第43話 エピローグ

「……機会は平等かもしれない。だが、才能や心の柔軟性などはそうではない。人には向き不向きがあり、自分の望んだ資質と現実の不一致に苦しむことも多いだろう。それに、人は、どうしても他人と比べてしまう……。しかし、自分で自分を貶めることはしないでくれ」


 穏やかに切り出した博士の言葉が次第に熱を持っていく。


「遠くの“普通”の声に囚われるより、傍にある味方の声を第一にしてくれ。自身に最も身近で、真に寄り添ってくれる味方の声に耳を傾け、誰かの決めた価値基準ではなく、自分だけの価値の目線を見い出してほしい」


 眼差しは真摯で真っ直ぐ。しかし、温かさも兼ね備えている。そうやって語られるのは、永遠とわへの博士なりのエールだった。


「そして、君には君でいてほしい。例え普通と称される枠組みから外れても、君には君にしかできない役割があるのだから」


 熱と優しさはそのまま、博士の目が瑠璃乃にも向けられる。


「君だからこそ、この子を笑顔にしてやれる。君が、君自身とこの子を受け容れてくれた末に、こうして一つの可能性が実を結んだ。君が、この子の笑顔を作ってくれたんだ」


 その通りだと、瑠璃乃が力強く大きく二回、首を縦に振る。

 弥生も同じように頷いている。

 離れて見守る赤木の目も細められていた。


 乾き、所々ひび割れた土壌に染み込む慈雨の一滴のように、博士の言葉が永遠にスッと染み込んでいく。


「笑顔ばかりではいられないかもしれない。弱者であることを認め、受け容れ、開き直って生きていく……それで楽になる者もいれば、楽になった代償として周囲から向けられる悪意、憎悪、嫉み、羨望……正負入り交じった目に晒され、更に傷付く者もいる……」


 今日まさに、その生き方を選んだ代償を味わった。思い出すだけで身がすくむ。


 だが、この子がいてくれる現在いまに価値を置きたいと、永遠は瑠璃乃の方を俯きながら窺う。視線に気付いた瑠璃乃は柔らかに笑って返した。


「ただ、どうか無責任な言葉に従って自分を悪く決めつけることはしないでくれ。君は君の望むように生きてほしい。ひきこもりだって何だっていい。縮こまらずに自由でいてくれ。2030年の今は、それが許される時代なんだ」


博士の言葉に聞き入った永遠は目を丸くしてから瞬かせる。


 弱いなら弱いなりに足掻いてもいいんじゃないかと改めて思えたからだ。


 たとえ部屋の中だけでだっていい。どんな形でも、自分で認めた自分の居場所で、縮こまることなく自由でいればいい。


 楽観的で無根拠だが、支えがある今だからこそ、博士の真正面な瞳と言葉に納得出来ている自分がいることを永遠は噛み締めていた。


「そして、休み疲れたり、新たな道を見つけてみたいと思ったのなら、また声を上げてくれ。手を伸ばしてくれ。その声を必ず拾い、その手をどこからでも取るためにハルジオンやアザレアージュが存在しているんだ。可能性に挑むのが不安でも、君には私達が……この子がついている。自分の脚だけで歩くのが難しいなら、その時は、この子の脚を借りればいい」


 望んだ自由を叶えることを時間と場所関係なく手助けできる。それが2030年現在のハルジオンの在り方だ。そういった強い信念をたずさえて語る博士が永遠の肩を優しく叩き、瑠璃乃の方を見遣った。


 瑠璃乃は博士からバトンを渡されたような気になって、永遠の瞳をしっかりと見入ると彼の手を両手で包み込み、自分の想いを丁寧に伝える。


「行きたいとこに歩いていくのが難しいと思っても、わたしが永遠の三本目……ううん! もっともっと、タコさんの脚ぐらい多い脚になるからね! だからね、永遠は永遠の好きなように、やりたいことをしてね? わたしがいつも支えるからね! ……仕方なくだけど!」


