ほのかたらう僕らは普通になれない

牛河かさね

第1話 プロローグ

 裸の女の子が立っていた。


 ひきこもりの少年、林本永遠はやしもととわが四月の春先お昼前、自室のドアを開くと、上がっていってしまう口角と、瑞々しく弾けそうな嬉々とした活力を押し止めるように、腰の横で二つの拳を握りしめた女の子が立っていた。


 腰まで伸びる金の髪に、つり目がちな青い目をした、格別に魅力的な女の子が言う。


「はじめまして! べっ、別に永遠のことなんて好きか嫌いかだと大好きなだけだけど……」


 女の子は頬を紅潮させ、気持ち荒くなった呼吸を整えてから、浮き世離れした整った顔立ちで、はにかむと、


「わたしは、永遠の味方ですっ‼」


 澄み渡った青空のような色をした瞳で永遠の両目を真正面から捉え、屈託のない笑顔で言い切った。まるで太陽のように眩しく、お日様のように温かな笑顔が永遠に向けられる。


 初対面、しかも同世代だろうに恐怖心を感じない。トラウマと“痛み”も顔を出さない。むしろ、笑顔を受けて安心感さえ覚えるほど、永遠の心は温もりで満たされていく。


 いや、初めてではないのかもしれない。確かに視た事がある。自分はこの子を知っている。漠然とした、記憶というのもおこがましいようなイメージだったが、そう感じていた。


 ただ、温かさと同じかそれ以上に彼の中に湧き上がってくるものが、それらを拭った。激しく抑えられない若さ故のリビドーだ。なにせ一糸纏わなぬ完全な、まっ裸なのだから。


「…………びにゅうだ」


 永遠は目を剥き、両方の鼻の下に伝う生温かさを感じながら呟いた。






 時は遡り、まだ朝霧にかすむ早朝。


 エンジン音もタイヤを擦る音もなく、地上を滑るように走る一台のトラベルトレーラーが、田舎の何の変哲もない一軒家の前に停車した。


 その車体は停車してなお、地面から浮いている。


 大きな車体を目立たせないよう一軒家から少し離れた場所に停めると、若い女性と白衣の中年男性が、一軒家の二階にあるカーテンが閉めきられた部屋を車の中から窺う。


「車体は隠さなくていいんですね?」


「ああ。これから彼には幾つもの非礼を重ねることになる。だからせめて、これぐらいはフェアに行きたいんだ」


 女性の問いに男性が答えると、女性は分かっていたように静かに頷いた。


「最初の非礼を許してくれ、林本永遠君。君の今を視せてくれ」


 男性は、永遠に許しを請うてから、手元のコンソールを操作した。






 とある地方の午前中の山間部。空飛ぶ二機の巨大な輸送機が、山あいの空中を静かに滑るように姿を現した。翼らしい翼もなく、エンジンのような推進器も存在しないというのに、空中を羽毛のように軽やかに飛んでいる。


 機首から機尾まで30メートルを超えていても無骨ではなく、丸みを帯びたフォルムが大昔の新幹線のような柔和な印象を与える。


 鳥に追い越されるほど遅く、空を徐行運転するように進む輸送機が目指すのは、山間の集落の一角にある広大な用地だ。〝とある災害事象”に対処するために設けられたその場所は、隣接するショッピングモールの巨大な駐車場よりも大きな、サッカー場六つ分ほどの空き地のことを指す。


 輸送機のパイロットらは、緑の山あいを抜けた先にて人工的な地面の用地を視認すると、二機それぞれが空中でホバリングし、並んでゆっくりと着陸する。埃が少し舞ったが、それ以外は静かなものだった。


 だからなのか、空き地のすぐ傍の畑で農作業をする老年夫婦も、輸送機のことを見ても訝しむことなく、農作業を続けていた。隣接するショッピングモールの客も関心を示さない。


 二機が動きを完全に止めると、一方の機体のハッチが開き、「ハルジオン」というロゴが入った制服に袖を通した男性が最初に空き地に降り立った。笑うとえくぼが出きて愛嬌があり、かなり若く見える。

 

