベートは瑠璃乃の上半身と頭部を握り込む。


 そして、両腕を思い切り、外側へと張り詰めていく。


 引き千切ろうとしている。


 それが分かった永遠は、現状を受け入れたくないと、首を横に振る。


 弾丸の発射音や衝撃音に紛れて消えることなく、みちみちと何かが千切れていく生っぽい音を、永遠の耳が聞き分ける。


「やめて……やめて……」


 永遠が声を絞り出す。しかし、けたたましい現場においては簡単にかき消され、誰の耳にも届かない。


 一際大きな破断音のような音が響くと、瑠璃乃の首に裂け目が入る。


 裂け目から血飛沫のように、桃色のエルイオンが空へ向かって立ち上る。


 その様を目にして、永遠の中でエイオンベートと自分が今までに関わってきた虐げる者たちの姿が重なった。

 彼等は加虐をたのしむ。疑問を抱かざるを得ないほど執拗に。


 現実を否定したい永遠の小さな拒否が連続して上げられる。しかし、惨状は続いていく。


 巨拳に強く握られ、胴体側に巻き込まれた長い髪の幾本かが千切れて落ちる。


 金の髪が光を反射して下に落ちてきたのを目にした永遠は、瑠璃乃の敗北とその先を強烈なビジョンとして脳内に視てしまう。


 認めたくない。


「やめてぇーーーーーーーーーーーーっ‼」


 その一心で永遠が叫んだ。


 用地に響いた願いは、エイオンベートにも届いた。


 張り詰めていた腕が緩み、瑠璃乃を保持したまま、巨体が永遠の方へ、ゆっくりと振り向いていった。


 本能的恐怖の対象と目が合う。


 願いは叶ったが、その先は何も考えていない。永遠は心臓が止まるような思いをした。


 巨体の動向を測るため、部隊の攻撃も止み、用地に一時の静けさが訪れる。


 静けさを破ったのはエイオンベートだった。握っていた瑠璃乃を、もはや荒れ地となってしまった用地の地面にぞんざいに叩きつけると、永遠に完全に向き直る。


 エイオンベートの動きに先んじるため、隊員三名が武器である巨槍を投げ出し、守るための盾だけを両手で構え、永遠の前に人の盾となって並び立つ。


 しかし、永遠を抱えて退避する役目を持つもう一名の隊員が足を踏み出すより先に、巨体が驚くべき速さで間合いを詰める。


 盾であった三名の隊員達は、その突進の衝撃で弾丸のように防護膜まで弾き飛ばされる。


 永遠を抱きかかえるように守っていた隊員は即座に現状を汲み、永遠を腕の中から突き飛ばす。だが、“逃げて”と叫んで促すより前に、巨拳に脚を掴み取られ、握り潰され、カブトムシ型の特殊車両に向かって投げ飛ばされる。


