第24話 エイオンベート 〜害意の権化〜
巨人がいた。
ショッピングモールを見下ろすまでに大きく、遥かに見上げないと頭が写らないような図抜けた濃紫色の巨体を持った生き物と思わしき存在。
肩、腕、手、脚部。その全てが図太い。ただ、腰だけが細い。
まるで人の域を超えた筋肉の肥大化を果たし、脂肪も大量に蓄えた力士のような体型だが、腰回りだけ、それらを忘れてきてしまったように細かった。
そんなものが、黒い鎧を思わせるアーマースーツを纏った多数の巨漢達と対峙している。
鈍く黒色が光る現代風の鎧のようなアーマースーツを着込み、バックパックから火を噴いて空と大地を縦横無尽に駆けて飛び、巨人に相対する巨漢の集団がいた。
巨大な盾と、身の丈以上の巨槍を携えている。巨槍と言っても、それはあくまでヒトと対比した場合の表現であり、巨人相手ではあまりに心許ない。巨体に突き刺してはいるが、効果の程もまるで見られない。
長い砲身を伸ばし、巨人に向かって弾丸らしきものを射出している車両は、まるでカブトムシのようフォルムを持つ。
弾は凄まじい速さで巨人に衝突するも、柔らかな表面に埋没して吸収されるように消えていき、ぬかに釘のように効果があるようには映らない。
それらを囲う虹色の幕は、周囲への破片の被害を内側に留めるための役割を持つ防護膜だった。膜を用地に展開するために、球場にある大きなライトのように背の高い棒を伸ばし、用地の四隅に配置された特殊車両だけは、この場で動いていない。
巨人は太くて丸い腕や脚、巨体を緩慢な動作で振り回し、巨漢達を薙ぐか潰すかというように攻撃している。
間違いなく、彼等は戦っている。
突然、闘争の最前線に放り込まれ、永遠の芯が凍り付く。
やがて、巨人が自らの足元を見下ろすと動きを止めた。
見下ろす先には、永遠がいた。
体の天辺にあるから頭部と呼べる。けれど目も鼻も口も無い。なのに巨人と目が合った気がする。
永遠は唾すら飲み込めずに固まった。
巨人の片脚が腰の高さまで挙げられる。
永遠は悟った。動きを止めたのではない。踏み潰そうとしているのだ。
逃走のために心拍数を速めるのではなく、生きる事を諦めるかのように血の気が引いて青冷めるだけで終わるのを永遠の体が瞬時に選んでしまう。
乗用車一台を覆えてしまうほどの大きな足の裏が降ってくる。
そんな踏み潰される瞬間になってやっと、永遠の口から声にならない小さな絶叫の欠片が零れた。
潰される瞬間、死について思った。痛みというものはどこの辺りまで感じて終わるのだろうとか、逝くのはきっと地獄だろうとか。
しかし、痛みも地獄の景色も永遠には訪れなかった。想像し続けることができるのがその証左だ。
永遠は踏み潰されなかった。
「ごめんなさい! カメラの切り替えを間違えちゃってたわ」
弥生がそう言って慌てながらスイッチを切り替えた。すると車内の景色が闘争の最前線から移り変わる。
そうして車内の空間全面スクリーンへ投影される光景は、巨人から離れた位置、本来想定された視点であり、停車位置である駐車場から巨人を臨む視点に代わった。
「予定外に驚かせてすまない。しかし、見たままが真実だ。今の視点は対象に対処する部隊員のものになるが、決してフェイクではない」
博士が謝罪を終えた直後、永遠にそう伝えた。
かなり距離を置き、虹色に滲む膜の囲いの向こう側に巨人を臨む安全な位置に戻って来られた事に体が反応し、ここでやっと永遠は心臓の早鐘と膝の笑いを自覚した。
「……本物……なんですよね?」
巨人を振るえる手で指差し、激しい発汗を伴った驚愕に染まった顔で永遠が博士に尋ねる。
「紛うことなき現実だ」
博士がおもむろに頷く。
「……なっ、何なんですかっ……あれ……」
「『エイオンベート』。私達は、そう呼んでいる」
フィクションの世界で何度も見てきた怪獣などの見慣れた存在。だが、瑠璃乃が人間でないと知らされた時のように平然とはしていられなかった。単純に本能的な恐怖を感じたのが大きい。
