第29話 嘘吐き

 永遠の悲鳴に気付いた瑠璃乃は力加減を間違えたことにハッとなる。


「まずい! 飛空挺パイロット! 処理対象に打ち下げ花火で対処を! 近くの幸薄そうな子には絶対当てるなよ!」


 瑠璃乃をフォローするために隊長の指示が飛ぶ。


「隊長~! ごめ~ん! ありがと~~!」


 自分の過ちに素早く気付いてくれた隊長に瑠璃乃は腕をブンブン振って交差させ、感謝を体全体で伝える。隊長は親指を立てて笑顔で応えた。


 その様に瑠璃乃は、どこからか湧き上がってくる懐かしさを覚えて少しの戸惑いをみせる。


 隊長からの指示を受けた飛空艇はステルス機能によって空に溶け込みながらも、機体下腹部から砲身を伸ばし、花火玉のような丸い物体を射出する。


 永遠の目には大砲の弾がいきなり空から現れ、降ってくるように見えて絶叫が絶句になった。


 砲弾が迫り、永遠は今日何度目かの死を想う。


 が、花火玉のような砲弾は永遠の体に接近しただけで接触は皆無。エイオンベートに向かってスムーズに落ちていく。

 だがしかし、恐怖の連続で口から魂が零れているような虚脱状態に陥ってしまう。


 そんな中、雲に届くぐらいの今になって上昇し続けていた自分の体が停止していることに気付いた。 


 辺りを見回す。

 肉眼で初めて見る山々を遥かに見下ろす高度の景色は絶景だった。


 今まで重力に逆らって昇り続けてきた。体を押し潰すようなGは最初だけで、ここまで苦痛が全く無かったのが不思議だったが、とにかく地上から生身で遠ざかることに恐怖を覚えた。


 なのに今は目に映る景色に変化が無い。永遠はこれから起こるであろうことを想像して下を見る。


 ゾッと総毛立った瞬間、永遠の体は地球に引っ張られて落下を開始した。


 さらに下腹部より少し下辺りが体内にのめり込みそうな感触を覚えて即、


 ドーーーーーーン‼


 急降下し出したのと同じ頃に、打ち上げられてきたエイオンベートに花火玉が当たって炸裂。

 まさに花火。

 花火に擬態した砲弾と永遠の悲鳴が共鳴する。


 空を仰ぎ見て、遠くからでは綺麗な花火にしか見えない爆発に目を奪われた瑠璃乃は感嘆の声を漏らす。


 だが、すぐに緊張感を掴み直し、常人にはゴマ塩ぐらいの大きさで、まるで人だとは判別できない永遠の無事をしっかり確認すると同時に、爆発の勢いで隕石のような速さで降ってくるエイオンベートに備える。


 が、エイオンベートに何の動きも無いことも同時に知ると、攻撃に移る構えを解いた。


 急降下してくる巨体は指一本動かさないまま、頭から地表に突っ込んだ。


 鈍く重い衝撃音が膜で囲まれた用地全体の空気を揺るがす。瓦礫が飛び散り、エイオンベートの首から先が埋まった場所を中心に大きなクレーターが出来上がる。


 すぐに瑠璃乃が駆け寄ると、屹立するように地面に突き刺さっていた巨体が足先からアーチを描いてうつ伏せの状態に倒れていった。しかし、脅威の伸縮性を持つ極太の首と、そこから上の頭部は未だに地面にめり込んだままだ。


 瑠璃乃は沈黙する巨人の肩まで駆け寄って、ペチンと平手でエイオンベートを叩いた。


「はい。おしおき終わり。もう暴れちゃダメだよ?」


 博士や部隊員、永遠を除いた用地にいる全員が緊張から解放されて胸を撫で下ろしたのも束の間、巨人が埋まっていた頭部を背中を反らすことで強引に引き抜き、下半身は倒れたまま海老反りの体勢で瑠璃乃に拳の連打を打ち下ろした。


