第39話 男子の戦い

 不可視の飛空挺は物理的な壁、盾となり、触手の進行を阻む事に成功する。


 が、それは束の間に終わる。


 エイオンベートの巨大な手が、飛空挺を鷲掴みにした。片方の前腕だけを高速で再生させたから出来たことだった。


 握り込まれ、メキメキと音を立てて圧縮されていく飛空挺。接触部のステルスだけが機能不全を起こし、まるで空中に小型機の胴体のみが現れたように写ってしまう。大破こそしていないが、本来の運行は不可能の状態に追い込まれる。


 瑠璃乃が申し訳無さから歯噛みする。


「始末書とお叱りが怖いな。でも、よくやった!」


 部下の活躍を褒め称え、空に親指を掲げる赤木に、飛空挺のパイロットも同じように応える。


 邪魔だ。エイオンベートの片腕が飛空挺を触手の進路から除けようとする。


 飛空挺は機体を損傷しながら、全推力を傾け、対抗する。


 だがエイオンベートの膂力りょりょくにはとても敵わず、敢えなく触手に道を空けてしまう。


「カウント20!」 


「カブトムシの射角調整、間に合うか?」


 特殊車両の砲身を真上に向けるための進捗を赤木が乗組員に尋ねる。

 乗組員は悔しげに首を横に振った。


「先ほどの連射による過負荷が車体、砲身双方に相当なダメージを刻んでいる。とても間に合わない」


 そう述べる博士も、何もできない隊員達も苦々しいしわを顔に刻んでいる。


 ならばどうする?

 誰がどう動ける?

 誰に何が出来る?


 この場にいる人間の誰もがその答えを持っていない。


 ただ、動けない悔しさ、何もできないもどかしさを誰よりも感じていた人間の想いが、本人を恐怖の激流に腰まで浸かった状態からでも踏み出す力を与えていた。


 瑠璃乃の役に立ちたい。

 あの子の助けになりたい。

 どうか少しでも。

 そう強く望む永遠が選んだのは、今、動き出すことだった。


 我が身をいたぶられる覚悟で背水の陣に講じる瑠璃乃。彼女の決意は素晴らしい。だが同時に、間違っているとも思ってしまう。


 窮地である事はインカムから把握できる。だからこそ、彼女に任せるしかない。誰もがそう考えたのだろう。


 しかし、まだ何か出来そうな誰かの存在に心当たりがあった。


 それは林本永遠。自分自身だった。


 今の自分に出来ることは何か。思考をフル回転させて考えた。


 僅かな時間で永遠は一つだけを思いつく。


 それを実行するには大変な恐怖と躊躇が伴う。まさに命がけなのだから。


 けれど、永遠は確かに選んだ。少しでも対等でいたいからと。


 文字通り、彼にとっては腹をくくるに等しい行動になる。


 永遠は奥歯を噛み締め、汗を幾筋も垂らしながら、息を大きく吸い込むと、


「バカヤロ~~~~~~~~~~っ!!!」


 力の限り、叫んだ。


 インカム越しに叫びを拾った大人達が目を丸くし、呆然となる。あまりに震えた、様になっていない叫びだったのもある。


 だが、そんな震えた叫びでも、一番届いてほしい相手には届いた。


 エイオンベートの触手がピタリと止まった。瑠璃乃に肉迫する手前で止まったのだ。


 荒い呼吸で、すでに痛む横っ腹を押さえながら、永遠は自分の直感が当たった事に冷や汗をかきながらも胸をなで下ろす。このエイオンベートは、自分にも拳を向けた。だからこそ、現状への可能性に賭けてみたくなったのだ。


 ここで終わる訳にはいかない。永遠は続けるため、一度目より長く息を吸い込むと、叫ぶ。


「女の子に手を上げるなんて最低のバカヤローだっ!」


 侮辱だ。これは侮辱で間違いない。このエイオンベートは言葉を持たない。だが、意味を知っている。


 それは向けられるモノではない。向けるだけのモノだ。エイオンベートは、そう確固とした思考を持ち併せて生まれ、今もそれ従って動いている。


 だから許す訳にはいかない。この見るからに矮小な存在を潰さなければならない。エイオンベートは使命感にも似た原理に突き動かされ、触手を雑魚へ、永遠へと伸ばした。


 永遠を突くように伸ばされた触手は、たちまち彼の顔面に迫り、衝突する。


 反射的に目を閉じた刹那の後、衝撃に圧され、体が空中で仰け反る。直後に鼻を中心に突かれた事によって溢れた涙が弾け、鼻から血が噴出する。


「永遠っ!」


 瑠璃乃が直ちに駆けつけようと構えを解きかける。


 そんな彼女に向かって腕を押し出し、永遠は止まるように求めた。


 喉へと下っていく大量の生温かい感触と、舌の上まで進入してきた鉄の味を飲み下し、制御できない涙でぼやける視界のなか、永遠が何とか言葉を絞り出す。


「りゅっ、瑠璃乃は瑠璃乃の役目を頑張ってるんだ……少しは僕にも頑張らせて?」


「でもっ!」


「きょ、今日を楽しかったね……で終わらせよう? お願いだよ……」


 胸の奥を抉られるような感覚がある。けれど永遠の決意を汲み取って、瑠璃乃は苦悶を力に変換し、永遠と同じように最後まで遣り遂げる決意を以て、再び抜刀術の構えに戻る。


 ありがとう。心の中で礼を言うと、永遠は腹部と顔面の痛みに耐えながら、エイオンベートに相対する。


 エイオンベートは人に近い。特にこの巨人だった存在は、見ているとまるで元同級生を想起させ、心を掻き乱すような既視感を感じる。だからこそ馬鹿にすれば相手をしてもらえる。そう確信した永遠が震えながら笑みをみせる。


 もっと自分に釘付けにするために、もっともっと悪い言葉を吐かなければ。永遠がそのために肺と腹一杯に息を吸い込もうとする。しかし、胃に向かって下りていく血が邪魔をして、彼を激しく咳き込ませた。


 痛い。苦しい。逃げたい。けれど、そんな欲に抗いたい。


 瑠璃乃に言った言葉を現実にする方に全力を向けたい。だから永遠は一度、血を一気に飲み下し、それでも絶間なく落ち下ってくる血が鼻の奥と喉の境目で留まる隙に気勢を上げた。


「バカでアホのオオバカヤロウっ! 君……おまえのへなちょこパンチなんて全然痛くないからなっ‼ このバーーーーーーカっ!」


 鼻声混じりで不格好。だが精一杯の悪態で永遠がエイオンベートを愚弄する。


 この自分の選択が原因で、新しい痛みの再現が発生してしまうかもしれない。それを思うと怖くてしょうがない。けれど、その恐怖は、選び取った今に力を尽くしたいという強い意志によって封じることが出来ていた。


 彼の態度に、エイオンベートは行動を変える。


 触手の先を手の平のように広げると、永遠の頭を鷲掴みにしたのだった。


 そして霧状の害意が永遠の心へゼロ距離から送り込まれる。永遠の最も苦痛とする心身の痛みを伴うトラウマを激しく想起させるための害意が撃ち込まれる。

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