「瑠璃乃達アザレアージュはエルイオンの集合体だと言ったな?」
「……はい」
「アザレアージュはペネトレーターの快感情、快情動と反応したエルイオンを源として構成される。いわばポジティブだ。反対にエイオンベートは、この世界に存在する不特定の大きな不快感情、不快情動に反応したエルイオンが姿を変えた、言うなればネガティブな存在だ。したがって、彼等は何者かへの敵意を持って生まれてくる」
「……だから、あの人達は……エイオンベート? と戦ってるんですか?」
巨漢達が誰で、どこから来ているのか。一般常識として永遠でも分かるくらいに広く知られている。
国から活動を委託されたハルジオン社の対特殊自然災害部隊と呼ばれる者達だ。10年ほど前から突如発生するようになった、文字通り特殊な災害に対処するための部隊だと記憶している。
普通でいられた頃から、田舎の広々とした景色のなかに点在する広大な用地の中で活躍していた。神風とも呼ばれる凄まじい強風で舞い上がった破片を砕いている場面に、永遠も過去に何度か遭遇したこともある。
ただし、それはあくまで特殊災害の処理。なのに今、目にしている光景で彼等が対していたのは災害ではない。広く知られた一般常識とはかけ離れている。だから永遠が博士に問うた。
「そうだ。もっとも、このままでは決着の着かない戦いなのだがな」
「……決着が?」
「うむ。チェックメイトに持って行けるのは……君だ、永遠」
「僕っ⁉」
「ああ。正確には君と瑠璃乃だけなんだ」
博士の目が遠い膜の向こうの巨人に向けられる。永遠もつられて目で追った。
「存在が近しいため、エイオンベートという存在を唯一根本から制圧できる者がアザレアージュであり、瑠璃乃のもう一つの役割とは、エイオンベートを叩くことにあるんだ」
「たっ、叩く⁉」
「ハルジオンの顔の一つに、少しでも人を傷付ける恐れのある災害や地震を比類無き精度で事前に予測し、社が持つ技術で災害のエネルギーをエイオンベートに変換することが挙げられる。二度の首都壊滅という人々に刻まれた悪夢を呼び覚まさぬように……」
博士が物憂げに語る。
「二度と大災害を表に出さず、エイオンベートに変換し、人々と建造物を無作為に破壊しようとする彼等を、水面下にてペネトレーターとアザレアージュによって攻撃、制圧、処理をする……それが対特殊自然災害処理の真相だ」
博士の口からハッキリと言われる前に永遠は生唾を飲み込んだ。当事者になるという流れを察したからだった。
「そのために、君と瑠璃乃の力が必要だったんだ」
訴えかけるような博士の言動に永遠は返事に窮してしまう。
ただ、つい先ほど確固たる死を予感してしまったために、咄嗟に本題から話を逸らしてしまった。
「みっ……みんな、逃げてません……よね?」
震えが混じる声で永遠が外を見渡して言う。
車内全面に映し出されているのは外の様子だ。
離れたところにエイオンベートがいる戦場がある。トレーラーのすぐ外には広大な駐車場を行き交う人々が見える。その人々が、あまりにいつも通りだった。
間近で巨人が暴れているというのに全く意に介さない。それどころか、目に映る全ての人々が普通に買い物に向かったり、帰るために車に乗り込もうとしている。いつもどおりの営みが途切れることなく続いているのだ。
だからこそ、手の込んだ作り物という可能性に永遠はすがってしまう。
「視えてないんだ」
永遠の様子から考えていることを汲んだ博士が彼の疑問に答える。
「先程、エルイオンが視えるから君を選んだという旨を伝えたな?」
「えっ? はっ、はい……」
「エルイオンというのは誰にでも認識できるものではない。一部を除いて、誰の目にも視えてないんだ」
「で、でも、瑠璃乃のことは、みんな視えてました……よね?」
「それはペネトレーターが、アザレアージュ……瑠璃乃が人の姿であることを望んでくれたからだ。そのため、誰の目にも人として映る。しかし、エイオンベートはそうではない。だから人の目には映らない」