 彼は作物を収穫している老夫婦に駆け寄ると、愛想良くペコペコと会釈を繰り返し、愛嬌良く慣れた様子で親しげに挨拶を交わす。


 何気ない世間話の末、男性は手土産のキクラゲをレジ袋いっぱいに頂戴し、輸送機の中へと戻った。


 帰ってきた男性が機内を見回すと、中には男性のような制服ではなく、黒い重武装の防護服、鉄の鎧と形容していいものに身を包んだ10名ほどの巨漢達が姿勢良く腰掛けて待機しているのが見てとれた。彼等に向かって、制服の男性が頂戴したものを笑顔で掲げる。


「キクラゲ頂いちゃったよ! 今日は中華かな?」


 その知らせに機内がドッと沸いた。


 鎧の男達の喜びようを満足げに眺めている男性のインカムに報告が入る。


式條しきじょう氏より定時連絡! 看取対象と『アザレアージュ』接触! 目標出現までは約2時間とのことです!』


「そっかそっか! お嬢ちゃん、起きたんだなぁ。式條さん、うれしかっただろうなぁ……」


 感慨深く頷く男性の顔は今日一番綻んでいた。


「おしっ。聞こえたとおりだ。今さっき式條さんから連絡があって『アザレアージュ』が目覚めたそうだ」


 巨漢達が、また沸いた。喜色に満ちた歓声だった。


「このまま順調にいけば、二時間で対処対象が現れる。その際、『アザレアージュ』の活動を補佐・支援し、周辺被害を最低限に、いや、全くのゼロにするために、俺等は気張って踏ん張らにゃなりません」


 穏やかさの中に鋭さを宿す男性の言葉を真剣な面持ちで捉え、微動だにしない鎧の男達。彼等の真摯な眼差しを受け取ると、男性は硬い表情をスッと崩した。


「だからこそ、みんな、腹ごしらえしよう! 備えあれば憂いなし。腹が減っては戦は出来ぬ。と言うわけで、今から中華丼作るから、昼飯にしようぜ!」


 男性は椅子の下から大きめの中華鍋を取り出し、男達に笑いかけた。


「「「了解!!!」」」


 気持ちの良いほど皆がシンクロした大きな返事が響き、全員の顔が緩む。


 ワイワイとなる男達を見届けた後、男性は鋭い眼光を備えた面持ちで機窓から空き地を見渡して言う。


「さぁ、『エイオンベート』。いい子だから、ぐずらず逃げずに相手をしてくれよ……」






(逃げてきてしまった……)


 永遠は自分の部屋の前で項垂れていた。


 とりあえず、目の前に現れた愛くるしい全裸の女の子に部屋に入るように頼み、毛布一枚を羽織らせ、何も告げずに手を胸の前に突き出し、「ちょっと待ってて」のジェスチャーを残したまま部屋を後にした。


 大きな目を開いて小首を傾げ、じっと見つめられていたのには罪悪感を覚えても、母親以外の現実の女性との会話は何年か無かったし、何を話していいか分からない。だから、これからのプランも何も無く、ただ逃げ出すように部屋を出たのが本当のところだった。


(これからどうすれば……。それにしてもあの子何者だろう? たぶん外国人? あの子が僕の“パートナー”? それと……びにゅうだった)


 異性の前で大事なところを包み隠さず晒しているというのに、本人はあっけらかんと恥ずかしがる素振りもなく永遠のことを見つめていた。あれが進んでいる外国の女の子のスキンシップなのだろうかと、ついていけないようなカルチャーショックで意識が軽く混濁しながらも、逃げるように一階に下りてきていた。


 すると、忙しなく動き回っている永遠の母である富美子の姿を目が捉え、鰹だしの利いたカレーの匂いを鼻腔が拾った。


「……母さん」


 富美子は極めてボリュームの小さい息子の声を当たり前のように拾って振り向いた。


「ごめんね、永遠。お母さん、今から出かけなくちゃいけなくなって。お留守番頼める? あ、お昼はカレーうどん作っておいたから好きな時に食べてね。ところでさっき大きな音が――」


