第2話 きっかけ
もしかしたら、ありきたりな話なのかもしれない。ただ、
一目惚れに近かった。
中学二年生になったばかりの春。同じクラスになった今まで接してきた異性とは全く違うタイプの女子生徒に激しく惹かれた。艶やかな黒の長髪が美しく、中学生とは思えないほどスタイルが良かった。顔立ちも整っていてまるで芸能人のよう。それでいて立ち振る舞いは人懐っこい。永遠が初めて意識した異性だった。
仲良くしたい。男子なら誰だって抱く欲望を胸に、永遠はずっと彼女を目で追った。
永遠の好意に気付いた彼女は彼にあるお願いをする。
誰も居ない夕暮れの教室で二人きり、自分より背の低い永遠の目線まで屈んで目を合わせ、両手で永遠の手を握り締め、甘えたような声で要求して去って行く。
明日、本心を教えてと請われた永遠は天にも昇る心地だった。
翌日の放課後。彼女に言われた通りに覚悟を決め、彼女の指定した校舎裏で想いを伝えることになった。
永遠の告白を彼女は受けた。その直後、唇をねだった。
人生初の大舞台。目を瞑り、大量に発汗し、鼻息吐息全て荒いが、彼女の肩を掴む両手は優しく、永遠は精一杯に真剣に唇を尖らせた。
そんな永遠を前にした彼女が微笑んで一言。
――キモッ――
間抜けな顔のまま永遠が目を開けると、そこにはウジ虫の大群でも見るかのような彼女の貌があった。
まぶたが急速に見開かれる。受け入れがたい光景から脱するため、永遠の体は防御反応として無理矢理に主を覚醒させた。
見開かれた瞳が、いつも通りの天井の木目を写す。
浅く速い呼吸で息をして、匂いや空気で自分の部屋だということを確かめる。
背中が汗でじっとりと濡れ、シャツに張り付いて気持ちが悪い。
勉強の最中、ふと疲れを感じてベッドに横になったのを覚えている。永遠はいつものように取れることのない疲労感のため、体が睡眠を欲し、いつの間にかに眠ってしまったのだった。しかし、10分もしないうちに悪夢に耐えられず起きたのだと時計を見て理解した。
呼吸の整えると、ゆっくりと上体を起こす。起こすと脇腹から背中に掛けて、顔を歪ませるほどの痛みが走った。それで今日も思い知らされる。蹴られたところの痛みまでもが“再現”されてしまったのだと。
その痛みに追随するように、悪夢の続きが強制再生されてしまう。
初恋の彼女は、状況把握が追いつかない永遠を確認すると、「止めて! 助けて!」と悲鳴を上げながら、肩から彼の手が離れない絶妙な力加減で身じろぎを繰り返す。
訳が分からないまま永遠が手を離そうとした瞬間、
「その手を離せ!」と、威勢の良い声と共に永遠の横っ腹に衝撃が走った。
跳び蹴りを食らい、永遠は地面に倒れ込む。
呻いている永遠に、声の主が「人の女に手を出すな!」とさらに怒鳴りつける。
激痛に苛まれる腹を押さえて呻きながら上を向くと、蹴った男子生徒の胸の中で泣きじゃくる真似をする大好きな彼女が居た。
泣き真似。
威風堂々に振る舞いながらも半笑いが漏れる男子生徒。
何より彼の背中の向こうで、スマホをかざして撮影しながらクスクスとヘラヘラと
罠だったんだと。
先輩に当たる三年生の男子生徒は自称配信者。「正義の味方したったw」と銘打ち、自分のチャンネルで動画を公開する手筈だったのだと永遠は後で知った。
動画はスクール・ロイヤーと倫理AIの迅速な判断によって早急に削除されたが、クラス限定のSNSには流れてしまった。その動画の真偽、どちらが被害者で加害者か、動画を見たクラスメイトの判断は割れもしなかった。
後日、この件は不問となる。表向きは被害者の彼女が永遠を許したということで決着した。
明確で表立った永遠への侮蔑などを含んだ態度は倫理AIに虐めと認識されてしまう。だからクラスメイト達は蔑みと敵意を隠しながら“いつもどおり”に永遠へ接した。
そんな“いつもどおり”に永遠は耐えられなかった。
一学年はもちろん、卒業するまで自分が壊した立ち位置は修復出来ない。クラスの空気は治らない。学校に永遠が安心できる場所は無くなった。
他人を恐れるようになり、家で過ごすことを余儀なくされた。
これが林本永遠という17歳の少年の、ひきこもりの経緯だった。
永遠は喉の渇きに備えて置いてあったペットボトルを口に含むと、半分ほどを一気に流し込んでから、おもむろに立ち上がり、体にこもった熱を冷ますため、窓に向かう。