にわかには信じられないような話を聞かされ、永遠は呆気にとられるように口を半開きにして、目をしばたたかせる。
「あの隊員と様々な車両の活動の名目が、特殊自然災害への対処ということになっているのは知っているな?」
「はっ、はい……」
「……オクミカワにペネトレーターが反応分泌したエルイオンを注ぐと出来上がるセンサーがある。
これに触れた人間なら短時間の間、エイオンベートを目視できるようになる。ペネトレーターの目を手にすると考えてくれればいい」
現状把握に精一杯の永遠にも見えやすいように、博士が空中に指を滑らせて立体映像を表示させる。すると、野球ボール大程のセンサーが出力された。
「だから彼等は戦える。だが、表向きは戦いではなく、神風と通称される、風力階級の限界を超え、大地を抉るほどの
「……はい」
「うむ。だから今までの君と同じように、誰もエイオンベートという存在が暴れているなどと考えもしない。センサーの効果を付与されたカメラ以外のあらゆる技術体系での観測が困難なことだけでなく、10年前から行われる瓦礫除去作業による死傷者はゼロ。100%の安全が保証されているからこそ逃げる必要はない。皆、慣れてしまっているんだ」
永遠は博士の説明に納得せざるを得なかった。自分でさえ普通でいられた時に遭遇しても逃げていなかった。日常として見ていた。エイオンベートがいるとは思いもしなかった。
しかし真実を知れば怖くなった。真実を知らずにいられたら平和に見過ごすことができる。知らないでいい現実とはこういうものなんだろうかとの思いが永遠に過る。
「……昔は、僕もあんなもの見えませんでした。なのに、何で今は見えるんですか?」
「最も大きな要因として、瑠璃乃に応えてくれた事で、脳がエルイオンと親和性が高い状態へと変質し、ペネトレーターとして覚醒したからだと思われる」
「……前からアザレアージュ達もいたんですよね? それが視えなかったのも?」
「アザレアージュとペネトレーターは個人情報の観点から特に機密性が保たれているためだ。防護膜の作用が及ぶ範囲ならエイオンべートと同じく、人々には髪一本も写らず、声の一つも届かないように万全のカムフラージュ対策を敷いている」
なるほど、と納得するだけでは済ませられない。永遠は生唾を飲み込んでから、
「……それで、あの、そのっ……誰にも見えてないから……何をしてるか分かりっこないから……ぼっ、僕にもあれと戦え……って事ですか?」
正面の博士を見ず、目を逸らすように車内のある一点を見つめ、永遠が小声で尋ねた。
「……すまない。その通りだ」
眼鏡のブリッジを上に一押ししてから、博士が謝罪を頭に言い切った。
話の流れでこうなる事を恐れていた。
しかし、姑息な自分を情けなく感じながらも、時間稼ぎをせずにはいられなかった。この間にも部隊の面々が実は何とかしてくれるんじゃないかと望みながら。
しかし、決着をつけるためには自分と瑠璃乃が必要らしい。なら、この時間は無為なものでしかない。ならば、承諾するしかない。
しかし、無理だ。無理無理無理。永遠は膝の上でハンカチを握りしめた。
永遠は中二ではない。その時期が明確にあったかも怪しい。
それに最中だったとしても、突如として学校にテロリストがやって来るが武器を奪って華麗に全滅させるとか、そんなアクティブな種類ではなかったし、反抗期もあったかないかで、血気盛んな武闘派気質とは無縁。フィクションでも喧嘩の場面は怖くて苦手だった。それなのに当事者になれなんて無理難題が過ぎる。
横目でエイオンベートがいる方向を一瞥する。
虹色の膜の内側で音もここには届いてこないが、巨人は確実に、のっそりとまだ暴れていた。何度見ても、無理としか言えない。
何より、あの巨人を見てから腹側部の疼きが止まらない。トラウマと関係が無いはずの存在だろうに、何故か既視感に似たものを覚え、横っ腹が痛みだす前兆と同じ症状に巨人を目にした瞬間から
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