第13話 恐れ

(そうだ。こんなのじゃダメだよ。もっと怒ったようにしなきゃ嫌われちゃう……のかな?)


 伏された暗い瞳で瑠璃乃が自問する。


 花畑のように賑やかだった顔から表情が消え、瑠璃乃はとあるイメージを視ていた。


 そこには彼女と、誰だか分からない男性がいた。


 瑠璃乃が気恥ずかしそうに頬を染め、一方的に怒鳴っている。


 自分ではそんなに強く言いたい訳ではない。もっと素直に好意を現したいのに、男性はそれを望んでいない。思っている事とは逆の事を語気を荒げてまくし立てて言い放つことを求められた。時には手を上げることさえも。だからこそ、男性に背中を向けながら歯痒そうな表情を覗かせている。


 が、イメージの中の瑠璃乃は、そんな関係でも嬉しいようで男性に顔を背けても幸せそうだ。


(あれ? わたし、怒ってたほうがいいのかな? そのほうが好きでいてもらえるのかな? でも永遠は、そんなわたしを好きになってくれるかな? 永遠が好きなわたしはそんなのじゃない気がする。あれれ? わたし、どんなふうにすればいいんだっけ……)


 突然視界を覆い隠すように現れたイメージに支配された瑠璃乃の目は虚ろになり、体は呼吸しているのか怪しいくらいピクリとも動かなくなる。


 そんな彼女を見て、店員は寂しげな眼差しを向けても、すぐに努めて笑顔を作り、温かな口調で瑠璃乃に語りかける。


「そんなことはありません。好きな人、可愛いなって思ってる人が薄着でいると、男の人は平常心ではいられなくなってしまうんです。彼氏さんのさっきの慌てっぷりから見た感じだと、あれは彼女さんのことを、とっても意識しちゃってますね」


「……それは好かれてるってことですか?」


 店員の包み込むような口調に、瑠璃乃の目に輝きが戻る。


「もちろん! だからこそ“ありのままの自分のまま”、自分が一番可愛く見えるような服を着て、彼氏さんをメロメロにしちゃいましょう。そのために、もうちょっとガマンですよ?」


「はいっ!」


瑠璃乃の大きな瞳は、まるで強い光に照らされながら転がるガラス玉のように一層に輝き、永遠に求められているという喜びに胸を弾ませ、大きく大きく頷いた。


「はい♪ では少しお待ち下さいね。似合いそうな服を見繕ってきますから」


 動揺する客のケアをしてから、女性店員は瑠璃乃を残して試着室から出た。


 中での二人の会話を聞いて顔を真っ赤にしながら居たたまれなさそうに立っている永遠に頬笑みかけてから、瑠璃乃の服を選びに店内を軽やかな足取りで奔走する途中、鼻歌交じりに何着か選んだところで、永遠の方を向いてクイっクイっと手招きをした。


「彼氏さん彼氏さん。ちょっと相談なんですけど……」


「え、あっ、はい……」


 待たせてはいけないと永遠が小走りで駆けつけると、店員に小型の白と黒の帽子を差し出され問われる。


「どちらが好みでしょうか?」


 両手にそれぞれあるのは色が違うだけの小さなベレー帽。永遠は迷う。けれど“せめて”これぐらいは選びたいとの思いが芽吹く。なんてったってその他のほとんどは店員が気を利かせてくれた、彼女のチョイスによるもの。自分は服をチラっと見せてもらう度、軽く頷くしかしていない。


 ただそれでも事態は進んでいってくれた。頷くだけで服を選ぶという重要任務を遂行したという体裁は整えられる。だからこそ、店員に激しく感謝しながらも、永遠は、せめて帽子ぐらいらい選びたかった。


「……こっ、これで!」


「かしこまりました。私もこれが似合うと思ってました♪」


 永遠の決断にウィンク一つ抜かりなく。店員は軽やかな足取りで試着室へ戻っていく。


 試着室以外に誰もいなくなった店内にて待つ間、少しずつ頬の火照りが取れてきた永遠は改めて思う。店員とそれなりに普通に会話ができている。


 たくさんの制服の生徒たちを前にしても平常心に近い状態でいられた事と同じぐらい、永遠にとっては驚くべき結果だったのだ。これも瑠璃乃に肯定してもらえているからなのか? だとしたらありがたい。永遠はそう考えると、行儀良く姿勢を正してから待つのを続行した。


