第38話 天空に咲き誇る桜

 空中に足場は無い。それでも瑠璃乃は空を駆け上がる。


 上昇し続けるエイオンベートを中央に、空高く、どこまでも伸びる見えない螺旋階段を上るように駆け上がっていく。


 ただ、単純に上がっている訳ではない。


 上昇し続ける中、瑠璃乃はナグハートを頭抜けた速度で操り、螺旋階段の中心にあって空を昇っていくエイオンベートに猛烈な連撃を叩き込みながら駆け上がっていた。


 1メートルに満たない桃色の木刀では届かない距離の巨人に打撃は届いている。まるで木刀から透明の刀身が伸びているかのように確かに巨人を打ち、その度に轟音が鳴り響く。


 人の目には捉えられない速さで振られる木刀が巨人を打つ際、エルイオンを載せた衝撃波が巨大な大輪を描いて広がり、宙に留まる。


 大輪の縁には、桃色のエルイオンが濃い霧のように滞留し、花が咲き乱れているように映る。


 上に向かう程、攻撃の精度が高くなり、大輪は範囲を狭め、高密度に輪を収斂させていく。


 下から上に向かって段々と小さくなりながら連なる大輪たちが形作るその姿は、まるで満開の桜のようだった。


「……きれいだ……」


 ただでさえ美しい故郷の全景。その空に咲いた巨大な桜を見下ろす永遠の口から見たままが零れる。


次第に打ち上げの勢いが重力によって消失し、エイオンベートが大木の頂上で停止する。


 巨体は、瑠璃乃の攻撃によってそこかしこが霞み、胸の中央に至極しごく色の球体を覗かせていた。


「コア露出を確認!」


 どれだけナグハートで攻撃しようとも、時間を掛ければ再生してしまうエイオンベート。その心臓部であり弱点でもあるコア。そこを叩けばエイオンベートは存在を定着できない。それをよく知る弥生は喜ばしい気分を抑えきれないで博士へ報告する。


「がんばれーーッ! 瑠璃乃ーーッ‼」


 桜の出現と弥生の報告を受けて、博士が、か細い体から渾身の声援を送る。


 瑠璃乃の連撃によって巨体の再生が追いつかず、空中で指一本動かせずにいるエイオンベートはコアを露わにしながらも、胸に位置しているコアを消えかかる巨体の頭から足先まで縦横無尽に無秩序な軌道を辿って高速移動させる。器である巨体を再生させるまでの間、コアへのダメージを回避する時間稼ぎだった。 


 ならば、と瑠璃乃は、エイオンベートに最後の一撃を与えるための体勢に移る。


 木刀の形状をとるナグハートに鞘は無い。


 だが、瑠璃乃は抜刀術の構えを見せる。


 まるで精神統一をするかのように両目を閉じ、左脚を後方に引き、右脚でしっかりと空の足場を踏み締める。


 左手はナグハートの刀身に軽く添えられ、全身に溜められた力を抜刀することで解き放つ役割を与えられた右手は柔らかく柄を握る。


 やられる。

 最期を強く予感したエイオンベートのコアが更に高速に動き回る。人類の測れる限界まで無秩序な起動で暴れ回り、最期を回避しようと足掻く。


 それだけでは足らない。そうも確信したのだろう。エイオンベートは霧消していく巨体だった器から触手を一本生み出し、瑠璃乃へ向かって、のそりと伸ばした。


 両目ではない目でそれを視た瑠璃乃は、その触手から放たれる結果を予感した。おそらく、イメージの中で視た拒絶などの害意を撃ち込まれるのだろう。


 撃ち込まれたら絶対にまずいという自覚はある。だが瑠璃乃は回避しようとしなかった。


 地上にいる博士達も飛行艇からの映像で、それを把握し、あと少しだからこそ焦りをみせる。


「なんか伸びてますけど、何でお嬢ちゃん動かないんすか⁉」


 危機が迫るというのに構えを解かない瑠璃乃に疑問をもった赤木が問う。


「おそらく、勝敗を決するほどの最大出力を放てるのは一度きりとの実感が本人にあるのだろう。だから、あの子が一番集中しやすい形でエルイオンの濃度を高めているのだと思う」


「でも、前ならわざわざ構えなんてしないでも全力投球できてたのになんで……」


「その前から10年も経っているんだ。無理もない」


 赤木がハッとなり、親指と中指でこめかみを押さえ、己の至らなさを恥じる。


「ブランクか……」


「ああ。それに、この機を逃せば再生能力に特化したエイオンベートとの戦いは持久戦にもつれ込み、眠っていた瑠璃乃と、新人の永遠にとってみれば消耗戦の様相を呈することになる。あの子は永遠の負担も考慮して、背水の陣を選んだんだろう」