「こら! ダメだよ! 怒るよ!」


 降り注ぐ連打をナグハートで全て打ち返しながら瑠璃乃は声を張り上げる。しかしエイオンベートの攻撃は止まらない。


「本気で怒るよ! ぶつよ⁉」


 わざと怒鳴って言い聞かせようとしても止まらない。


 そのタイミングで、上空100メートル未満まで永遠が絶叫と一緒に落ちてくる。


 このままでは永遠にも危険が及ぶ。そう判断した瑠璃乃は繰り出される拳を一際大きな力で弾くと、エイオンベートの頭上まで飛び上がり、


「もう、いい加減に……しなさいっ‼」


 握った拳を振りかぶり、上半身だけで遠投をするようにエイオンベートの頭に叩き込んだ。


 重厚な金属が高速でぶつかるような衝突音が轟き、巨人は再びクレーターを作って地面に肩まで陥没する。


 そしてその巨体は瞬く間に光の粒になって霧のように消えていった。


 瑠璃乃の拳骨がエイオンベートを殴り飛ばして時を置かず、永遠が彼女のもとへ降ってくる。瑠璃乃は滞空中に永遠を優しく抱えてキャッチした。


「…………じゃあ武器いらないじゃん!」


 地面にめり込み消えていった巨人を見て、永遠が声を大にしてツッコんだ。

 瑠璃乃は何のことかと目をパチクリさせながら静かに着地する。


 エイオンベートを倒したと、用地にいる隊員達から喝采が沸いた。


 今日、祝福されたのは何回目か。永遠は段々と慣れてはきたが、気恥ずかしいのに変わりがなくて俯き照れる。異性の腕の中というのも別の意味が加味されて照れ臭さにに拍車を掛けていた。


 瑠璃乃は永遠を丁重に地面に下ろしてから歓声に応えて手を振った。

 永遠には窮屈にしないでいいと促すように彼の手を優しく握る。


 抑えるべき対象の消滅に皆が歓声を上げる中、隊長だけは永遠と瑠璃乃の無事を確認してすぐ、前線後方に控えた四機のカブトムシ型特殊車両に搭乗する隊員らに何かを指示していた。


 エイオンベートが消え、永遠と瑠璃乃の二人も無事で済んだ。博士はそれでやっと肩に入った力を抜けた。が、二人に駆け寄って抱きしめたいと踏み出したところで弥生から報告が入る。


「博士、瑠璃乃ちゃんの中のエルイオンが不足していきます」


「ぎりぎりだったね。でも初めてだったんだ。よくここまで出来たものだよ」


「そうですね。よくがんばりました。瑠璃乃ちゃんも、永遠くんも」


 二人の奮闘を讃え、博士と弥生は笑い合う。だが永遠に伝えないといけないことがあると気の緩みを自戒して、弥生は努めていつもの調子の優しげな口調で永遠に呼びかけた。


『永遠くん、よく聞いて。あのね、瑠璃乃ちゃんのオナカが減りすぎて、これからちょっとの間、永遠くんのサポートができなくなっちゃうの。だから少し不安とか緊張が大きく感じると思うけど、周りにいる人は、みんな永遠くんの味方だから安心して?』


 瑠璃乃の支援が受けられない。それを教えられた永遠は少しの動揺をみせる。だから弥生に返事を返すよりどうしたものかという不安に気を取られて目を右へ左へと泳がせた。


 そんな永遠の気持ちを察した瑠璃乃が、彼の手を握る手に力を込める。


「永遠、ありがとね。永遠が、がんばってわたしをここに連れてきてくれたおかげで、この子を大人しくさせられたよ。やっぱり永遠は、えらいね!」


 褒められて悪い気はしなかった。だが瑠璃乃からの精神的支援が弱まり、永遠の中に小さくつまらないものが蘇る。


(そうだった。ここにいられるのは僕の決意だけじゃない。この子の助けがなかったら、そもそも家から出れなかったよね……)


