第14話 恋人モード
(目立ってる目立ってる! とんでもなく目立ってる‼)
店を出て目的地もなく、ただ瑠璃乃と歩き出した瞬間から道行く老若男女の視線を浴びて、永遠は戸惑いを通り越して怯えの入り口に立っていた。理由は瑠璃乃にある。
ジャージ姿でも目立っていたのに、きちんと着飾れば誰もが振り向くほどに愛くるしい。
特に男性の視線は瑠璃乃に奪われた後、必ず永遠に向かった。
あからさまな嫉妬や羨望、怨嗟まで載せて向けられるものだから、永遠の表情は憔悴しきったようにゲッソリとなっていた。
「えへへ~、楽しいね~、永遠~♪」
ツンは忘れてきた。それを表すように、ただ並んで歩いているだけで嬉しくてて仕方ない瑠璃乃が弾んだ声で永遠に言う。
しかし、愛想笑いで返すしかない彼に違和感を感じた瑠璃乃が、その沈んだ顔を覗き込む。
「だいじょうぶ? つらい?」
「あっ、いや、別に……だい、だいじょうぶ! ……ですよ?」
自分のパートナーとなり、自分を助けてくれる女の子を心配させてはいけない。覗き込んできてくれた瑠璃乃を目にした永遠は、咄嗟にできるだけ自然な笑顔を心がけた。
「そっか。でも、でつらかったら遠慮したいで言ってね?」
「……うん……はい」
端から見れば一目瞭然で不自然な笑顔だった。が、瑠璃乃の主観では現状の永遠からは切実な恐怖や不安は感じられない。それに何にしても笑ってくれている。とりあえずそれだけでも嬉しいと、瑠璃乃も永遠に満面の笑みで返した。
(……ほんと、なんでこんないい子が僕のパートナーになってくれてるんだろう。僕にはもったいない。と言うか相手が僕で申し訳ない。全くもってつり合ってないし)
自分が同世代の異性と二人きりで歩く。それが未だに信じられなくて、永遠はどこかにドッキリ成功と書かれた立て札を持った人が潜んでいないかと辺りを見回す。幸い見える所にはいないようで、馬鹿馬鹿しいことだがそれでひとつ安心を得る。
そこでふと、これからのことについてのプランが何もないことに気付いた。
瑠璃乃に頼まれたのは服を選ぶことだけ。これからどうすればいいんのだろうか。永遠は、ご機嫌にスキップ気味に歩く瑠璃乃に尋ねてみた。
「……ところで瑠璃乃……さん。これからどうする……しますか? 服も買ったし、家に帰って仕事の準備しますか? それとも、仕事の買い物とか……ですか?」
「あ、それは、えっと……ね……」
瑠璃乃は軽やかだった足を止め、今までとは打って変わって口ごもった。
「あのね、永遠。永遠は、その、わたしと……恋人ごっこ……したい?」
永遠が素っ頓狂な声を上げる。瑠璃乃も気恥ずかしそうに手を組んで、足下を見つめて頭を揺らす。
「服も選んでもらったし、この服で永遠と、まだ……恋人ごっこ……とか……」
耳まで真っ赤にしながらも、意を決したように俯いていた顔をサッと上げると、大きく見開いた瞳で瑠璃乃は永遠を見据える。
「わ、わたしは永遠のパートナーだから、永遠のお願いをできるかぎり叶えるのが仕事なの! だから、永遠がわたしと恋人ごっこ……したいって言うなら、仕方なくだけど、少しだけ、こっ……こここっ……恋人モードになってあげてもいいよ⁉」
「こ、恋人モード⁉」
そう言い放ち、瑠璃乃は再び俯いてしまう。恥ずかしさから少し震えているのが分かる。
(はっ⁉ これはあれだ! 女性に恥をかかせてはいけないって場面だ!)
どこかで見たのシチュエーションを思い出し、永遠は覚悟を決めた。きちんとこの子をエスコートしなければと。永遠は瑠璃乃にできるだけ優しい声色で応える。
「……じゃあその……お願い……しよう……かな……?」
永遠の要望を聞いた刹那、瑠璃乃が綻び極まった華やいだ笑顔で彼の右腕に抱きついた。
腕にしがみつかれ、永遠の口からは声にならない声が腹の底から噴き出してくる。突然の異性との密着。喜びと感動とかそれ以前に、現実に対応できずにしどろもどろが極まる。
自分より背が少しだけ低い瑠璃乃の頭皮はすぐ目の前にあって、美しい流れるようなきめ細かい金髪からは、永遠の心臓を爆発させそうなほど良い匂いがした。
思春期を迎えた頃、過去に教室で嗅いだことのある同級生のものとは違う匂い。
もっと混じりっけのない、人体に反応して変質した香りではない香水そのものの匂い。それが現実として瑠璃乃の髪から匂い立つものだから、平常心は一瞬で燃やし尽くされてしまった。
「えへへ♪ 恋人ならこうするんだよね?」
永遠はもう戦慄くようにあわあわ震えるしかなかった。夢のようなシチュエーション。それをついさっきまでに完全なひきこもりだった自分が味わっている。
夢のようだが現実で、永遠の動悸は勢いを増して、下着が汗でべったり張り付いていく。
それに男性のものと感触が違う腕と、またそれより更に柔らかいものが腕に密着して……。
(…………密着……してない?)
