第20話 ブレーンワールドと重力子

 友人や元同級生、挙げ句の果てには通行人などに原因がある。自分はまるで悪くない。


 そう訴えながら警官二人に連行され、ショッピングモール出口までやってきた中根は、ここに来てはもう口数は無いに等しい。


 警官のパワードスーツの万力のような力強さと、ひんやりとした感触に触れているうちに逆らう気力も失せたからだった。


 外に待機してあったパトカーまでやってくる頃には、彼の顔から表情が消えていた。


 それでも、彼は誰に言うでもないが、誰にでも向かってボソッと呟く。


「…………死ねよ」


 その場に居る野次馬や警官などの誰にも、中根自身にも視えていない。


 だが確かに、彼の体から空に向かって一直線に、濃紫色の光の柱が昇っていった。

 






「どうぞどうぞ、入って入って」


「しっ……失礼します……」


 弥生に促され、おっかなびっくりの様子で永遠はトレーラーに足を踏み入れた。


 先ほどビターンと派手に転んだ博士は、弥生に介抱されてから直ぐに立ち上がり、永遠より前に車内に引っ込んだ後、車室に設けられたデスクの前の指定席にしょんぼりしながら座っていた。しかし、永遠が入ってくるのを見届けると、気を取り直して背筋を伸ばす。


 自分と向かい合う席に腰掛けるよう細い腕をしきりに伸ばして促すので、永遠はそれに従う。


 車内に入って何より目に留まったのが天井に空いた大穴だった。そこから日光が降り注ぐので昼は照明が必要なさそうだ。


 そして穴の下にある透明な筒状の大きな機械。その機械から滲む淡い桃色の光は、まるで重さを持った煙のように、周囲の空気まで同じ色に滲ませている。


 この車の中だけ文明が違うようにも思って永遠は生唾を飲み込んだ。


 弥生は湯飲みにジュースを注ぐと、永遠と博士の間の簡素なデスクの上に置いた。


「粗茶ですが……ってジュースしかないからお茶じゃないんだけどね。やだもうっ♪」


 招き入れるような手首のスナップを繰り出し、トレーを抱えながら弥生が朗らかに笑った。


(何でだろう? この人若くて美人なのに、僕より二回りぐらい年上のニオイがする)


 弥生に頭を少し下げてから、永遠は腹を括るように拳に力を入れる。


 最初に何よりも気になっている事を、目の前から急に消えてしまった瑠璃乃の事が訊きたかった。あなた方は何者なのかといった疑問より、永遠の中では瑠璃乃の安否の方が優先された。


「……あの……瑠璃乃……さんは、どこに行ったんですか?」


 額に大きな絆創膏を弥生に貼ってもらいながら博士が答える。


「突然居なくなって驚いただろう。だが安心してくれ。彼女は眠っているだけだ。ここでな」


 車内の後方に滑っていく博士の視線を追っていくと、大きな筒状の機械が永遠の目に入る。


「……あれ……あの機械? カプセル? あの中で瑠璃乃……さんが眠ってる……?」


 そう言われても中身は桃色光だけ。瑠璃乃が居るようには見えない。永遠は首を捻る。


「ああ。これが彼女のベッドなんだ」


 そう言ってから博士の視線が屋根に空いた大穴に移される。その顔は無表情に見えて少し口元が緩んでいた。弥生もトレーを抱えたまま同じように見上げて頬笑んでいる。


「瑠璃乃は、パートナーが君だと知った瞬間、何はなくとも出て行ってしまってな」


「……恐縮です」


 浮き世離れした美少女が、こんな自分のような冴えない男の事を履歴書のようなもので知って、その時から慕われている。勝手に良い方向に勘違いできた永遠は、頭の中でだらしない顔でにやけていた。ポーカーフェイスのつもりでも、実際の顔もニヤけているのに気付いていない。


 永遠の表情から瑠璃乃が彼にとって、少なくとも顔を綻ばせられる人物にはなっているのが推し量れて博士と弥生の目頭が熱くなる。


「あのっ……僕の係の人が、瑠璃乃……さんなんですよね?」


「ああ」


「……じゃあ、また会えるんですよね? 一緒に……仕事ができるん……ですよね?」


 永遠は正直、なぜ瞬間移動のようなイリュージョンまがいの事をしたのかを尋ねたかった。けれど、その質問は後回しにすることを選ぶ。眠っていても瑠璃乃が近くにいてくれると思うと僅かでも安堵が得られて、自分の目先の些末な疑問より、瑠璃乃とのこれからを訊きたくなったからだった。


 永遠の問いに、真正面に彼を捉える博士の眼差しが真剣さを宿す。


「それは、君と瑠璃乃しだいだ」


 何を言われて、何をどう捉えていいか判断しかねる博士の言葉に、ふと永遠の口から混乱の欠片が零れる。それから改めて博士の顔を窺うように見ると、どこか寂しげに映った。


 博士の様子から自分まで緊張してしまった永遠は、また身を縮こまらせる。永遠が窮屈そうにしているのを目にした弥生は、博士の肩をちょいちょい指でと叩くと無言で何かを促した。


「永遠、話を変えるぞ?」


「え! あっ、は……はいっ……」


 おっかなびっくり答えると、博士はデスクの上のコンソールに指を滑らした。すると奥行き表示も可能な浮遊する立体モニターが現れ、博士の指に動きに合わせて宙を泳ぐ。レスポンスが普及しているものとは段違いにスムーズなうえに高精細。知識の無い永遠にも“特別”なのだと理解させた。


