第9話 三年ぶりにあびる風

「それにしても、見事なまでの目覚めの良さだったね……」


「ええ。飛び起きたらそのまま宇宙まで行っちゃうぐらいですもんね。よっぽど永遠くんに会いたかったってことですね~~」


 車体に空いた大きな穴を見上げ、自分達の車が派手に壊れ、車内は煙たくて視界が悪いほどだというのに博士と弥生の顔は、まるですす払い直後の仏様のように穏やかだった。


「……あっ、これから一緒にショッピングモールまでお出かけするみたいですよ」


 何故か永遠の家で何が起こっているか把握することができる弥生が進捗を報告する。


「ほう? 永遠くんもよく頑張ってくれているようだ。じゃあ僕も、役作りのために精神統一でもしようかな。弥生君、ショッピングモールへの運転をお願いできるかな?」


「分かりました。でも、《ペネトレーター》の子達に博士の役作りはとっても好評でしたけど、すぐにボロが出ちゃって台無しになって、その度にグジグジ落ち込むまでがセットじゃないですか? もうそろそろ普通に接してみたらどうです?」


「いや、何事も第一印象が大切だ。“私”がこうして彼等の慣れ親しんだ“博士像”になりきることで、皆ある程度私に親しみを持ってくれるはずだ」


 バサッと白衣を翻すように着直して、博士は眼鏡の中央部分のブリッジをいかにもな感じで人差し指で軽く持ち上げて見せた。


「そうですね。確かに電車の網棚を上から見下ろす目線なうえに、今すぐにでも折れそうな枯れ枝みたいな手脚の人が来たら、敏感な子じゃなくても構えますもんね。それにその体型だと似合うのは悪い秘密組織の科学者か、お化け屋敷のミイラぐらいですもんね」


「頼むから、人が気にしていることをからかうのはやめてくれ……」


 よほど堪えたのか、博士は体育座りでいじけるように座り込んでしまった。


「もう、冗談ですよ冗談♪ さぁ! 気を取り直して永遠くんと瑠璃乃ちゃんの先回りに出発ですよ!」


 弥生が運転席に座りエンジンを掛けるとガタガタ大きく車内が揺れた。にも関わらず、車体はユラユラと宙に浮いているので地面を擦るような音は無い。


 そうやって音も無く、永遠の家の前の坂道を浮遊したまま下るボコボコで天井に穴まで空いている見慣れない車を、散歩に出ていたおばあさんと犬が不思議そうに見上げる。車内から煙を上げて宙に浮いて走る中々に大きいトレーラーが田舎道を走っていく光景は、かなりシュールだった。


 




 林本永遠の家は小高い山の上に建っている。そこからどこへ向かうにも、どうしても坂を下らなければならなかった。


 緩やかでも、その分、とても長い坂を下りはじめてものの一分。永遠はもう息切れしていた。人間、全く運動もせずに三年間ひきこもっているとこうも身体能力が衰えるのかと、永遠は自分の体でいやと言うほど実感する。太ももが痛む。ふくらはぎもツリそうだ。


 坂を下りきる頃には息も絶え絶えで、永遠はこれから先、だだっ広い田んぼが続くショッピングモールまでの道のりを思うと気が滅入ってきた。


「おんぶ、するよ?」


 そんなふうに言われて永遠が瑠璃乃の方を見ると、彼女はしゃがんで後ろ手を差し出し、永遠を背負う気まんまんだった。


 永遠はとても複雑な気持ちになってしまう。皮肉を込めたわけではなく、パートナーの体を心から気遣っての行動だと、瑠璃乃の心配そうな表情から読み取れる。しかし、情けなさとバツの悪さから、咄嗟に首を横に振ってしまった。


「遠慮しなくていいのに。あ、それとも恥ずかしい?」


「そんなことは……」


「パートナーなんだから、恥ずかしがらなくてもいいんだよ?」


 パートナー。その意味を深く考えると、まずいことになる。直感した永遠は、とりあえず瑠璃乃に愛想笑いで返すと、ゆっくりと歩みを再開する。瑠璃乃もすぐに横に並んだ。


 最低限の舗装しかされていないあぜ道。そこを二人して歩く。 


 数ある水田。それが山々までの平地に敷き詰められるように並び、まるで水鏡のようにきらきら光っている光景に、永遠はまた懐かしさを強く感じた。


 水田からやってくる少し湿った生暖かいそよ風が、郷愁から来る切なさと穏やかな気持ちを運んでくる。独特の土の匂いも手伝って、永遠の目が細められる。


 頬笑む永遠の横で、瑠璃乃も笑った。


「えへへっ♪ 楽しいね~~!」


「あ、うん……はい……」


 外に出られただけで喜ばしい気分の自分はともかく、こんな田舎道をただ歩いてるだけで何故そう思えるのか。聴いたことが無い独特の鼻歌を口ずさみながら腕を振って歩く瑠璃乃は本当に楽しそうで、永遠は不思議でならなかった。


 それにしても、この道中。いくらドが付く田舎といっても誰ともすれ違わないということはない。


 軽トラックだったり、自転車だったり、犬の散歩だったり。牛も手綱を引かれてのしのし歩いているし、豚の集団がトラックに乗って移動するのも見られる。


 それらと行き交う際、永遠はそれら自体より目が気になった。車や自転車に乗る人の視線がやはり怖かった。悪く思われていないだろうかとどうしても勘ぐってしまう。


 だが、永遠がそう思っていると必ず、瑠璃乃が柔らかくもしっかりと手を握った。すれ違うものがなんであれ、その都度絶対に手を握ってくる。


 永遠はその度心臓を跳ねさせるが同時に、瑠璃乃の温もりを感じる度、怖いという思いがホッとする安心感に上書きされるような気がして楽になっているのを自覚した。


 何度もそれが続くものだから、何だか申し訳なくなってきて永遠は瑠璃乃に謝罪とお礼を伝えたくもなる。


「……あ、あの――」

「――だいじょうぶ」


 まるで先回りするように、気にしなくてもいいよと言わんばかりに永遠の言葉を瑠璃乃が頬笑んで遮った。


「だいじょうぶだよ。怖くないよ。わたしがいるよ?」


 可憐な少女の心強い言葉と優しい眼差しを受け、永遠の口から短い感嘆が漏れる。


「ね? ……あ! これ! 草、食べる?」


(……やっぱり凄いもんだな、ハルジオンの人は。手を繋ぐだけで僕みたいなののケアが出来るなんて。でも草食べるって何? そんな雑草むしって差し出されても……)

「……あ、や、……いらない……です……?」


 それでも、永遠は彼女にお礼が言いたくて、誰かとすれ違う際、手を握られる度、心の中で、もしくは口だけを動かし、ありがとうと呟いた。


 それに無言で応えるように瑠璃乃は手を握ると必ず、永遠に笑顔で道ばたの名前も知らない雑草をむしっては差し出す。


 そんな永遠にとって理解に苦しむ意思交換が何度か続き、遅いながらも二人は進み続けた。

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