 追いやったはずの、意識しないでいたはずの自分の無力感が永遠を覆う。瑠璃乃の笑顔を前にしてもいきがれる容量はとっくに超えていた。だから滲み出てきたものだった。


「ははっ……そう……だね……」


 励ましてくれている。それはとても嬉しく有り難い。でも落ち着かない。くるであろう不安の渦を永遠は恐れていた。


 この時、隙間が生じた。


 永遠と瑠璃乃、両方が両方、足りなくなった。


 チャンスを逃すまいとするかのように、害意が隙間に滑り込んでいく。


 目的を果たし、人心地吐いていた弥生が、立体モニターに映る様々な数値とグラフの急激な変化を認識すると目を剥き、短い声を漏らす。


「博士! 永遠くんと瑠璃乃ちゃんの供給ラインが失われていきます!」


「なんだってっ⁉」


 博士は肝を潰され、動揺を隠せず、咄嗟に瑠璃乃に目を移す。


 永遠に繋がるエルイオン供給ライン、瑠璃乃にとっての生命線が消えていく事の重大さに博士の額から幾筋もの汗が流れ落ちる。


 乱高下を繰り返し、弥生の周囲に展開する数々のモニターは不安定である事しか写さない。刻々と表示を変え、一番大きなモニターに描写されるエイオンベートをかたどるシルエットから滲む濃紫のかすみが、瑠璃乃を示すシルエットを覆うように広がっていく。


「これは……接触?」


 そう漏らす弥生の声を耳にしながら瑠璃乃を凝望する博士の瞳に写る彼女はもう、世界から消える前触れを見せていた。

 



――ウソツキ――




 瑠璃乃にしか聴こえない声を瑠璃乃が拾った。


 性別も年齢も判別できない、誰のモノとも分からない声だった。


 しかし、その言葉は、深く、酷く、激しく瑠璃乃の心を掻き乱し、揺らした。


 声を受けた瑠璃乃の両眼は大きく見開かれ、情動の嵐を覗かせる窓となっていた。


 ウソを吐いたつもりはない。


 しかし、誰かを喜ばせるために、自分の一番向けたい態度と違うモノを表に出す事がそうなのだとしたら、自分はとんでもないウソ吐きになってしまうのではないか?


 瑠璃乃は何者かの言葉を耳にして、刹那にも満たない混乱の後、言葉を失う。


 瞬間、目にする景色がガラリと変わった。









 瑠璃乃は、いつの間にか、映画館の座席に腰掛けていた。


 整地していない地面の上にコンクリートを敷いてしまったような感触の足場は、ゴツゴツとしていて心地が悪い。

 緩やかな傾斜があるものの階段などはなく、足下に注意しなければ転んでしまいそうで心許なさを増幅させる。


 腰掛けている座席も、館内全ての座席も合わせて美品は一つもない。かならずどこかが欠けていたり、ほつれたりしている。


 この場所は、潰れかけの寂れた小劇場といった風の、瑠璃乃が自らの中に作り出した映画館だった。


 置かれた状況を認識しきれない瑠璃乃は、広い映画館の中央の席で一人、スクリーンを呆けるように見上げている。


 瑠璃乃が心のスクリーンに現在上映しているのは、曇天の湿った空気の中、大切な誰かと誰かの別れをエンディングとする悲劇だった。


 何故なのか、映画を見ていると悲しくて仕方がない。知らない映画のはずなのに、その場面の空気の匂いの情報を知っている。この映画の結末がどうなるか知っている。最愛に強く否定される絶望も知っている。


 映画はつつがなく場面を移し、あっと言う間に決別が決まる瞬間へと移った。


――ウザいよ――


 顔の見えない登場人物に告げられるシーンを目にした途端、瑠璃乃は息を呑んだ。


 映画はこれ以上進まない。


 そのシーンだけ切り取り、リピート再生を繰り返して瑠璃乃を掻き乱し続ける。


 何度も数え切れないほど繰り返し否定され、気が遠くなっていく瑠璃乃は目を見開いて瞳孔を晒す。


 何が目的なのか。その映画は、ついに登場人物を強制的に書き換えた。


 誰か分からなかった否定を口にする何者かを、林本永遠に換えた。


 その末に永遠は客席の瑠璃乃に目を合わせ、更なる否定を浴びせる。


――嘘吐き――


 最愛からの“再び”の否定。


 それを耳にした瞬間、館内の足場と壁が崩れ去り、散り散りになって、瑠璃乃と共に真っ黒な虚空へと墜ちていく。


 瑠璃乃は、吸い込まれるように下へ下へと墜ちていく。どちらが上で下なのか分からない虚無へと引きずり込まれる。


 アザレアージュというアイデンティティーが揺らいだ彼女は、己を保てなくなっていた。

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