 立ち振る舞いや仕草。それらの講習のような説明が中で繰り広げられているのが雰囲気から察した永遠は、居心地が悪くてもひたすらに待った。


 そうしておよそ五分後。


「開けてもいいですか⁉」


 準備万端でソワソワといった瑠璃乃の声が聞こえて、永遠の体が引き締まる。

「どうぞどうぞ~♪」


 店員の促す声も手伝って、いよいよ瑠璃乃が出てくる。可否の選択を求められる瞬間が訪れてしまう。だから咄嗟に身構える。もしかしたらとんでもない格好で出てくる可能性も否定できなかったからだ。しかし、そんな心配はいらなかった。


 カーテンが開けられると、きちんと着飾り、頬を少し染めて立っている瑠璃乃の姿があった。 永遠はその光景に息を呑んだ。






「ありがとうございました~~♪」


 温かい店員の声に見送られ、永遠と瑠璃乃の二人は店を出る。


 瞬間、道行く人の誰もが瑠璃乃に目を奪われた。もちろん永遠もそのなかの一人だ。


 試着室から瑠璃乃が出てきた時、永遠は雷に撃たれたような衝撃を受けた。それほど、彼女が眩しく見えたからだ。正直、デザインやセンスに関することは分からない。ただ、そんなものは関係無く、とてつもなく可愛いかった。


 露出も少ない訳ではない。ノースリーブでスカート丈も短い。なのに白と黒を基調としたデザインのおかげか、着る者の雰囲気自体が上品になる。そんな印象を受ける。


 そんな服を着て、美しいものに美しいものを重ね、錦上に花を添えることで出来上がる芸術品。様々な角度から見回したい。そんな思いと欲求が永遠の中に沸々と湧き出てくる。そのまま美術館に飾られていても不思議ではない、永遠にとっては美術品のような美しさを宿す、現実の異性の姿がそこにあったのだ。


 だから魅入られてしまって、永遠の顔は締まりの無いものとなるしかない。そんな呆けた彼に瑠璃乃が問う。


「……似合う?」

「…………うん」


 思考が鈍磨しているのか永遠は少し遅れて返事をする。しかしその返事にウソは無い。だから瑠璃乃の顔にもパーッと華が咲く。


「似合う?」

「……うん」


 また、華が咲き誇る。このやりとり、瑠璃乃はたいへんに気に入ったようで試着室から合わせると片手では足りないほど繰り返していた。


「えへへ~~♪ きっと、永遠の選んでくれた服だからだね♪」

「い、いや、それは君が、かわ――」


 自分に似合わない事を言いそうになって、永遠が慌てて口を両手で抑える。そんな彼を小首を傾げながら見ていた瑠璃乃が続ける。


「今度はわたしが永遠のを選ぶから、またいっしょに来ようね?」

「え⁉ あ……うん……は、はい」


 照れくさすぎるけれど嬉しい誘い。永遠は顔を真っ赤に頷いた。


 頭の上にちょこんと載った白のベレー帽の感触が気になるのか、瑠璃乃が両手でポンポンと帽子を撫でるように叩く。


「かわいい帽子! わたし、これ大好き♪」

「そっ、そっかそっか……あははははっ……」


 目を逸らせない。けれどあまり凝視しすぎるのは失礼に当たる。だから永遠の視線は右往左往して、たじたじしながら返事を返す。


 永遠の目尻の下がりよう。それが彼の満足度の証だと瑠璃乃は嬉しくなった。


 短いスカートのおかげかなと、自分の臀部をスカート越しに両手で擦る。それがきっかけで大事な事を思い出し、瑠璃乃は永遠へ一つ忠言をする。


「あっ、永遠。なんだか女の子のお尻を男の子が見るのはいけないことらしいから、わたし以外の子のは見ちゃダメだよ?」


 突然の事に永遠は間の抜けた面だけを出してしまう。


「はい、ゆびきり!」


 面食らい、思考が鈍る永遠の目の前に瑠璃乃がズイッと小指を掲げる。数瞬置いて、遡上に恥ずかしさと情けなさが上ってきて永遠は赤くなりながら、しどろもどろになって小刻みに揺れ出した。


(っていうか君のなら見ていいってこと――)


 控えめに言って挙動不審に、まばたき一つせずに小指を上げたり下ろしたりしている永遠の指を瑠璃乃の小指が捕まえた。永遠の指と重なった瞬間、瑠璃乃は力強く永遠の小指に自分の小指を絡みつけ、元気いっぱいに歌い出す。


「ゆびきりげんまんっ、ウソついたらジャガリゴ一億本の~~ます♪」

「針千本より痛さが想像しやすくて怖いよっ⁉」


 指と指が触れた瞬間に全身に灯る多幸感が永遠の緊張を溶かす。同時に生まれた余裕のせいで、永遠は反射的にツッコミが口から出てきた


「えへへっ♪ 指きったっ!」


 切ったと言うのと同時には指が離れない。一拍置いてから瑠璃乃は名残惜しさを振り払うように指を離すのだった。

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