 全てを伝えきる直前、富美子が固まり、目をパチクリ瞬かせている。

 母の様子がおかしい。瞬きを尋常じゃない回数こなしている。まるで息子の背後に幽霊でも視たように。


 永遠が母の向いている方を何の気なしに振り返ると、部屋に残してきたはずの女の子が立っていた。毛布一枚を羽織っただけの格好で。


「いい匂いですね!」

「きゃ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」

「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」 


 富美子に無邪気に笑いかける女の子を親子揃って凝視し、親子揃って絶叫した。


「外国の子なのに日本語がお上手!」

「そっち⁉」





 この子と働きたい。


 そう告げた時、富美子は険しさを一瞬覗かせた。息子が置かれた現実を知っているからだ。


 しかし、すぐに慈しみを笑顔に載せて、永遠の選択に賛成した。様々ある息子の悩みや事情。それを慮ると息子の意思を尊重した。


 母は息子と違って速かった。事情を説明すると現状をすぐさま処理する。


 女の子にとりあえずの服を用意して着替えるようにお願いし、永遠にはただ待つ事を指示した。そして息子に小遣いを渡し、応援していると告げて春風のように家を後にした。


 当事者以外が家にいないことが果たして吉となるか凶となるのか。永遠は着替えを待つ間だけでも、母への申し訳なさや、これからへの不安で心が波立って仕方なかった。


 そうやって居間を時計回りで歩いていると、冬にはコタツにもなるローテーブルの上に置いてあった新聞サイズと広告チラシサイズのフレキシブルモニターを3周目ぐらいに発見する。


 表示されているチラシを何の気なしに見下ろすと、そこには思い出の詰まった場所、この地域最大のショッピングモールが写っていた。


 チラシが出る度に眺めていた、近くて遠い場所になってしまった所だ。


 だからいつも、チラシを見る度に郷愁を抱き、訪れた際に起こりうる懸念事項を思うと発生してしまう腹側部の“治せない痛み”に苦しめられながらも、行きたいと願ってしまっていた。


「行きたいの?」


 永遠の背後からひょっこり顔を出した女の子がハツラツに訊く。


 急な事に驚いた永遠が小さな悲鳴を漏らした後、モジモジとする。物理的にも精神的にも距離が計れなかったからだった。


「行きたいって言うか……あの……その……」


「じゃあ、いっしょに行こっか♪」


「えっ⁉」


「あっ! べっ、べつにデートしたいなんてとっても思ってるわけじゃないけど、永遠がどうしてもしたいって言うなら、デートっ! してもいいよっ⁉」


 永遠は戸惑う。デートの誘いそのものと、彼女の少し変わったツンぐあいに。


「そんな……会ったばかりの人といきなりデートなんて……」


「したくない?」

「したいです」


 小首を傾げて問われると、永遠は即答してしまった。


「じゃあ、いっしょに行こうね♪ まずは男の子に服を選んでもらうんだって!」


 そう言うと、ジャージの上下を着た女の子はくるりと踵を返し、玄関の方へ向かう。永遠は勢いに飲まれるように後を追った。


 この子の前だと正直になってしまうのは何故だろうと心の中で首を捻っていると、女の子が急に立ち止まり、背中を向けたまま永遠に語りかけた。


「……永遠? わたしね、瑠璃乃るりのっていうの。瑠璃色のるりに、マクドナルトのMのマークをななめにして、片方の棒から、にょーんって毛が生えたみたいな乃って書く瑠璃乃」


「えっ⁉ う、うん?」


 突然の説明に困惑する永遠はそうとしか返せない。


 瑠璃乃と名乗った少女は、永遠に顔がギリギリ見えない角度まで振り向き、耳まで真っ赤に染めたまま、ダメ押しをする。


「……わたしのことは名前で呼んで?」


「えっ⁉ …………はっ、はい。……るっ……瑠璃乃…………さん」


 最大限の譲歩としての“さん“付け。ただそれでも瑠璃乃は嬉しいようで、


「はいっ♪」


 跳ねるように振り返り、白い歯を露わに、小さく挙手して応じたのだった。


 こうして瑠璃乃と共に、永遠は三年ぶりの外へと向かう。何の心配も無く、流れに身を任せ、自身が患う“この世界で唯一治せない病”の存在を忘れて、自然に出て行けると思い込んでいたのだった。

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