カーテンに少しだけ指を掛けると、外より暗い部屋に一筋の光が差し込んだ。眩しさに目を細めながら、永遠はその先を見遣る。
隙間から、広大な田畑の間にポツポツと民家があるような心癒やされる山あいの風景が広がっていた。
庭を見下ろすと、麗らかな春の陽気のもと、雀が気持ちよさそうに囀っているのが目にも耳にも届く。そんな情景を瞳に写していると、どうしても欲が出てくる。
外に出たい。
そう思った瞬間、庭を越えた家の前の道に、向かい風を受けて自転車を走らせる地元の高校の制服を着た女子生徒二人が目に入った。
まだ昼前なのに何故? と首を捻ったが、行事かなにかあったのだろうかと、とりあえずそんな疑問は無意識に頭の隅に追いやろうと試みる。
だが、どうしても視線は女子生徒に注がれてしまう。
道は永遠の部屋から10メートルほど離れている。よく目を凝らさないと視線は感じ取れないような距離だった。言ってみれば絶対の安全圏。しかし、そんな安全圏からでも、目が合った……ような気がしてしまった。
永遠は、スッっと顔を逸らし、体を引っ込め、カーテンを急いで閉める。
直後、永遠の心に訪れた感情は、とてもとても大きい不安だった。
――ひきこもりじゃない?――
そう自分のことを蔑んでやしないかと不安と緊張が押し寄せてくる。動悸がする。無意識に息をする音さえ隠すように呼吸は静かになっていく。まるで自分はここにいないと言わんばかりに、静かに
外に出て行くどころじゃない。トラウマに関する事象を目にしてしまうだけでこの様。過去にいつまでもいたぶられ続けている。克服なんてほど遠い。将来とか明るい展望を夢見ては、現状の一歩も進めていない現実に打ちのめされ、絶望に近いものを抱くしかない。
たとえ“誰にも治せない病”を患っているのだからと自分を慰めても、彼は今の自分を認めてやることができないで藻掻き苦しんでいた。
ともあれ呼吸を落ち着けることに専念していると、ややあって息を整える事に成功する。永遠はもう風に当たって熱を冷ますのを諦め、カーテンを閉じようとした。
が、またしてもいつもと異なる光景を目にしてしまう。
銀色の古びたトラベルトレーラーが、先ほど女子生徒が走っていた道の先、緩い坂道に差し掛かる直前辺りの永遠の家の向かいに停車していた。
主に外観のせいで、永遠は目が離せなくなる。とても奇妙で珍妙なトレーラーだったのだ。
宇宙飛行士をスペースシャトルまで運んだアストロバンにとてもよく似ている。
だが、かなりオンボロ。オンボロというよりボコボコ。
頻繁に落石が起こる採石場に何年か放置されていたたのかと思わせるほど、とにかく車体のそこかしこがヘコんでいて、所々が小さく焦げたように汚れている。
トレーラーの窓からは少しだけ明かりが確認できる。だが運転席には誰の姿も確認できない。
なのに時々、車体が少しだけ揺れることがある。
これらを合わせると中に人が乗っていると推測できた。
が、この車に注目せざるを得ない理由が他にあった。
この車、全体が少し浮いている。物理的に地面から浮き上がっていた。
時代は2030年。全ての病を治療することが可能となり、地下には東名阪を20分で結ぶリニアが走り、空には日米間の日帰り旅行を実現するような飛行機が運航し、宇宙まで届くエレベーターの建設が始まった科学万能を称えるような時代。
そこにあっても普通の道で、あんなに静かに浮く車の存在を永遠は知らない。
しかも、トレーラーの屋根からパラボラアンテナのような機械が永遠のちょうど正面に向けられている。なんだか凝視されているような錯覚を覚え、永遠は動けなくなってしまった。
ただ、得体が知れないから、ますます不安が増していって、視線だけは逸らせないでいた。すると、車体が全体的に大きく揺れた。突然の事に永遠の肩も跳ねる。
乗っている人間が出てくるかもしれない。こっちを見られるかもしれない。大きな不安を持ちながらも、永遠はもっと大きな恐れに駆られ、ついに身を隠してしまう。
しかし、それでも気になるものだから少し経ってから背中越しに窺ってみることにした。すると、アンテナはもうトレーラーの中に収まっていた。
(……な、なんなんだ?)
