第16話 ほのかたらう彼等の選択
「チッ。どいつもこいつもお高くとまりやがって。かっぺビッチのくせによぉ」
柄の悪い少年が、容姿と同じように分かり易い悪態を吐いた。
「……やっぱりさ、普通にやらね? その方がイイネも集まるかもしれないし」
もう一人の少年が、悪態を吐く友達を気遣うように意見しても、全く聞く耳を持たない。
「極上じゃなくても、上の中ぐらいでもいいからいねぇかなぁ~」
少年は友人の気遣いを気にも掛けずに辺りの女性の品定めを続行する。なかなか彼にとって丁度良い対象が見つからず、少年の表情は険しくなるばかりだった。友人は溜め息を吐き出しても、まだ彼に付き合っている。そんな風に卑しい値踏み行脚をしていると、二人はいつの間にか何度目かのフードコートまで戻ってきていた。
少年は今日何度目かの舌打ちをすると、誰にでもなく虚空を睨みつける。
が、その苛立ちを込めた目付きは、フードコートの一席で冴えない少年と向かい合って座り、朗らかに笑う際立って美しい少女の姿を捉えると、直ぐさまに下卑た笑みに代わった。
「いた。最高のイイネ発生機」
何者かに魅入られた相棒の目を追った友人も同じように衝撃を受ける。
「まじか……。でも、あそこまで可愛いと逆に怪しくない? 代替義体じゃね?」
「や、違うって。代替義体とかなら識別腕章を着けてるはずだ。それが無い。俺のカスタムコンタクトで見てみても識別信号が出てねぇ。間違いなく生の女だ」
人を舐め回し、値踏みする下品な視線は、今日一番の大物を捉えたことに歓喜した。
ただ、少年にとって気に食わないものが付いている。それが著しく腹立たしい。どうしたって不釣り合い。どう見ても足を引っ張っている。とびきりの美少女と、男として間違いなく底辺に位置する雰囲気だけでも分かる陰なる者。
それを裏付けるように、柄の悪い少年の視界には、冴えない少年をそれと知らしめるための“印”が表示されている。
そして何より柄の悪い少年は、冴えない少年のことを以前から知っていた。そのため
だから悪意に満ち満ちながら、気乗りしないでいる相棒と共に元クラスメイトの下へ肩で風を切るように迫る。
「か~~のじょ!」
突然のことだった。
食事を終え、瑠璃乃と向かい合って一服し、多少気まずいながらも談笑していた永遠の視界に突然、柄の悪い少年が跳ねるように飛び込んできた。
彼が現れた事に対応できず、永遠はショックを受けて固まってしまう。
否応なく永遠の視界が淀む。息がしづらい。上手く呼吸ができなくなってしまう。
自分が苦手とするカテゴリーの人間が二人の空間に入り込むだけで、こうも簡単に安らぎは壊れてしまうのか。少年の介入によって、永遠は自分の脆さを改めて思い出していた。
情けないが震えが出てしまっている。永遠の異変にいち早く感付いて瑠璃乃は反射的にテーブルの上で行き場を失っていた永遠の手を身を乗り出して両手で包んでから、
「こんにちは!」
見ず知らずの少年に快活に挨拶する。
ハルジオンのワーキングサポーターはパートナーを第一に考える。だが、瑠璃乃には永遠の震えを抑えることはできても、恐れの原因を取り去ることはできない。
特に人を疑うことが苦手な瑠璃乃は、少年が永遠の異変の原因だと瞬時に推測できても、悪者だと決めつけることが躊躇われた。そのうえで永遠を最大限支援しつつも、今現在の状況を円滑に打破するために少年とのコミュニケーションを開始した。
「きみ、ものすごくかわいいね!」
「え? ありがとう!」
「でね、その美貌を見込んで頼みがあるんだけどさ……生放送に出てくれない?」
「なまほうそう? おじさんたちが朝までやるやつ?」
「? ……まぁ、そんな感じかな」
瑠璃乃の言っていることが理解できなくても、柄の悪い少年は早く返事が欲しくてテキトウに返事をする。友人は後ろの方でやれやれといった様子で頭を掻いた。
「ごめんね。誘ってくれたのはうれしいけど、わたし、用事があるの」
瑠璃乃の顔は少年を見上げているが、その手は永遠を安心させるように彼の手を優しく擦る。彼女が向かい合って座る相手に手を伸ばす不自然な動きを続ける理由に見当が付いている少年は、
「……あれ? お前もしかして林本?」
最初から永遠に気付いていたのに、わざとらしく永遠の顔を上から見下ろしてから腰を曲げて窺う。
「やっぱり林本じゃん。久しぶりだなぁ。中学こなくなって以来だけど、お前、今どこの学校いってんの?」
自分を知っている。自分も彼を知っている。髪型は変わっているが、おそらく元クラスメイトで、罠を仕組んだグループの中にも居た中根だ。それはつまり永遠にとって最悪の事態が起こったことを意味する。
瑠璃乃と外へ出る際、覚悟した。だが実際、その時が来ると、呼吸が乱れ、震えも出た。永遠にとって中学の知り合いと再会するというのは、誰であれ、とてつもない恐怖を伴うものだった。ましてや出くわしたのはトラウマの発生源と言っていい。永遠のキャパシティーは、あっと言う間に限界を超えた。
顔を青白くして小刻みに震える永遠をケアすべく、瑠璃乃は彼の隣まで素早く移動すると、隣に密着して震えた手を優しく包む。
