第7話 わたしは、永遠の味方ですっ‼

 自分のことを呼んでくれる人の声がした。声を聴いたらいてもたってもいられず、眠っていた場所から飛び起きた。


 その結果、起き抜けの彼女は山を隔てた街々を全景して見下ろすことができ、雲に触れられるほどの空の上までやってきてしまった。


「あれれ? 雲の上? 起きるときジャンプしすぎたかな?」


 そう呟く間にも上へ上へと上がり続ける彼女の視界に入る世界は移り変わっていって、いっぺんに宇宙の黒と地球の青の境界線の群青色が臨め、地球の丸みまで確認できる場所まで到達していた。


 それでもまだまだ高度を上げるのを止めない自分を守るように包んでくれていた装置カプセルから抜け出すと、彼女は装置に優しく触れる。


「ごめんね、壊しちゃって……。今まで、ありがとう」


 そう愛おしそうにボロボロの装置を撫でて別れを告げる。どんどん高く上っていく自分のベッドだったものを見送ると、彼女だけが宇宙で静止した。


 そして、遥かに見下ろす地上にいる自分を求めてくれる人のことを、この距離からでも捉えると、大きな瞳をキラキラと輝かせた。


「み~つっけたっ! 待っててね、永遠! 今、迎えにいくからね!」


 彼のもとへ駆けつけたい。そう思うと、彼の方へ引き寄せられるように、微動だにしていなかった体が急降下を始める。


 そこからは文字通り一瞬だった。


 一般的な瓦屋根の和風住宅である林本家の目前まで、まるで瞬間移動したかのよう彼女は降りてきた。


 それでも目前、やはり自分のパートナーになってくれる人を悲しませる行為、家を壊すような結果を恐れた彼女は、どうになかなりますようにと目を力一杯瞑り、願う。


 すると、彼女の体が淡く桃色に光り、屋根に体が吸い込まれるようにして消えた。


 彼女は屋根を、通り抜けた。


 その証拠に屋根は全くの無傷で、穴など1ミリも空いていない。


「よかった~…………っ!」


 家を壊さずに済んだ。自分の“力”が無意識に働いてくれたことに安心したのも束の間、パートナーの部屋の前の廊下が眼下に迫った。


 また力を使ってしまうと部屋を素通りしてしまうかもしれない。


 一瞬の判断で彼女は力の行使を停止する。


 すると完全に重力のみ従った体は、天井付近から真っ逆さまに落ち、準備する暇もなかったものだから派手に尻餅をついて、ちょうど部屋の前に落ちて止まった。


「えへへ……ついたぁ~~♪」


 後ろ手をついたまま、部屋のドアを見上げ、大きく青い瞳を嬉々として輝かせた。


「永遠の……部屋だ♪」





  

 ドアの前に人の気配がする。派手な音も聞こえた。まるで高いところから落ちたような大きな音が。


 声まで届いた。一言だけだが、耳に心地良い澄んだ雰囲気の声が。


 だが、現状に対応できない永遠は、混乱しながら様々な現実的な可能性を自分なりに最大限考慮する。


(この部屋に来るには絶対に一階を通って階段を上らないといけない! それ以前に玄関を通るはず! 今、母さんは家に居る! じゃあ何で母さんは気付かなかった⁉ まさか無理矢理入ってきた⁉ 不法侵入⁉ 母さんは無事⁉ もしかして強盗――)


――トントンッ――

「ぅひゃいっ⁉」


 思考を最高速で巡らしていると、突然にドアをノックする音がして、永遠は反射的に呻きのような返事を返してしまった。


 このままでは部屋に入ってきてしまう。まだ何の覚悟もできてない。だが返事をしてしまった以上、相手を部屋に入れなければならない。


 変化を願ったはずなのに、いざその時が迫るとやはり怖じ気づいて動揺が頂点に達する。


 しかし、しばらくの間小刻みに震えて待機していても、その人物が部屋に入ってくる気配がない。部屋の前に居るのは分かるが、ドアノブを回そうとはしていないようだった。


(よ……よかった……。きっとマナーを弁えてる人なんだな……)


 一人で勝手に納得して安心を得た永遠はホッと胸を撫で下ろす。だが、いつまでもこのままではいられない。


 永遠は恐る恐るドアに忍び寄り、向こうの様子を探ろうと試みた。


 吐息が聞こえてくるのが分かる。息を切らしている訳ではないが、興奮しているのか少し速い呼吸……と言うより、鼻息が鳴っていると言った方が正確だ。


 そのまま好奇心より、いまだ不安が勝っている中、どうしたものかとドアに張り付いていると、鈴が鳴るような音がした。チャット画面に変化が現れた証だ。


 ドアに耳を貼り付けたままでベッドの上に落としてきてしまったスマホに目を凝らすと、メッセージに変化があるのが確認できた。


『永遠くっ……林本様、つい先程、私共の派遣したワーキングサポーターの女の子が現地到着しました。あっ、現地とは林本様の部屋の前のことです』


(現地が近い!)