 特別なモニターは博士と永遠の間で静止し、その中にはユラユラと穏やかに揺れる七色に光る10センチほどのひもが表示された。


「永遠よ。君は、超ひも理論とブレーンワールドというものを知っているか?」


「ちょっ、超“ひも”理論……⁉」


 永遠の頭の中に瞬時にイメージされたのは、女の人に食べさせてもらって、日がな一日ゲーム三昧。首輪を着けられてヒモで繋がれた男の姿。正確には、瑠璃乃のスネをかじてって自堕落に生活する、もしかしての自分の姿だった。


「……超弦理論ちょうげんりろんとも言うぞ?」


 見当違いをしているであろう永遠の様子を見て、前例からいろいろと察した博士が気を回す。


「あっ、それでお願いします……」


 博士は深く頷いてから話し始める。


「私たち現生人類が住み、知覚と認識を経て確認できる宇宙は悠遠ゆうえんな膜……ブレーンで構成されているという説がある。数え切れないほど存在すると主張しようとも、あらゆる観測を以てしても捉えられない世界など、まさに机上の空論に過ぎないはずだった。だが20年ほど前を機に、ブレーンワールドは確実視されることになる。何故だと思う?」


「……ちょっと分からない……ですね……」


 永遠は愛想笑い浮かべてみたものの、何を質問されたのかもさっぱりだった。


「重力子が観測されたからだ」


「……重力……し?」


 重力という言葉に永遠は反応する。その単語なら理解できたからだ。


「生物や無機物問わず、物質は小さくなるにつれ名前を変える。分子や原子を知っているか?」


「あ、はい。それぐらいなら……」


 博士は素早く一度、首を縦に振ってから続ける。


「古今東西森羅万象の物質を突き詰めて最小単位……素粒子までを見通そうとすると、揺れる弦が視えてくる。この弦の揺れ方、振動数の違いが形作る物質の違いを生んでいる」


 立体モニターの中のひも……もとい、弦は揺れるリズムを変化させ、様々な物質への変化を見せる。激しかったり、緩々とだったり、振動の加減が変わる度、いくつかのプロセスを経て石になったり、オタマジャクシになったり、人間になったりするイメージが表示されていた。


「今回、特に君に知ってもらいたいのは、重力子ということになる」


 目を頻繁に開閉させている永遠の様子から、理解が追いついていないことを察した弥生が、申し訳なさそうに博士の背中に眉根を寄せた苦笑いを向ける。


「人体をはじめ、あらゆる物質を構成する素粒子……弦は、画面上にあるように、両端が開いており、ブレーンに固定されている」


そう言われてから永遠が画面を見ると、一枚のブレーンに両端をくっつけて揺れる多数の虹色の弦が映った。


「これら弦は端と端を開き、ブレーンに両端を接合させてこの世界に定着し、同じブレーンの中なら自由に存在できる。だが、別のブレーンへ行くことは出来ない」


「遊園地のワンデーパスポートを持ってるから園内のアトラクションは乗り放題だけど、別のテーマパークには行けない……みたいに考えて」


「あ、はい……」


 弥生が教えてくれた例えなら永遠にも理解できた。


 だが内心、興味はそれ以外が占めていた。瑠璃乃の安否がとりあえず分かったのなら、やはりこれからの話を聞きたかったのだ。


 彼女の姿が消えてから自分の中の心細さが確実に大きくなっている。外に出ることを想像して震えていた時と比べれば何てことのないものだったが、不安が大きくなっている自覚があった。


 目の前の二人は自分の味方だと思える今はいい。しかし、家に帰るまで不安に押し潰されないで済むか? という程の心許なさがあるのも事実。


 だから話の内容より、今すぐにでもカプセルに駆け寄り、瑠璃乃の顔を覗き込みたいのが正直なところだった。彼は、それほどまでに彼女を拠り所としていた。


「これを見てくれ」


 が、今は話を聴かねばと気を取り直し、博士の要望に応じる。


 そうやって目を移した画面には、いくつかの固定されて揺れる弦とは別に、ブレーンに固定されず、まるで自由に浮いているように見える輪状の弦が一つあった。


「これが重力子だ」


 博士がそれを指差すと、両端が閉じた虹色の輪状の弦は、音も無く静かに、なのに高速で回転し、モニターの端から飛び出していってしまった。


「重力子は弦の端と端が“閉じ”、輪を形作る。それは比喩的に表せばタイヤのように自身を運び、別の世界へと移動させることができる。この重力子だけは別のブレーンへと進出することができるということだ」


「世界中どこの遊園地でもアトラクション乗り放題ってところかしらね」


 はっきり言って、弥生の例えだけしか分からない永遠だったが、それでも辛うじて相槌を打つのだけは止めなかった。


「重力子の発見から少しして、重力子と同じ挙動を示す、人類にとっては全くの未知の素粒子が発見された。……認識できる者は限られるのだがな」


 相槌は頑張る。しかし、永遠はもう半ば理解を諦めて聞いている。


 そんな永遠に弥生は手を立てたジェスチャーを現し、片目を閉じて『ごめんね』と呟く。


「……高次元にたゆたう重力の欠片と同じように振る舞う弦。自らを重力子に似せることによって高次元への進出を果たす唯一無二の存在。憧れや目標を真似た結果、ありとあらゆる役に成りきる事が出来る力を手にした、限りなく自由な存在だと捉えてくれて構わない」


 博士の様子を窺うに、彼は人を置き去りにして一方的に話をするようなタイプではない。おろらく出来る限りの易しさで話しているのだろう。だが、それでもあまりに訳が分からないものだから、永遠は逆にこちらが申し訳なくなってきた。


 だから気まずくなって、置かれた湯飲みを手持ち無沙汰に一口すする。


 すると、口に入れた瞬間に虫歯になりそうな甘さに体が危機感を訴え、永遠は反射的に口からココアを噴射してしまう。


 勢いよく吹き出したココアの黒が、博士の顔を塗り上げた。

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