柔らかい感触がない。むしろ痛い。永遠を腕を抱き寄せる瑠璃乃の力は、見た目からは想像できないほど剛力だった。
(うっ、腕がちぎれる‼ 胸も柔らかくなくて、あばらが当たってむしろ痛い‼)
とてもそんなこと言えない永遠は、立ち止まって酸欠の金魚のように口をパクパクし、脂汗を浮かべて耐え忍ぶ。
そんな中、瑠璃乃の目がまたどこか虚ろになり、何か独り言を呟いた。
「……あっ……うん。そうだ。違う。こうじゃない……かも……」
自分に問いかけるように呟くと、目に光が戻るのと同時に瑠璃乃は永遠の腕から飛び退いた。
「ちっ、違うんだからね!? ただ、ちょっと寒かったから抱きついちゃっただけなんだからね⁉ こ、恋人モードだけど勘違いしないでよね⁉」
(えぇ~~~~~~~~~~~)
呆気にとられるしかない永遠は、まず謝っておけば間違いないと、すぐ口に出した。
「ごっ、ごめんなさい! るっ、瑠璃乃さん……」
条件反射的に謝っている永遠に、瑠璃乃はものすごく不服そうな顔で若干頬を膨らませる。そして永遠に背中を向けてしまった。また不味いことをしたかと永遠が戸惑っていると、
「……永遠? もう、その……こ、恋人モードなんだから、さん付けじゃなくて、呼び捨てで呼んでもいいんだよ?」
とってつけたようなツンの直後にデレが押し寄せる。瑠璃乃は猛烈な期待を背中から放って返事を待つ。これは期待に応えねばと、永遠は自分を奮い立たせた。
「……じゃあ……その……、る、るり…………瑠璃乃?」
呼ばれた瞬間、瑠璃乃の喜びが弾けた。
跳ねるようにはつらつと、でも頬を染めて、はにかみながらも柔らかく、こぼれるような笑顔で、爆発した喜びに押されるように体を弾ませ、振り返りざまに永遠に応える。
「はいっ! えへへ~~♪」
永遠はその顔を見て、体がふわふわ浮いているような錯覚を覚えた。
部屋で感じた心に火が灯る感じ。それをもっと凝縮した甘い痺れのような心地よい疼きが永遠の体内を駆け巡る。
(……かわいいぃ……ひたすらにかぁいいぃ……)
永遠の視界からは瑠璃乃以外が消えた。端から見ればかなりだらしない顔でにやけている。まさに夢心地。永遠は生まれて初めての種類の喜びに打ち震える。
そこに突然、午後一時を示す鳩時計の鳴き声とチャイムが鳴った。永遠を現実に戻し、もうこんな時間なのかと知らせてくれる音だった。
満たされ、温まった感覚の余韻に浸っていたかったが、この子をきちんと自分なりにエスコートしなければという使命感に似たものを覚えた永遠は、とりあえず少し遅くなったが昼食へと誘うことを選んだ。
「……あの、じゃあ、こんな時間だし、お昼ご飯にしません……しない?」
「え? お昼ごはん……」
提案した途端、否定こそしないが、あまり乗り気ではないような声を漏らし、驚いているのか何かに躊躇しているのか、瑠璃乃が少し困ったような表情を覗かせる。
「あ、あの! ……まずかったです……かな?」
彼女の反応から、何かまずいことを言ってしまったのかと永遠は焦って慌てて聞き返す。
「あ、ううん。まずくないよ。お昼だもんね。お昼……」
永遠の困惑した顔から彼の不安を感じ取った瑠璃乃は、表情を整えるように自分の顔のそこかしこに触れてから、自分を納得させるように一度大きく頷いた。そして彼を安心させるような柔らかい表情で笑いかける。
「うん。いいよ。永遠はなに食べたい?」
彼女の反応に気になる部分もあったが、とりあえずの承諾に永遠はホッと安堵する。
「あっ、えっと、たくさんのお店が並んでる大きなフードコートがあって、そこならいろいろあって安いし、そこに行こうかな……なんて……」
「うん! じゃあ、そこに行こう~!」
瑠璃乃ははつらつと返事を返し、嬉しそうに承諾した。永遠も彼女が元通りになったことを喜んで一息吐いた。
それからすぐ、自分の手が温かいものに包まれたのに気付く。瑠璃乃が永遠の手を自然に握りしめ、永遠が歩き出すのをにこにこと待っていた。
胸は高鳴り、やはり落ち着かない。けれど悪い気分じゃない。むしろこの感触は手放したくなかった。
今日初めて会った女の子と何度も何度も手を繋ぐ。それが何だか自然なことであるように感じて、やはりドギマギしつつも、永遠も触ったか触らないかぐらいの微妙な力加減で瑠璃乃の手を握り返した。
その温もりは慣れとは無縁で、ずっと同じ熱を放っていた。
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