第10話 エルイオン

 しばらく歩き、永遠が状況と空気に慣れ、冷静になって手を繋ぐのを遠慮し、瑠璃乃の名残惜しそうで不服そうな顔を見てから少し。永遠は視線を泳がせながら気まずそうに歩いていた。


(……どうしよう……間が持たない……)


 ゴールまで半分ぐらい来た頃。道の先を見ても誰もいない。見通しが良すぎるため、道の先も車以外はみられない。


 今までは、誰かとすれ違う際に瑠璃乃の心遣いを受けて時間を過ごした。


 ジャージ姿でも人目を惹き付けてしまう瑠璃乃の存在も手伝って、挨拶してくる人も多い。


 永遠は他人との挨拶など三年はしていなかったものだから、見えるか見えないか程度の会釈で精一杯。が、瑠璃乃は元気よく朗らかに、お辞儀をして手まで振って応えていた。


 今となっては、その時間が失って初めて気付く尊いものだと永遠は痛感せざるを得ない。


(何か話したほうがいいんだろうか? でも何を?)

 横目でチラチラと瑠璃乃を覗き見ると、にこやかで本当に楽しそうだ。そんな彼女の態度が永遠の不安を加速させる。

 いつまでこの笑顔を保たせられるか? 

 機嫌のいいままでいてくれるか? 

 どうしたら嫌われないよう振る舞えるか? 


 いっそ何故裸で部屋の前にいたのか踏み込んで聞いてみるべきかとも考える。しかし聞いたら引かれて、最悪、今回の件自体がなくなる恐れもあるんじゃないかと、結局踏み込めないで終わる。


 視線ばかりが右往左往して、焦りに焦っていた。


 そんな彼の視線を感じたのか、永遠が瑠璃乃の方に目を戻したとき、彼女とキチンと目が合ってしまう。そのせいで、プランが何もないまま不意に永遠の口が動いてしまった。


「あ、あのっ!」


「ん?」


「…………ごっ、ご趣味は?」


「趣味? え~っと……あ、そうだ! お料理とお裁縫と読書と音楽鑑賞ですって言えって説明書に書いてあったよ」

(男受けの良い趣味情報丸写しじゃないか。しかも隠そうともしないし)


「……なら……料理は何が得意……ですか?」


「えっと……あっ! 肉じゃがだよ! 作ったことないけど」

(正直すぎるよ!)


「……じゃあ、音楽は何を聴かれるんですか?」


「……おほん。……主にクラシックを少々。好んで聴くのはベートーベン・ピアノソナタ第八番悲愴第二楽章です。考え事や集中したい時には必ず流します。切なくも感覚が研ぎ澄まされる趣を持っているため気に入っています」


(おおっ! 内容は分かんないけど、おおっ!)


 淑やかに手を重ね、伏し目がちに今までとは違う口調で語る瑠璃乃の姿は、まるで深窓の令嬢のようだった。着ているものはジャージでも、永遠の目には確かにそう映って胸が高鳴った。


「……それでね、永遠」


「はい?」


「ベートーべんって、どんなお弁当のこと? ……あ! もしかして、方言のほう?」


 曇り一つ無い瞳で尋ね返してくる瑠璃乃に対して永遠は思う。たぶんこの子は天然だ。


 何の反応もないが、ただ自分を心配そうに見つめてくる永遠の視線を受けて、何だか頼られているような気がした瑠璃乃は、また草をむしって差し出した。


「草、食べる?」


「……あ、いや、いらない……かな?」


 草を握った手を差し出された永遠は少しの間を置いて苦笑いを浮かべた。ただ、このやりとりで気が楽になってきたのか、永遠は緊張というか肩に入っていた力が抜けていくのを感じた。


「そっか。欲しくなったらいつでも言ってね」


 瑠璃乃はそう言ってむしった草をポケットにまた詰め込んだ。


「あっ、うん。あははっ…………あの……ですね?」


 だから、脱力の分だけ彼の口がほんの少しだけ回るようになって思い切った動きをみせる。


「うん?」


「……そのさ、気分とか悪くない……ですか?」


「悪くないよ? 元気だよ! どうして?」


「や、だって……こんなのと一緒に居たら、普通なら早く仕事終わらないかな~、だるいな~って思うんじゃないかなって……」


 とことん自分に自信が無くて後ろ向きな永遠が自虐的に言うと、


「大好きな人といっしょにいるんだよ? 時間が止まればいいって思うに決まってるよ⁉」


 大真面目に迫真に瑠璃乃が即答する。永遠の目が点になる。


「あ、違うよ⁉ 好きか嫌いかって言われたら大好きなだけだからねっ⁉」


 ツンの意味があるのかないのかのツンデレを披露してから、瑠璃乃は頬を染めたまま、永遠に柔らかい笑顔を向けた。


 永遠はポカンとなってしまう。分かり易い好意を向けてくれて嬉しいより先に心配になってきた。この子は実は欺される側で、会社に利用されているのではという疑念さえ浮かんでくる。


 そんな疑念を抱きながらも、並び歩いてくれている瑠璃乃の顔を、永遠にとっては割と長い時間、彼女だけをその目に捉え続けた。すると、今までと違う光景が目に入った。


 瑠璃乃から光が漏れ出ている。


 彼女の体から一定のリズムで薄桃色の光が漏れ出すようにゆっくりと浮かんで離れ、やがて空に同化して消えていく。上に誰かがいて、綿菓子を少しずつ摘まみ上げて食べているように映らないこともない。


(なんだろう? これは……。まさか霊魂――)

「――《エルイオン》――」


 瑠璃乃が言った。いつの間にか永遠の目の前に移動し、彼の顔を覗き込み、永遠の胸中の疑問に答えた。間抜けた顔になっている永遠は彼女の言葉が何で、何のことを指しているのか分からないでいる。


「わたしから出てくる、このほわわ~んって浮いてくる光、永遠にも見えるんだよね?」


「あっ、う、うん……はい……」


 真剣に覗き込んでくる瑠璃乃の瞳を直視できず、顔を逸らしながらバツが悪そうに答えた。そんな永遠を見て、瑠璃乃は朗らかに笑って言う。


「これはね、《エルイオン》って言うんだよ。見てるとホッととしてくるし、美味しそうだし、美味しいし、だから怖いものじゃないよ。安心して、ね?」


 まるでパートナーの不安を先回りして払拭するように、瑠璃乃が優しく応える。


「あっ……うん……はい……」


 永遠の頬が少しだけ緩んだ事を確認すると、瑠璃乃はニコっと笑みを重ねて、また隣に並び、永遠の歩調に合わせてと歩き出した。


 この子といると、安心できる。ホッとする。エルイオンなるものの正体はさて置いて、改めてそう感じる永遠だった。

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