第36話 わたしは、わたしでいていいんだよ?
可哀想とか同情されたいんじゃない。
特別扱いされたいんなんて思わない。
ただ、普通に近付きたかった。
客観的に見て、自分も瑠璃乃も普通じゃない。
でも、瑠璃乃には何かに縛られることなく、好きなように振る舞ってほしい。
そして、それは自分にも言えることだ。瑠璃乃を笑顔にすることができた自己肯定感から生まれた考え方だった。
もっと笑わせたい。
ずっと笑顔でいてほしい。
彼女のためにも、自分のためにも。
そのために対等でいたい。
普通から逸れているもの同士だからこそ、永遠はそう思えた。
伝えるんだ。永遠は強くそう思いながらトレーラーに駆け込んだ。
車内に駆け込むと、弥生が忙しなく作業しているのがまず目に入る。彼女は様々な機器を操作しながらも、まるで永遠が来ることを知っていたように、息を切らせている彼に感謝と満面の笑みを向けて出迎えた。
「おかえりなさい、永遠くん!」
その笑顔を向けられて、永遠は気恥ずかしさと後ろめたさに挟まれてしまい、困ったように眉間を寄せて笑顔を作る。
「あ、あの! 僕っ、どうすればいいですか?」
「簡単よ。“僕には君が必要だ! 大好きだ!”って伝えてあげて?」
「むっ、難しいです!」
「なら、お友達から始めましょうでも構わないわ」
「それなら、が、頑張ってみますっ!」
「うふふ♪ 冗談言ってごめんなさい。結局はね、この子を認めてあげてほしいの。迷わないでいいよって……ね?」
永遠は弥生の言葉をよく咀嚼し、冷や汗、脂汗、どちらか分からない汗で顔にいくつもの筋を作り、同意していると大きく頷いた。
そして、瑠璃乃に相対するために車内の奥へと歩み寄る。
あえて声は掛けず、代わりに弥生は信頼を込め、永遠に頬笑みを向けたまま外に出た。
(この子の役に立ちたい。少しでもこの子を助けられるようになりたい。それが僕にもできる役割なら、こんなに嬉しいことはないってやつだよ)
瑠璃乃の存在を充分に理解することもできていない。だからこそ、瑠璃乃に自分がしてやれること、それは今、瑠璃乃に
永遠は床に両膝を着けると、カプセルにそっと片手を触れる。無機質な物質に触れているのに心なしか温かい。
一度深呼吸で息を整えてから、永遠は瑠璃乃の眠るカプセルをしっかりと見据える。
「まず最初に……ありがとね……だよ」
永遠に反応しているのか、カプセルから漏れ出る薄桃の光が空間を滲ませるように強まった。
「……今日、楽しかった。連れ出してくれてありがとう。君のおかげで外に出てもそんなに怖くなかったし……その……あの……こんな僕でも気持ち悪がらずに傍で笑って、相手をしてくれて、デートしてくれて……認めてくれて本当にありがとう……」
現状の瑠璃乃に意識というものがあるのか無いのか、永遠には分からない。だが、話を聴いているのか、カプセルの光に強弱が現れる。永遠は瑠璃乃を強く感じた。
「君が来てくれるまで、僕はもう普通には戻れない……関われないって思ってた」
ひきこもり始めの頃、精一杯の勇気を振り絞り、外へ出る練習をした。その時、同級生に掛けられた心無い一言があった。それが決定打になって、様々な事を諦めた。
以来、家の中から躊躇するばかりで、まるで蟻地獄に落ちて藻掻き苦しんでいるような毎日だった。
それなのに、瑠璃乃と出会えたことで、昨日の自分では信じられないであろう今日がある。
「けど、そんな僕に君が役割をくれた、普通じゃなくたって、自分の望んだようにしていいんだって思わせてくれたんだ……」
俯き気味でも口元を緩め、永遠が今日を回顧する。
「……女の子とデートなんて一生できないと思ってた……だからさ、ほんとにほんとにありがとう」
カプセルが大きく真っ赤に光った。それはまるで照れているようだ。永遠も頬に熱を持ち、二人が共に同じことで照れていた。
「……それとさ、何よりも迷わせちゃってごめんね。……僕がヘタレなばかっかりに」
実体は無い。だが、カプセルの中に確かに存在すると確信できる瑠璃乃に永遠は謝る。
「君のこと、聞いたよ? 僕のために、こんな僕なんかに合わせて自分を変えようとしてくれてること。だからさ……ごめん……」
永遠はカプセルを真正面に捉えてから頭を下げた。そして、そのまま目線は下に向けたまま言葉を継いでいく。
「アザレアージュのこと教えてもらってからさ、正直言うとさ、僕の出すエルイオンが目当てで、仕方なく僕に媚びてる……なんてつまらないことも考えたよ? でもさ、君の笑った顔を思い出すと、絶対そんなふうに思うような子じゃないって思えるし、もしそうだとしても、それはそれで嬉しいって言うか……思いっきり上から目線で、めんどくさいダメ男の言うことだけど、僕は結局、君に必用とされれば思い上がれるってことなんだよ」
永遠は自嘲を漏らしながら鼻を掻く。