すると永遠は手だけでなく、心まで温かさで満たされていくのを感じて何とか呼吸を整えるところまで立て直すことができた。
中根はそれも気に食わなかった。ひきこもっていたクラスメート。絶対の弱者を見下し、優越感に浸ることが怪しくなる。何より永遠と瑠璃乃が親しげに手を重ねている事実に苛ついた。
それに、下の者が上である自分を目の前にしながらも、何故か息を吹き返し、平静を取り戻しかけていると分かると、改めて自分が上であることを知らしめたくなった彼は大袈裟に天井を仰ぐ。
「なるほどなるほど。納得納得。テメエみたいなのがこんな子はべらせてる理由もお察しだ」
連れの友人が制止しようと駆け寄るよりも速く、中根の口が動く。
「お前……“ニュビ太郎”だろう?」
それは永遠の選んだ立場、ハルジオンのニュービジョンワーク(NVW)を指す蔑称だった。
悪意が籠もった冷淡な語調での蔑みが永遠に突き刺さる。
「だから開き直ってんだ? ボクはカアイソウな甘ったれです。情けないド底辺の人間ですから、カワイイ女の子連れて普通の人ごっこしてても勘弁してください……って」
強烈な侮辱を受けた永遠の思考が止まり、視界が色を失い、灰色に染め抜かれる。
「無視すんなよ。それしかねぇんだわ。テメエが不釣り合いな子と一緒にいる理由なんて。他のニュビ太郎もそうだし、隠してても世の中にゃバレバレなんだよ」
もともとNVWは誰もとり残さない雇用の機会という理念のもとに作られた。そのためハルジオンは“普通”に馴染めない、“普通”から外れた、ひきこもりなどにも手を差し伸べている。NVWは2b8患者だけでない者にも業務を斡旋しているのだ。
そのうえ容姿端麗のワーキングパートナーも同時に派遣しているため、悪目立ちしてしまっている現実があった。
弱者の悲惨な駆け込み寺と捉えられるNVWに就く者の現実、永遠は見誤っていた。
まさかここまで風当たりが強いとは。現代の弱者となる事への覚悟が足りていなかった。
それに自身の見通しの甘さを思い知らされる。
普通の人の目の位置を見誤り、見くびっていた。
自分では前進できた。近付けたと思っても、普通の視点からすれば、下は、どこまで行っても下なのだ。
生まれ持った障害も、生きるなかで患う万病も、人生の黄昏に訪れる認知の衰えも、人は克服し、制御下に置いた。誰もが天寿を全うでき、望む皆に機会が約束された時代。そこにあってもなお、人はとある
脳や身体能力の強化と、生来の寿命の延長は、国際的な倫理にまつわる条約によって禁止されている。関連してこの決まりがある限り、疾患・障害とみなされる状態を治療できても、疾患・障害とみなされない個人の特性や性格を矯正する訳にはいかなかった。
それはつまり、疾患や障害の有無に対して平等を約束されたとしても、生まれついての才や能力には依然として優劣が消えていないということを意味していた。
結局、人類から上と下の概念を取り去ることは叶わなかったのだ。
2030年現代において“下”と蔑まれるのは主に、治療は選択しないが、生来の特性、性格として社会と交わることを嫌う人間や、永遠のような2b8患者のことを言う。
2b8患者の場合はケースが少なすぎるからこそ排斥されていた。
彼等は多くを語らない。
苦しくとも、声を上げるぐらいなら沈黙を選ぶ。超少数派という身分が後ろめたさを植え付け、声を上げることを躊躇わせていた。
そんな彼等に同情を向ける者は少ない。
むしろ異端視されている。
こんな時代だからこそ、普通以上をきどる人間は、普通から外れた者に厳しい。普通から外れた道で生きる事を選んだ者を不必要に責め立てさえする。
そんな理不尽から彼等を守ることに重きを置いたハルジオンが提供するリスクゼロを達成しつつある監視社会は悪意を封じるのに一応の成功をみせる。
しかし、蓋をしても湧き出る悪意は水面下で膨らんだ。上辺からは見えない所で、抑圧された分を反動にするかのように大きく膨らみ続け、やがて抑圧の原因……責めてもいい理由探しが始まった。
平等であるはずの社会。
なのに、皆以上に手厚い配慮を受けているのが気に食わない。
少数派のくせに多数の人間に気を遣わせようとする厚顔ぶりが鼻につく。
そんな意識が蔓延し、普通とそれ以外の分断は加熱、加速した。
現代での声高な侮辱は冗談では済まされない。必ず刑事罰が伴う。
だからこそ、膨らみ続けた悪意が暗黙の了解という歪な共通認識の形成を許してしまった。
NVWは分け隔ててもいい、区別してもいいという認識が形のない免罪符になって2030年の社会を形作る上辺の裏側に、べっとりとしたコールタールのような悪意に
普通以上を自称する中根もそんな免罪符を盾に、憎悪を向けても許される存在、現代の弱者である永遠に、自分が上である事を知らしめるよう、あえて目立つように、あからさまな害意を後先考えずに振り下ろす。
その害意に永遠は耐えられなかった。
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