第31話 〝前〟

 永遠はその後、隊員一人に付き添われ、エイオンベートからかなり離れた用地の隅の設営テントまでやってきた。


 温かい言葉を掛けられても、心ここにあらずといった感じで、モタモタとした会釈をするぐらいしかできなかった。


 何より、瑠璃乃の熱いほどの手とは違う隊員の冷たい手は、永遠の心の温度も下げてしまっていた。


 膜に覆われた広大な空き地内部をハルジオンの人間が慌ただしく動き回る。

 なのに、ギシギシと音を立てて張り詰める鋼鉄のワイヤーに拘束されたエイオンベートを永遠は遠くからボンヤリと見上げるしか他になかった。


 そうしていると、強い疎外感を感じてくる。ここに居ていいのかと自問してしまう心持ちだ。


 今になって瑠璃乃が消えてしまった喪失感が高速で追いついてきて、抗い難い脱力感を背負ってしまっていた。


 瑠璃乃を目覚めさせるには大量のエルイオンを永遠に短時間で分泌してもらうしかない。


 それを永遠は、拘束作業が始まってから間を置かず、各処理に追われる弥生から教えられた。

 忙しいだろうに口調は穏やかで、頬笑みを絶やさずににいてくれた。

 博士が遠目に様子を窺っていてくれているのにも気がついていた。

 おかげで、その時は疎外感を感じずに済んだ。


 けれど今は違った。


 自分も役に立たなければと焦燥感がフツフツと沸いてくる。


 が、やり方が分からない。


 弥生はただ、焦らないでいいとだけ言っていた。その優しさが、また永遠を焦らせる。 


 それでも永遠は、テントのすぐ後ろの膜一枚を隔てた木の上で可愛らしく鳴く鳥の声を聞きながら、つっ立っているしかできないでいる。


 気遣われるからこそ、疎外感や孤独感も増していく。


 皆がそれぞれに動いているのに、自分だけが手持ち無沙汰で解決策も分からぬまま。永遠は居たたまれない気分だった。


 そんな、次第に遠くを見るようになってしまった永遠の目に、手を振りながら駆け寄ってくる笑顔の男性が映る。隊長と呼ばれていた男性だ。


 知らない人間の接近に身構えるが、経緯から自分の味方であることを推し量れたものだから、多少の恐怖はあるものの怯えずにいられた。


「やぁやぁ、初めまして! 君の活躍は見てたよ! 俺はハルジオン社対特殊自然災害部隊隊長の赤木って言います。よろしくなっ!」


 まるで好青年のように若々しく、爽やかな笑顔で赤木は永遠に握手を求める。


「あ、えっ、あ……どうも……」


 咄嗟のことだったので対応しきれず、手を泳がせている永遠の手を赤木が素早く捕まえる。


「永遠くんだったね? 今回はうちの乙職を引き受けてくれて本当にありがとう! ほんっっとーーに助かった!」


「あっ、いえ、そんな……」


 くすぐったくなった永遠が熱烈な握手から解放された後、鼻をかく。


「謙遜するなって。何より君はお嬢ちゃん……瑠璃乃ちゃんの今日にも消えちまうはずだった命を救ったんだ。もっと胸を張ってくれって」


「……命?」


 重々しい言葉に永遠の気が敏感に、だからこそ体は鈍重に反応する。


「ああ。聞かされてないか?」


「あ、はい……」


「そっか。式條さんはきっと、君に余計な負担を掛けないように伏せてたんだな……」


「……どういうことですか?」


 猫背で及び腰に尋ねてくる永遠に、赤木は一度微笑んでから答える。


「お嬢ちゃんは、うんちゃらかんちゃらの理屈でエルイオンの集合体だから、君の中で反応して、君から出てくるエルイオンを食べないと生きられない。でも訳あって長い間エルイオンを補充することが出来なかった。眠ったままだったんだ」


(今日、生まれたんじゃなくて?)


 永遠が視線を横滑りさせる。博士から聞いたアザレアージュの説明と赤木の話に、どこか引っかかるものを感じたのだ。


「他のペネトレーターの奴らから反応済みのエルイオンをもらってみても無駄だった。ぜんぜん目を覚まさなかった。でも、食べなきゃ死んじまうのは人間もアザレアージュも同じだ。お嬢ちゃんの命は、まさに風前の灯火だったんだ」


 瑠璃乃のことを昔から知っているのか、赤木の眼差しは優しい。だからこそ、彼女が生命の危機にあったのが心配だったのも事実なのだろう。今までの事を語る彼は、どこか苦しげでもあった。


「特に式條さんは、お嬢ちゃんに思い入れが強い。もう実の娘のように可愛がっててさ。だから眠っちまってからは、それはそれは見てるこっちが苦しくなるほど辛そうでな。時間が許す限り、お嬢ちゃんと相性の良い奴を探して地球行脚してたけど、いつまで経ってもそんな奴は見つからなかった……」


 赤木はその時の事を思い出しているのか、眉根を寄せて苦い顔をする。


「でも! 君という、べらぼうに相性の良いパートナーが現れた! 引き合わせてみたら、ドンドンピシャリ! お嬢ちゃんは息を吹き返したんだ! 君の出すエルイオンのおかげだよ! ははっ!」


 赤木がドンドンと永遠の背中を讃えて叩く。少しむせても永遠はまんざらでもなかった。


「もし、君がうちの仕事を断ってたら、お嬢ちゃんは、今日ここに来る事もできないまま、あの世行きだった。だから本当にありがとう」


 赤木の表情が、恵比須顔から真剣な面持ちへと一瞬で変わり、永遠に深々と頭を下げる。


「いや、やっ、やめてください! 大したことしてませんし、主にがんばってるのは瑠璃乃……さんなんですから!」


 永遠は、とてつもなく恐縮してしまい、目と腕を泳がせ戸惑い焦る。


「だから、畏まらないでいいって。君とお嬢ちゃんの相性は、それはもう凄いんだぜ? それこそ“前の奴”と同じくらいかもしれない」


 前の奴。その言葉を耳にした永遠の目が丸くなり、心の中に疑問符を浮かべた。博士と赤木、二人の話から覗く違和感が大きくなるのを感じずにはいられなくなってくる。


「……前の奴ってなんですか?」


 恐る恐る永遠が訊ねる。


「何って、お嬢ちゃんの前のパートナーのことだよ」


 知らなかった事実を耳にして、永遠は思わず戸惑う声を漏らしてしまった。


「……もしかして俺、まずいこと言っちまったか?」


「……どういうこと……ですか?」


「……何も聞かされてないの?」


「……はい」


「俺が言っちゃっていいのかなぁ……」


 赤木は頭をポリポリ掻くと、思案しながら空を仰ぐ。しかし、永遠の懇願するような眼差しに配慮し、渋々といった様子で折れる。


「分かったよ。言うよ。でも君にとってイヤな話かもよ? 傷付くかもしれないぞ?」


「……構わないです。教えて……ください」


 赤木はクシャクシャと髪を片手で掻くと、一度深呼吸してから永遠に向き直り、語り出す。

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