第37話 空を跳ぶ

 幾重もの捕縛縄ワイヤーでがんじがらめにされたエイオンベートが、自身の体に食い込む縄を振り解こうと体中に力を込めると、縄がギシギシと悲鳴を上げる。


 巨人の体の形が変わるほど縄同士を締め付けている捕縛アンカーの連結部が、巨人の抵抗に晒され続け、オーバーヒートの兆候を見せ始める。


 エイオンベートに巻き付けた捕縛縄を綱引きのように全力で引っ張っている隊員達の義肢も長くはもたない。放熱のため皮膜を外し、剥き出しになっていた人工筋肉も酷使し過ぎたため熱を帯びて湯気を出し、周囲の空気を歪ませている。


『拘束装置緊迫部、みなさん共に限界です』


 弥生が赤木のインカムへと状況を連絡する。


「分かりました。……まっずいなぁ」


 赤木が眉間に皺を寄せて唸る。だが、台詞とは裏腹に顔にそこまで焦りがみられない。


 近代の野戦病院さながら、隊員の手脚を様々な装置を駆使しながら取り替えて東奔西走し終えた博士も、息を切らしてつらそうなのに、口元は緩んでいる。


「はぁ、はぁ……ふふっ……我々だけでは万事休す。だが……」


 二人は上を仰ぐ。その瞳には、余裕をもたらすものの正体……とんでもない速さで天高く昇っていくカプセルが、あっと言う間に点のように小さくなっていくのが映っていた。


『はい、大丈夫です! 本日の主役の登場ですよ♪』


 インカムから漏れ聞こえる嬉々とした弥生の報告に博士が安堵の息を漏らしから“そちら”に振り向き、慈しみに満ちた眼差しを向ける。赤木も同じ方に目を移す。


 そこには瑠璃乃に手を引かれ、早足になりながらも並んで歩いてくる永遠の姿があった。


「あ、あのさ……どうしても手って繋がないとダメ?」


「ダメで~~す! こうしてないと力でないもん。だから、しかたなくだけど喜んで、手、握っててあげるね♪」


 今更照れて嬉し半分に抗議する永遠と、得意げに半ば強引に永遠の手を取って元気よく歩いてくる瑠璃乃。二人の凱旋を、博士と赤木は笑顔で迎えた。


「よく帰ってきてくれたな、二人とも……」


「おおっ! やるな、永遠! やれば出来るって信じてたぞ!」


 先程まで自分を責め立てていた人間とは思えないフレンドリーな赤木の態度に面食らいつつも、とりあえず博士の包み込んでくれそうな優しげな出迎えに、永遠は照れ笑いで返した。


「ただいま~! 博士、あの子の様子はどう?」


 本調子に戻った瑠璃乃が元気いっぱいに訊く。


「見ての通りだ。状況は、かなり――」


 博士が説明に入った途端、エイオンベートが抵抗に耐えられなくなった捕縛アンカーの連結部分を破壊し、自由を取り戻した巨体の上体をうねらせた。


 必死に捕縛縄を引っ張って巨人を押さえ込んでいた隊員等の奮闘を嘲笑あざわらうように彼等をワイヤーごと空高くへ放り投げるというショッキングなシーンが永遠の目に入った。赤木の口がアングリ、ゆっくりと大きく開かれていく。


「……見ての通りだ」


「わぁ……飛んだねぇ、みんな……」


「あ、ああ……。あいつらはあんぐらいじゃ死にゃしないけど、義肢のストックはもうないし、後のことはお願いできるかな? お嬢ちゃん」


 部下を信頼しきっているのか、赤木は隊員達の生死よりも状況の進展を優先した。これからは一切、隊による支援が及ばない。だから任せてもいいかと瑠璃乃に問う。


「うん、分かった! じゃあ、行ってきます!」


 瑠璃乃は明朗に応じると、永遠の体をサッと抱き寄せ、お姫様抱っこに移行する。


「ああ、頼んだぞ」

『二人とも、行ってらっしゃい!』

「一発ドカンとかまして、あいつを開放してやってくれ」

「え? あの、その、もしかしてまたいきなり――」


 博士と赤木に笑いかけ、遠くに控えて作業する弥生に手を振った瑠璃乃は、エイオンベートに向き直り、両腕の中の永遠が戸惑いを口にする途中で、何かを探すように頭部を左右に動かしているエイオンベート目掛けて右脚を強く踏み込んだ。


