第25話 前向きに立ち止まる事ができる一番喜ばしい言い訳
ただ、はっきりと断ると仕事も取り上げられるかもしれない。瑠璃乃と二度と会わせてもらえない可能性もある。永遠は姑息さに嫌気が差しながらも、更に質問を重ねるしかできない。
「……なんで今日……なんですか?」
「災害予測システムが弾き出した地震発生日時が今日の13時半だったんだ」
「……僕以外の人はいないんですか……?」
「この地域を担当する他のペネトレーターには別件で動いて貰っている。故に君にこの役を押しつけるようなことになってしまった。すまない」
「あの、でも、その……」
いかにスムーズに不利益を最低限に断るか。永遠は濁る思考で考える。しかし何も思いつかない。逃げたい気持ちだけが大きくなっいってしまう。
そんな中、ふと、最初のチャットの文言が思い浮かんできた。突破口になるかもと、永遠は出来るだけ声を張った。
「そっ! そんなこと書いてありませんでした……よね?」
何度も目にして、何度も躊躇したニュービジョンワーク(NVW)への申し込み。そこには一言も巨人と戦うなんて書いてなかった。永遠はそう言いたかった。
「……案内の説明にも書いてなかったし、家でオクミカワの加工だけやるのが僕の仕事ですよね?」
「ごめんなさい。それはNVW“甲職”の方なの」
弥生がそう告げると、永遠の口から間抜けな声が漏れた。
何とか作り出そうとした足場を崩された永遠のため、弥生が心苦しそうに一歩前に出て、空中で指をスライドさせると、A4サイズの立体モニターが表示される。そこには何やら小難しい文字が並んでいた。
「永遠くんにやってもらいたいのはNVW“乙職”の方になるの」
「お、乙……?」
「紛らわしくてごめんなさい。甲職は在宅でだけ契約させてもらうんだけど、乙職の方は、エイオンベートが出現する規模の災害が予測された時に、乙職付きのアザレアージュと一緒に出てきてもらってエイオンベートを大人しくさせることもお仕事になるの」
「で、でもっ、オクミカワ加工ってついてますよねっ⁉」
「常温超伝導体など現代文明を支えるエコシステムの要としての性質だけではなく、エルイオンを貯蔵できる唯一の物質であるため、エイオンベートに有効打を与えられる武器ともなるオクミカワ。それを自宅にて別途精錬してもらうのも仕事の一つではあるが……」
「じゃ、じゃあ……」
永遠は期待のこもった眼差しを両者に向ける。特に弥生をすがるように見てしまう。
「ごめんなさい。乙職は在宅加工だけじゃ成立しないの」
「そ、そんな……」
「本当にごめんなさい。でも、今紹介できるのは乙職しかなくて……。それに何より瑠璃乃ちゃ――」
謝罪と弁解の後、前のめりに何か言いかけた弥生を博士が腕を伸ばして遮った。
弥生は物悲しそうに目を伏せるが、すぐに納得し、一歩退く。
その対応に、永遠は吸い込んだ息を呑んだ。そして絶望したように項垂れた。
「…………僕は普通にNVWの仕事が欲しくて案内を開いたんですよ? それなのに戦えだなんて……何でそんな物騒な仕事、僕なんかに紹介したんですか?」
床の一点だけを見つめ、永遠が虚ろな声で問う。
「すまない。話が長く申し訳ないのだが聞いてくれ。そもそもの発端は、過去に行われた高次元との接触実験にまで遡る。実験を契機に高次元からこのブレーンに流入してくるエルイオンが桁違いに増加し、止める事が不可能となった。しかし、純然たるエルイオンがそのまま生物の脳と接触すれば、脳はその情報量に耐えきれず、機能不全を起こし、廃人化は免れない」
そうじゃない。聞きたいのはそんなことじゃない。いや、たった一つの答え以外は違ってしまう。
永遠が求める答えは、逃げ出してもいい理由になってしまっているのだから、博士の口からは出てこない。それぞれの要求がミスマッチしてしまっていた。
「それを回避する策として、エルイオンの最適な分配と調整、処理を実行するために、アザレアージュとペネトレーター、エイオンベートというシステムが必要となった。そのため、君と瑠璃乃無くしてはエイオンベートを制圧できない。だから君に話を持ちかけたんだ」
役割が欲しかった。必要とされたかった。だが、永遠はどんなに求められようと、エイオンベートを前にしては恐怖ばかりが先行し、博士の要求を受け入れることが難しかった。
押し黙ったままの永遠を前に、博士は少しの沈黙の後、彼をしっかり見据えて頭を下げた。
「説明を怠っていたことは謝る。この通りだ。……だが、あくまで君にやってもらいたいのは乙職の方になる。引き受けてもらえないだろうか?」
真摯な謝罪と要求。それ以上さえ含んでいる。だからこそ、普通の在宅に移してもらうなどの期待、そんな甘い考えを見透かされたように受け取ってしまい、永遠は脱力感に苛まれた。
断りたい。負け犬になったっていい。やっぱり瑠璃乃は自分には分不相応な存在だ。後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。
「…………帰らせてください。お願いします」
震えた声でボソッと呟くように告げると永遠は頭を下げる。
無理もない。無理強いもできない。博士と弥生は何も言わずに拒否を受け入れた。