一人のひきこもりの少年と
「博士、永遠くんのスキャニング終わりました。それと、私達に気が付いたみたいです」
リクルートスーツに身を包んだ、柔和で穏やかな雰囲気をもつセミショートの見目麗しい女性が、トレーラーの中のもう一人、博士と呼ばれる男性に伝える。
彼女の前に展開されていた数ある立体モニター画面の一つを、車内が窮屈でしかない背丈の博士の目線まで指で弾いて飛ばすのも忘れない。
「ありがとう弥生君。そうか。余計な不安を与えなければいいなあ……」
博士は申し訳なさそうに眉根にしわを寄せ、後頭部に片手を添えた後、弥生という女性が指で弾いて届けてくれた宙に浮く画面を真剣な眼差しで観察する。
「……なるほど。前頭極部、腹側運動前野領域の活動が、かなり活発だね。左線条体の活動値や右線条体と左側前頭前皮質背外側部との接続性に所々不調和もあるようだ。これが原因で過度のアップレギュレーションを起こしている」
弥生の報告を受けて、博士が、ほの暗い車中に所狭しと置かれる様々な機器や、宙に浮いた画面を不気味に光る眼鏡越しに直立不動で観察しながら、永遠の脳の変質を述べる。
「それに林本君の神経伝達物質の経路や回収能力に“彼ら”特有のパターンが見受けられる。どう思う?」
かなりの長身と栄養失調が疑われるほど細長い手脚。それに白衣が加わった不気味な印象の外見にそぐわない柔和な口調と穏やかな眼差しで、博士は腰掛けている弥生に問う。
「永遠くん個人の
「そうだね。何よりこのスキャン結果から鑑みるに、精神の消耗が著しい。シナプスの減少度合いと大脳皮質の薄化ぐあいからも明らかだ」
「つらかったでしょうね……」
「ああ。彼の場合、部屋で過ごすこと自体が状態を悪化させてしまっているんだろう」
二人の顔が曇る。当事者ではなくとも、彼の痛みを深く理解できるからだった。
共に永遠の事を慮り、心中を想像すると心が締め付けられる。
しかし、同情からさらに先へと進むため、博士は顔を上げた。
「でも、だからこその可能性だよ。これも見て」
博士が別の浮遊する立体モニターを弥生の目線まで下げる。
「5-HTTがS型にも関わらず、彼の扁桃体は標準より20%強、肥大している。ミラーニューロンの総数も平均の10倍以上だ。間違いなく、彼が彼たる証だよ」
励ますように弥生に語りかけるのと同時に、博士がトレーラーの後方を向いた。
そこには車の後方空間を圧迫するほど大きな円筒型の
中からは見ていると安心感を覚える穏やかで温かい桃色の光が漏れている。
「リアルタイムで過剰に進む自傷のための回路の形成。自分一人ではどうしようもできない正常ではない報酬系への過度な依存……。毎日が辛かっただろう。生きづらかっただろう。けれど、そんな彼にしか果たせない役割がある」
視線はカプセルに向けられたまま、博士が、まるで誰かに伝えるように力強く言う。
「もうすぐだ。もうすぐ君は目覚められる。だからこそ……」
博士はカプセルに語りかけた後、車内からでは見えないはずの永遠の部屋を目掛けるように、勢いよく上を仰ぐ。
「『ペネトレーター』……僕らは君を待っている!」
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