「……客観的に見て、君は……すごく可愛い。ツンツンするのも面白い個性だと思う。けど、一番見てたいのは無邪気に笑ってる顔だと思ったんだ。その笑顔を見るために、僕から出るものがいるんだったらいくらでも出すよ」
はっきりと褒めるのは気恥ずかしい。だから永遠は多少回りくどい言葉を選ぶ。
「……でも、そのために自分を無理矢理相手に合わせるなんてダメだよ。僕は君と対等でいたいんだ。だから……」
永遠は締まりの無い顔ながら、真剣な眼差しでカプセルを仰ぎ見る。
「だから、僕のために僕に合わせて君が変わることなんてしたらダメだよ。確かに理想の女の子が出てきてくれたら、それは僕にとって夢のようだよ? ……でもさ、僕の心臓は脱毛手術済みかってぐらいツルツルだから、きっと後で後悔すると思う。決めつけて生み出しちゃってごめんね、無理矢理変わらせちゃってごめんねって……」
カプセルを見上げる永遠の瞳に、力がこもった。
「だからさ、僕を助けると思って、君は君のままでいてよ。僕には君が必用で、君も僕を必用としてくれてる。それぞれに与えられた役割で、それぞれが笑顔でいられる。それって、その……素敵……だよね? 僕と君なら、そんな関係になれるんだよね?」
まるで頷いているように、カプセルの上から下へ光が波を打って輝く。何度も何度も。その光の変化に永遠は頬笑んで、
「ならさ、偉そうなこと言えないけど、やっぱりお互い、ありのままでいようよ。君が僕の情けなさを受け容れてくれたように、僕は君がどんな君だったとしても受け容れられるよ?」
――どんなわたしでも、わたしのそばにいてくれる?――
突然、頭の中に直接響いてきた瑠璃乃の声に永遠は目を丸くする。だが、すぐに喜ばしそうに目を細めた。
「……うん」
――永遠のとなりにいてもいい?――
「うん、うん」
――わたしが決めた、わたしでいいの?――
「もちろんだよ。誰かに決められた役割じゃない。僕が望んだ君じゃない。君が選んだ君でいてくれるのが、僕は一番うれしいよ。だから、わたしは、わたしでいていいんだよ?」
瑠璃乃の迷いを断ち切りたいという強い想いを込めて、照れ臭くなりながらもハッキリと永遠が答えた瞬間、カプセルが爆発するように天高く飛んだ。
天井に空いた穴から白煙を上げて飛び出し、車内に煙が立ちこめる。
目の前の巨大なカプセルが、何の反応もできない速さで消えていったのに対し、永遠はカプセルに触れていた手の位置はそのままに、目を大きく見開いたまま動けない。
だが、すぐに自分の胸を光のチューブが通り抜けているのを見つけると永遠は心底ホッとしたように安堵の息を漏らす。
白煙に包まれる中でも永遠の動揺が治まっていくのは、このチューブがあるおかげだった。確かなことは言えない。だが、自分の胸から生えているチューブは瑠璃乃との繋がりなのだと信じることができた。
永遠はチューブに触れながら立ち上がり、煙が晴れていくのを待つ。
次第に晴れていく視界の先にうっすらと人影が見えてくる。
それを見た永遠の胸中は、安らぎと胸の高鳴り、作用は違っても同質の二つの喜ばしい多幸感に満ちていく。
天井に空いた大穴から吹き込んでくる風を受けて、ゆっくりと流れるようにたなびく腰まで伸びる澄んだ金の髪に天色の瞳。見間違える訳は無かった。
自分はパートナーを呼び戻すことに成功したんだと永遠が頬を緩ませた時、胸のチューブが役割を終え、霧消する。永遠は、彼女の存在を確かめるようにパートナーに呼びかける。
「るっ、瑠璃乃……?」
呼び掛けたのと同時に、車内に立ちこめていた煙が天井の穴に竜巻のように流れ込んで一掃される。すると、彼女の姿がはっきりと現れた。
「……そっ、そこまで言うなら仕方なく、永遠のことなんて好きでもなんでもなくはないけど、と~~っても! しかたなくもないけど……」
開口一番、そっぽを向くように横を向いて素直に気持ちを表せないもどかしさを孕んだ、永遠にとって特徴があって聞き覚えのあるツンツン口調の後に、
「永遠のことが大好きなわたしでいてあげるねっ‼」
天井から注ぐ光に照らされた瑠璃乃は、はにかんだ直後、こぼれそうな笑顔でそう言い切った。
それなりに心得ることができた瑠璃乃のアイデンティティー。それからの再会。なのに、ほとんど何も変わってない。自分の恥ずかしい告白に意味はあったのだろうかとも永遠は顔が熱くなるのを感じた。
だが、彼女は今、確かにここにいてくれる。なら恥をかくのも悪くないと思えた。
それに、変わらないことが瑠璃乃が選んだ瑠璃乃なんだと思えると、永遠は堪らなく嬉しくなってきて、抑えることができない想いを載せて瑠璃乃に優しげに声をかける。
「……おかえり。瑠璃乃」
「えへへ、ただいま♪」
蕩けるように甘く、人懐っこい天真爛漫な笑顔を浮かべ、瑠璃乃が応えた。
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