人より少し遅い動作ながら、今になってやっと自由が効いてきた脚で立ち上がり、永遠は二人に背中を向けて出入り口に踏み出す。彼を尊重するようにドアも開く。
この時、永遠は怒っていた。博士や弥生に対してではなく、自分自身にだ。
どんな理由であれ、自分が望んだ外への復帰を得られるのなら、手段はこの際どうでもいい。ましてや、瑠璃乃のような女の子に肯定されて過ごした一時は最高の時間だった。これ以上ない手段だったはずだ。
車内の大人二人の要求を撥ねつけるよりも感謝するのが道理ではないのかとも考えていた。
けれど、種類の違うNVWの説明不足を不誠実と捉えた永遠の潔癖さが、それらの理由を受け入れるのを拒んだ。
「……僕は、こんなことするために外に出たんじゃありません……」
瑠璃乃や博士達に責任を擦り付けるつもりは
ただ、エイオンベートの恐ろしさに身が竦んで、こうして逃げだそうとしている。それが悔しくて情けなくて涙が出そうになる。泣きそうな顔を見られるのがまた惨めったらしくて、すぐにでもこの場を離れたくなった。
そんな永遠に博士が穏やかに声を掛ける。
「永遠、騙すような結果になってしまってすまなかった。だが、最後に一つだけいいか?」
語気だけからでも伝わる謝意に、永遠の足が止まる。
「確かに君を誘い出した理由には偽りがあったかもしれない。しかし、瑠璃乃と共に過ごした時間の中に嘘はあったか? 君を慕う彼女の気持ちに嘘があったか? 瑠璃乃が嘘だと君は思うか?」
そんな訳がない。
しかし逃げることを選んだ今、自分が瑠璃乃の好意に応えられるような資格と自信が無いと思い込んでしまっていた。だからさらに惨めになってきて涙を留めることができなくなり、それを知られるのが嫌で天井を仰ぐ。
「彼女の仕事は君を楽にすることにある。パートナーとして、人一倍生きるのに苦労している君に、生きる事を楽しんでもらうために奮闘するのが彼女の存在意義だ。それだけは否定しないでやってくれ。……瑠璃乃に今日をくれて感謝する」
「あんなに楽しそうに笑ってる瑠璃乃ちゃんの顔が見られて、とっても嬉しかったわ。瑠璃乃ちゃんに付き合ってくれて本当にありがとう」
博士も弥生も、永遠を尊重し、引き止めることなく送り出す。
ありがとう。その言葉を聞いた途端、永遠の中に出来たての想い出が次々と思い起こされる。
部屋の中から望んでも、一人では叶えられなかった望みの数々。それを叶え、傍で笑ってくれた眩しいほどの存在。
報いたい。
優しい大人達から役割を求められ、永遠の胸にそんな思いが灯る。いや、灯ったのではない。もとからあったものだ。
エイオンベートという圧倒的な恐怖に呑み込まれ、手放しかけていただけだ。
大人達だけでなく、一番に報いたいのは瑠璃乃。今日をくれたあの子のためにできる限りの事をしたい。するべきだ。
瑠璃乃に、また会いたい。
自分が一番やりたいことを思い出した永遠が、両の拳を握り込む。
そもそも説明不足への文句も難癖をつけているのに近い。全ては恐怖から逃げるための言い訳でしかなかった。
なんて不甲斐ない。永遠は自身の涙に悔しさが色濃く混じるのを感じる。
だが、次にやりたいことが見つかったのに、一度躊躇して逃げ出した自分には、もうやり直す権利はないのかもしれない。教室から去った自分の選択は、ひきこもりにしか通じていなかったのと同じように。自己肯定感の希薄な永遠はそうも考えてしまう。
背後に感じる博士と弥生の瞳は、去ろうとする永遠を責める事なく、寛容さだけを宿している。だから永遠は、つい甘えてしまった。
「……僕がここから逃げた場合、瑠璃乃はどうなるんですか? エイオンベートも」
もう尋ねる前から永遠の中で、これからどうしたい、どうするべきなのか答えは出ていた。ただもう一度、強く引き留められたかった。やってくれと言われたかった。他人に一押ししてもらわないと動けない。なんて面倒くさい。とんだ甘ったれだ。そうやって自嘲してから、永遠が博士に問いかけた。
「エイオンベートなら、被害が大きくなるだろうが、別の乙職の者によって対処できるだろう。瑠璃乃は…………しばらくは起きないだろう」
博士が苦悶を浮かべながらも、悟られないように努めて言った。
「……そう……ですか……」
永遠は、ソッと涙声で呟くように返す。
トレーラーの車内に静寂が漂う。
大人達は少年の意思を汲み、温かな諦観をもって少年の背が語る静けさを受け入れている。
少年は足掻きたいのに足掻けないもどかしさを表に出すことも出来ず、沈黙するしかできないでいる。自分で勝手に作ってしまったというのに、自分一人では勝手に壊すこともままならないルール、
そんな三人が生み出している静寂を破ったのは少女の声だった。
――……いかないで……――
望みを押し殺しながらも漏れ出してしまった強い想いと形容できるような瑠璃乃の声が永遠の耳に届く。
それだけでよかった。
永遠は伏していた顔をゆっくりと上げていく。
「……そう言われたら、仕方ないじゃんか」
今まで生きてきた中で、前向きに立ち止まる事ができる一番喜ばしい言い訳を見つけて、博士達に見えないよう、永遠は赤い目で鼻水をすすり、フフっと弱く吹き出した。
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