 隊員達は皆、再起できないダメージを負わされた。


 彼等の犠牲のうえに無事で済んでいた永遠は、やはり何もできない。


 エイオンベートの巨体の影で視界が暗くなり、見上げても頭部が見てとれない至近距離まで迫られても、蛇に睨まれたカエルのように指一本動かせないで後ろ手を付いている。


 エイオンベートの拳が胸の辺りまで引かれる。


 永遠を押し潰す確かな意思が表に出る。


「逃げ――」


「――ッてーーッ‼――」


 エイオンベートの下段突きが突き出されるよりも速く、博士が永遠に逃げるよう叫ぶより速く、隊長の指示が発せられた。


 指示に即応し、前線より後方にてエイオンベートの四方に配置された四機のカブトムシ型特殊車両からゴツゴツとした大きなラグビーボールのような弾が射出される。


 各車両から放たれたその捕縛アンカー弾は、発射されてすぐに両端が展開し、錨が二つ並んだような状態に変化する。


 錨は二つに分離し、それぞれがドローンのようにエイオンベートの回りを何周も旋回する。


 その動きによって、弾に付随するワイヤーが巨体を何重にも巻き付き、拘束した。


 ワイヤーを伸ばしきった捕縛アンカー弾の両端は、その形の通り、強力な推力を発生させて地面に食い込んだ後、巨体を押し潰す勢いでワイヤーを張り詰める。


 弾は全弾発射され、エイオンベートの頭の天辺から脚の先余すことなく縛り上げた。


 ダメ押しに漁網ぎょもうのような巨大なシートに変形する弾が撃ち込まれ、エイオンベートに幾重にも覆い被さる。


 これらが功を奏し、永遠に降るはずだったエイオンベートの巨拳は、彼の眼前に肉迫したものの、寸でで停止させることに成功する。


「大丈夫かーーーーッ⁉」


 尻餅をついたまま動かない永遠を心配し、博士が駆け寄ってくる。


 その声の方を向いて、博士の姿を目にしてやっと、永遠は恐怖が表面に出てきたのを自覚する。額から汗が一気に大量に吹き出し、呼吸が荒くなり、震えが遅れてやってくる。


 体の正常な反応が戻ってきて少し。さっきまでの記憶も追いついてくる。


「瑠璃乃っ‼」


 惨劇の末に投げ捨てられた瑠璃乃が何よりも気にかかり、永遠は震える足腰のまま立ち上がると、彼女が落ちた場所へと急いだ。


 自由の利かない脚で瑠璃乃のもとへ向かうとすぐ、彼女が力無く横倒しに伏しているのが離れた場所からも見てとれた。


 急げ急げ急げ。永遠が一心に駆ける。


 間近までやってきて身を屈め、永遠が瑠璃乃に呼び掛ける。


 大丈夫かと訊く前に、永遠の目に彼女の首が裂け、中から桃色の光が覗いているのが写り、彼は息を呑んだ。


 しかし、最悪のケースとして永遠が泣き叫びそうになる直前、瑠璃乃の口が開く。


 生きている。その事実に永遠の鼻息が荒くなる。


 だが、どうしたらいいのか。


 混乱ぎみに、咄嗟に弥生から受け取ったままだったハンカチを裂傷部位にあてがう。


 声を掛けるべきか触れるべきかも判断がつかず、懸命に傷口を押さえる永遠を前に、瑠璃乃は、どこを見ているのか分からない虚ろな瞳のまま、


「……わたしが、わたしでいちゃ……ダメ……なのかな……?」


 そう言った。


 意味が分からなかった永遠が、間の抜けた声を漏らすのと同時に、瑠璃乃が消えた。


 体はもちろん、着ていた服さえ桃色の光の粒になって空間に溶けていった。


 その光景を前に、フードコートで消えた時の景色がフラッシュバックする。


 永遠は立ち膝のまま、また呆然となる。それしか彼にはできない。


 遅れてやってきた博士は息を切らせながら状況を理解する。そして息を整えてから身を屈め、永遠の肩を柔らかく叩いた。


「心配するな。死んだ訳ではない」


『そうよ! またちょっと眠ってるだけだらか安心して、ね?』


 弥生もフォローに入る。


 用地にいる誰もがショックの大きいであろう永遠を気遣う。


 そんな大人達のなかで一人、隊長だけが異質な目で永遠を見ていた。


 隊長は自身の視界に次々に送られてくる情報の処理をこなし、次に備えて動き出す。


「弥生さん! 捕縛アンカーの緊張出力を並列的リアルタイムで制御できる奴が足りません! お願いできますか⁉」


『分かりました!』


 申し出を引き受けた弥生は、自分の前方に大量の立体モニターを表示させる。そしてモニター全てに表示される数値やグラフの計算を驚異的な動体視力で同時に処理する。


 エイオンベートが網を振り解こうと巨体のあちこちに不規則に力を加えても、その度、錨がワイヤーを巻き上げる機械音を伴って巨人を縛り上げる。


 さらに隊員等自らが別に用意した極太の金属の縄を全力で引っ張り合う。


 その末に巨体の動きを完全に封じてはいるが、猶予は少ないということもハルジオンの人間は心得ていた。


「ありがとうございます弥生さん! お前等も疲れてるとこ悪い! あと少し踏ん張ってくれ! 式條さんは、こいつ等の義肢を損傷の激しい順に交換してくれると助かります!」


 予期せぬ事態に見舞われても、隊長は冷静に人員各所に指示を飛ばす。


「あ、ああ……了解した!」


 後ろ髪は引かれる。しかし。


「後で話そう。……全てを」


 博士は永遠を案じて、そう声を掛けてから隊長の要請に応えるために去って行った。


 永遠だけがこの場で一人、役割を与えられないまま取り残されていた。

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