 見えないGに押し潰されそうになる感覚の幕開けを錯覚する。


 が、圧迫感は、その感覚を感じる前に消え、景色が定まらない程速く動いているというのに苦痛を全く感じる事は無い。


 何故かと永遠が考え始める暇も無く、瑠璃乃はエイオンベートの足下で急停止する。


 加速と同じように、ブレーキをかけた反動も無い。


 永遠は瑠璃乃を信頼していた。だがやはり、眼前まで巨人が肉薄していると反射的に総毛立ってしまう。


「ごめん永遠」


 身をすくませる永遠に断ってから、瑠璃乃は永遠を勢いよく垂直に空へと投げる。


 永遠は覚悟していたのか、若干震えて鼻をひくつかせていても、今度は精一杯に、任せとけといった様子で悲鳴を上げることもなく空へ大人しく昇っていった。


 エイオンベートは、昇っていった永遠よりも瑠璃乃に興味を示し、彼女を見つけた途端、足下に高速大質量の下段突きを繰り出した。


 すかさず瑠璃乃はナグハートを手に出現させ、降ってきた巨拳に負けない力で弾き返す。


 拳は巨人の頭上まで弾かれ、巨体の動きが僅かに止まる。


 しかし、エイオンベートはすぐに足下の瑠璃乃を殴り伏せることのできる体勢に直し、学習したのか、一撃目より速く重い突きを放つ。


 瑠璃乃はそれを上回る速さと重さで跳ね返す。


 そんな攻防が幾度も重ねられ、巨人の拳も瑠璃乃のナグハートも人間の目では追えない速度へ加速し、衝突を繰り返す。


 連続した破裂音と衝撃波が離れて見守る博士達の体を揺する。


 この応酬を打ち破り、次のステップへ。


 可能な限り早くエイオンベートを無力化するため、瑠璃乃は片手で操っていたナグハートを両手で握り、降ってくる巨拳を一際大きな力で撃ち返した。


 巨体の足が地面から離れて浮き上がる。


 エイオンベートが戸惑う素振りを見せるなか、瑠璃乃は体を捻りながら身を沈め、脚に力を溜め、上昇するドリルのように飛び上がると、巨人の下顎部分に回転の勢いを乗せた逆袈裟斬りを撃ち込んだ。


 木刀が音速の何倍もの速さで振られた破裂音。強烈な一撃が撃ち込まれる打撃音。二つが重なり、一際大きな爆発音を伴ってエイオンベートが真っ直ぐに空へ向かって打ち上がる。


 衝撃のまま上昇するエイオンベートを追って、瑠璃乃も跳んだ。


 莫大な衝撃から生身の人間を守るべく、博士達の眼前には防護膜が部分展開される。


 それを一瞥で確認して安堵しているとすぐに、上を向いて昇り行く瑠璃乃の勢いが重力と相殺される高さまで到達する。


 すると、彼女を囲う空間が渦のように歪んだ。まるで蜃気楼を纏うように瑠璃乃の周囲が朧気おぼろげに霞んでいく。


 永遠は瑠璃乃の力によって空に滞空したまま、エイオンベートが迫ってくるのを遥かに見下ろし、更に下の瑠璃乃であろう人影の周囲の空間の歪みと、それとは別の異変に気が付いた。


「……空を……跳んでる……」


「進行方向の状態数を把握! 前方の自由度をエルイオン振動値操作で再決定! 重力子の集塵も確認! 推進力として利用してます♪」


 弥生が自身の前方に表示され続ける立体モニターの描写と数値の変化を、博士等のもとへ馳せ参じながら、声を弾み気味に伝える。


「ああ。そうだね。空が好きなのは変わっていないね……」


 博士は遠ざかる瑠璃乃を見上げ、懐かしそうに言った。

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