『彼女は林本様に早く会いたくて会いたくてしょうがない様子でした。もし林本様の心の準備がお済みでしたら、彼女の呼びかけに応えてくださると、彼女も凄く喜ぶと思います』


(心の準備ってそんな! 準備する準備もさせてくれなかったのに! でも、ドアを開ければ、向こうにいる女の子が喜んでくれる……か……あれ?)


 永遠の中に言いようのないものが去来した。


 チャット相手に教えられたからではない。それなのに知っている。自分はドアの向こうにいる女の子の姿を知っている。朧気だが頭の中に女の子の容姿が自然と浮かぶ。


 先ほどの既視感のようなものと同じ感覚に包まれる。漠然としたものだが、確かに胸の中に知らないけれど知っている女の子の姿が存在した。その子の姿を思い浮かべると、不思議と心が軽くなったように感じる。


 だからこそ、ビクビクしながらドアに張り付いていた体をゆっくりと剥がし、永遠はドアを隔てて彼女と向き合うことができた。


 覚悟と言うとおこがましいが、部屋の向こうにいる彼女を受け容れてやらなければいけない。だから観念して向き合おう。そんな気分になっている自分に気付くと同時に、自分がすでにドアノブに手を掛けているのにも永遠は少し驚いた。


 不安は少し残るものの、他者への恐怖というものが心の片隅に追いやられていくような感覚を覚えていた。


(……いいのか、永遠? これを回せば、多分もう逃げ出せない。失敗したら気持ち悪がられて仕事の話だって無かった事になるかもしれない。また傷付くかもしれないよ?)


 永遠は自分に問いかけた。自身の覚悟を試すように。


(……根っからのヘタレだなぁ。覚悟できたって気取ってたのに……それなのに僕は……でも、今を変えたいなら今しかないんだ。そのための出会いが目の前で待っててくれてるんだ! 覚悟を決めろ永遠! 動き出す時は今なんだ!)


 普段の自分からは考えられないような前向きな考えに突き動かされ、ドアノブを握る手の震えを押さえ込むように力を込めて、だがゆっくりとドアを開けていく。


 だからこそ、蝶番の軋む音と同時に、チャット画面更新を知らせる鈴の音が鳴っても永遠は気付かない。


『さぁ、ドアを開けてあげてください! 返事を返してあげてください!』


 ドアを開け始めてすぐに目に入ったのは青と金。天色の瞳に、腰まで伸びる眩く長い金の髪。


 そして、完全にドアを引き終わると、頭の中のイメージにまとわり付いていた霞みが、目に映る現実によって払われていく。


 確かに視た事がある。自分はこの子を知っている。漠然としたイメージだった女の子が目の前に確かに存在している。


 何故だか他人と対面しているのに恐怖はほとんどない。


 けれど挨拶するための声が出せないでいると、女の子の方が待ちきれないといった様子で、


「はじめまして! べっ、別に永遠のことなんて好きか嫌いかだと大好きなだけだけど……」


 少女は頬を紅潮させ、気持ち荒くなった呼吸を整えてから、浮き世離れした整った顔立ちで、はにかむと、


「わたしは、永遠の味方ですっ‼」


 澄み渡った青空のような色をした双眸で永遠の目を真正面から捉え、屈託のない笑顔で言い切った。まるでお日様のように温かな笑顔が永遠に向けられる。


 初対面の人間のはずなのに、恐怖心を感じない。むしろ、笑顔を受けて安心感さえ覚えるほど、永遠の心は温もりで満たされていく。


 いや、初めてではないのかもしれない。確かに視た事がある。自分はこの子を知っている。漠然とした、記憶というのもおこがましいようなイメージだったが、そう感じていた。


 ただ、温かさと同じかそれ以上に彼の中に湧き上がってくるものが、それらを拭った。激しく抑えられない若さ故のリビドーだ。なにせ一糸纏わなぬ完全な、まっ裸なのだから。


「…………びにゅうだ」


 永遠は目を剥き、両方の鼻の下に伝う生温かさを感じながら呟いた。




 こうして永遠と瑠璃乃は出会い、二人で出かけることに相成ったのであった。

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