 少し見上げるような表情でいじらしく力付けてくれていると思ったら、照れたように勢いよく顔を背けて、不服を付け加えた上での励ましを瑠璃乃は永遠に贈った。


 とってつけたようなツンが可笑しいのと、彼女の言葉が嬉しいのが合わさって、永遠は彼女に穏やかに笑いかける。


「ありがとう……瑠璃乃」


 支えになってくれるパートナーに向かって永遠は真心から伝えた。


 瑠璃乃は背けていた顔を徐々に永遠に向き直しながら、顔を赤らめて蕩けそうな笑顔を浮かべる。


 瑠璃乃達に囲まれ、永遠は安らぎを感じた。


 心が安らいでいく心地良い感覚。それは瑠璃乃からの支援だけではない。


 博士や弥生、部隊の皆、自分を認めてくれる人たちが居てくれるおかげだと永遠は胸に落ちる思いをした。


 普通にはなれない。

 大勢には加われない。

 少数派でいるしかない。

 それを弱いと言うなら、弱いと呼ばれてもいい。

 ただ、弱いなりに、進む道は選びたい。


 一人では無理かもしれない。

 けれど味方がいれば歩いて行ける。


 下に見られたっていい。

 同じ目線で歩いてくれる味方が、例えたった一人だとしてもそばにいてくれるのなら、望んだ道を進んでいける。


 爪弾きにされ、普通とは違っていても、自分が望む道を行く権利はあるはず。


 本来の役割以外を求めるのも自由だし、新しい可能性を探すのだってまた自由。たぶん、それを邪魔する権利は誰にもない。


 だから実際には胸を張る度胸なんてないけれど、世の中の普通の声より、傍にいてくれる味方の目と声を第一として、せめて心の中では堂々とやっていこう。


 瑠璃乃が隣にいて、認めてくれる皆に囲まれた今、永遠は強くそう思えた。


 穏やかに頬を緩ませている永遠の様子を見守っていた弥生は、柔らかく笑ってから思い出したように、

「あっ、そうだった! 正式な契約書の用意を忘れてたわ」


 手をポンと叩いてから宙に指を滑らせる。すると立体モニターが現れたかと思うと、すぐさま実在する一枚の紙に変化して弥生の手元に収まった。


 どういう原理か理解しかねる永遠は目を丸くしたが、瑠璃乃のことを思えば、このくらい些細なことだと疑問を頭の隅に追いやった。


「では改めまして。こほんっ。林本永遠さん。あなたは、ハルジオンNVW乙職に就かれることを承認しますか?」


 上品に背筋を伸ばし、弥生は永遠に最後の確認をする。永遠は弥生の態度を受けて自分も佇まいを正し、

「……はい。お願いします。働きたいです。この子と一緒に……」


 しっかりと答えると、永遠はまだ手を包んでいてくれる瑠璃乃に頬笑みかけた。瑠璃乃は永遠の視線に少し照れながらも、はにかみ浮かべて返した。


「……はい。意思確認は終わりました。契約完了です。ようこそ、ハルジオンへ!」

 永遠の答えを受けて、自動的に契約書に“済”の大きな朱印が大きく押される。


「永遠、これからもよろしく頼むぞ」


「いっしょにがんばろうね、永遠!」


 とても愛くるしい美少女と、物腰柔らかな綺麗な女性に、少し不気味でも優しいおじさん。そして気弱で軟弱なひきこもりの少年が一緒になって笑い合った。


「じゃあ、私達は隊の皆さんと少しお話があるから、少し待っていてくれるかしから?」


「あ、はい」


「いってらっしゃ~い!」


「頼んだぞ」

「博士も行くんですよ~。後は若い人達にってやつですよ~~」

 笑っていない笑顔を浮かべ、やれやれといった様子で弥生が博士を薄くて細長い紙製のパネルでも引きずっていくように強制連行して去って行った。


 ポカンと見送るしか出来なかった永遠は、遠くの方で博士と弥生を出迎えてから赤木が、永遠に向かって片腕を掲げて親指を空に向かって突き出しているのを目にすると、遅まきに気恥ずかしいながらに気付いた。

 これは、皆が作ってくれた時間なのだと。


 だから伝えよう。笑顔で手を振り続けている瑠璃乃に、永遠が静かに語りかける。


「……瑠璃乃?」


「なあに?」


「……今日、すごく楽しかったね」


 その問いに内包された様々な意味。瑠璃乃は理解すると、瞳を大きく見開き、唇を巻き込んでから口角を上げ、


「うんっ‼」


 弾けるような笑みと返事を返したのだった。


「また、いっしょに来ようね?」


 そう言って覗き込んでくる瑠璃乃に、


「……うん」


 永遠も出来る限りの笑顔で応じた。


“また”を約束できる人ができた。永遠は今、とても満たされた気分でいた。


 誰もが当たり前のように普通になれるから、普通が前提になってしまった世界。


 普通になれない自分には、どこにも居場所がないと思った。


 けれど、瑠璃乃に出会う事ができた今はそう感じない。


 彼女の隣が、普通ではない自分が立っていてもいい位置なのだと思える。


 そう感じさせてくれる瑠璃乃が映る新しい景色を目にしながら、永遠は病気への淡い肯定感を胸に抱き、胸も頬も綻ばせるのだった。

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ほのかたらう僕らは普通になれない 牛河かさね @usikawakasane

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