「それって本当ですかっ⁉」


 話をインカムで聞いていた永遠が滞空しながら前のめりに問う。


 言葉を選ばずに口を回してしまった博士が片手で頭を押さえ、至らなさを悔やんだ。


「僕のせいで動けないんですか⁉」


「いや、違う! 誰のせいという訳ではない!」


「でも……」


「永遠、ちょっと聞いてくれ」


 永遠の自責を赤木が遮る。


「今は自分のせいとか考えるな。そんなふうに思われちゃ、お嬢ちゃんが浮かばれない。自分を責めてションボリしてる君と、応援してくれる君。あの子がどっちの君を見て喜んでくれるかなんて、デートまでしてきた君になら、簡単に分かるだろ?」


 赤木の言うとおりだった。今必要なのは自責ではない。


「……そうですね」


「おしっ。なら、お嬢ちゃんが信じた自分を信じて気張れるな?」


「……はいっ。気張ってみます!」


 距離があっても永遠の鼻息が荒くなったのを把握した赤木が親指を上げた。


「偉い! 素晴らしいぞ永遠! 君が居てくれて僕は本当に誇らしいし喜ばしい! ぐすっ……」


 称えて褒めて感極まって鼻を啜った博士に永遠は気まずさを覚える。


「きょ、恐縮です。それで、僕にできることはなんですかっ⁉」


「話にあった通りだ。ただ応援を送ってくれればいい!」


「それは応援団のフレーフレーとか、チア的なダンスを踊るとかですか⁉」


 だとしたら難易度が跳ね上がる。


「いや、違う。瑠璃乃が目覚めた時、君と瑠璃乃の間にチューブが通っていたのを覚えているか?」


「はい。すぐ消えたやつですよね?」


「ああ。そのチューブが自分の胸辺りから生えて伸びてくる光景をイメージできるだろうか?」


(チューブ、チューブ……生えろ、生えろ……)


 目をつむり、永遠が博士に言われたようにイメージする。すると、間を置かずに胸の中、まるで心臓から直に外側に伸びるような感覚を伴うチューブが、みぞおちの上から生えてくる。


「はっ、生えました!」


「上出来だ! 今度はそれを伸ばして、瑠璃乃のお尻に突きさしてやってくれ!」


「お尻に突きさす⁉」


「うぉっっほんっ!」


 問題があるにもほどがある表現に、思わず弥生が怒りの咳払いを放つ。


「すまない! 瑠璃乃の腰、臀部の上辺りまで、チューブを伸ばしてくっつけてほしい!」


「やってみます!」


 胸から生えたチューブに伸びろと念じると、チューブは素早く伸びていった。そして、瑠璃乃の後ろに回り込むと、スムーズに腰へと付着する。その様は、瑠璃乃から伸びた長い尻尾が永遠の胸に繋がっているようにも写る。


「よし! 成功だ! 上手いぞ! 後は思いの限り、瑠璃乃を応援してやってほしい! 君の体の芯にあるエルイオンを瑠璃乃に注ぎ込むように、思いの丈をぶつけてやってくれ!」


「は、はい!」


 言われたように、永遠はチューブを介したエルイオンの充填を試みる。


 不思議なことに元からあった知識のように、やり方は想起できた。


 永遠の両眼が瑠璃乃だけを真中に収め、体に内在するエルイオンを胸から放出するように力む。直後、濃い桃色のエルイオンがチューブを辿り、凄まじい速さで瑠璃乃へと送られた。


 濃度の高いエルイオンを受け取った瑠璃乃の体が一度だけ、震える。すると、彼女が握っていた桃色の木刀が、まるで体積を倍にするかのような強い桃色の光を放ち始める。


「充填率上がってます! 成功です!」


 弥生の報告に博士は手を叩き、永遠は安堵しながら額の汗を拭った。


 しかし、目的の達成とはいかない。まだ経過の途中でしかない。


 亀よりも遅々とした触手の進み。だが確実に瑠璃乃に迫っている。


 あれが瑠璃乃に触れた時、おそらく彼女はまた動けなくなる。永遠の直感がそう告げていた。


「充填率上昇中! 最大出力可能までカウント30……」


 その数値を耳にした誰もが、口にした弥生さえも理解した。


 間に合わない。


 もう触手は瑠璃乃と目と鼻の先。


 ならばと、隊が動いた。


 瑠璃乃とエイオンベートとの間の空気を揺らし、目に見えない何かが、彼女達の間に割って入った。


 それは、空に溶け込んでいた飛空挺だった。

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