第27話 さぁ、わたしを食べて!

 生身のまま高速で引っ張られていく永遠の叫びはすぐに遠くのものになっていた。


 二人を見送った博士は、一つ注意事項を伝えるのを忘れたのを思い出して大声で叫ぶ。


「瑠璃乃ー! 今は永遠を連れているのを忘れるなー! 君が全力で動けば、生身の人間は一度でぺしゃんこだからなー! だから、エルイオン供給のために永遠の手を握ったり、抱きしめたりするのはいいとして、永遠が傍にいる時は全力を出しちゃだめだぞー‼」


「分かった~!」


「じゃあ生身で行かせないでーー‼」


「もし全力で動きたい場合は必ず、空の上でもどこでも構わず、永遠を安全なところまで放り投げたりするんだぞー! あれだ! 鼻くそキャッチ&リリース&キャッチ&ハウスだっ!」


「あっ、それ知ってる~! おもしろいよね~♪」


「言い方! って、ぎゃーーーーーー!!!」


 隊員が瑠璃乃の立ち回りを邪魔しないようにとエイオンベートへの干渉を止めて退いた瞬間、空中に留まる瑠璃乃と永遠を敵と認識したエイオンベートが大きな腕を引く動作を見せる。


 見間違いようのない決定的な暴力の起こり。それが見えた永遠の絶叫は悲鳴に変わっていく。


 エイオンベートが突き出した巨拳を、瑠璃乃は永遠を抱えたまま身をひるがえしてかわす。


 続いて反撃をと片方の手を振りかぶるが、永遠の事を気遣って一度地上に下りることを選ぶ。 


 羽毛のように軽やかに着地した後、抱きかかえていた永遠を出来る限り優しく、それでもやはり上空に向かって勢いよく投げると永遠の悲鳴が木霊する。


 自由に手脚を使えるようになった瑠璃乃は、一足でエイオンベートの顔部分に飛び上がってから胸を広げた。


「ちょっと痛いかもしれないけど、ごめんねっ!」


 両手を思いきり打ち鳴らす要領で瑠璃乃がエイオンベートの顔を挟み叩く。乾いた派手な音を伴って衝撃波は地面の瓦礫まで舞わせる。


 その威力は申し分なく、エイオンベートの頭は、ひょうたんのような形に変形した。


 だが、頭部を変形させるような攻撃に対しても全く効果が無いようで、エイオンベートは大きく振りかぶると、滞空中の瑠璃乃に向かって再度、拳を突き出す。


 襲いかかる拳を流麗に体を捻って躱しながら、瑠璃乃は何故効かないのか首を捻った。


「瑠璃乃ー! あれを忘れてるぞー!」


「あっ、そっか! あれしないと、わたしのビンタはきかないんだった!」


 博士の指摘にポンと手を叩いて納得する瑠璃乃のもとに、エイオンベートが小さく見えるほどの高さから永遠が悲鳴と共に帰ってくる。


 瑠璃乃は彼を傷つけないよう丁寧に抱きとめると、垂直の急上昇と急降下を繰り返すだけの絶叫マシンから降りてきたような状態の口から魂が抜け出しそうな永遠を地面に下ろし、手を繋いだ。


 繋いだ手からほとんど力を感じないので、瑠璃乃は永遠の俯きがちな顔を覗き込んだ。心ここにあらずといった感じでぶつぶつ何かを呟いているのを不思議に思いながらも、状況が状況なだけに永遠の背中をポンと叩いて合図を送る。


「永遠、あのね、わたしね、今からちょっと“ガブッと”されちゃうけど、絶対に手を離さないでね?」


 言葉の意味を計りかね、永遠は瑠璃乃の真剣な眼差しを締まりのない顔で窺った。


「何を言って……っひっ‼」


 エイオンベートが自身の足下の二人を嗅ぎ付けた。見下ろす顔に目は付いていないが、今にも襲いかかってくるような態勢から、永遠はハッキリと狙われていると認識する。 


 逃げようと瑠璃乃の手を引こうとしても、少しも動かせない。微動だにしない。


「逃げな―― 」


「――がまんさせてごめんね? さぁ、わたしを食べて!」


 逃げるよう促す永遠の要求は瑠璃乃の言葉に上書きされ、ベレー帽を脱いだ瑠璃乃の頭が、エイオンベートの頭部に突如現れて急降下してきた口の中に消えた。


 永遠は目を疑った。


 目の前の光景が受け入れられない。

 信じられない。

 理解できない。


 繋いだ手の先にある瑠璃乃の頭部がエイオンベートに喰われている。


 腰を折るようにを曲げ、瑠璃乃を狙いすまして食いついた巨人は、極端に短い十指を不規則に曲がりくねらせ、グチャグチャと彼女の頭を噛み砕いている。


 咀嚼が済み、喉を鳴らして飲み下す音が耳が届いてからやっと、永遠は鳥肌と共に叫び声を上げることができた。


「っああああああああーーーーーーーーー!!!」


 永遠が今日上げたどんな悲鳴より大きな叫びが用地に響き渡る。


 瑠璃乃の頭を飲み込んだエイオンベートは、緩慢とした動きで上体を起こすと、永遠を見下ろす。彼は逃げようともしなかった。目の前の惨劇に囚われて動けずにいる。 


 出せるだけの叫びを上げた後、もしかしたら夢なのではないかと、突然突きつけられた残酷な現実が嘘になっているかもしれないという希望的観測を持って、かぶりを振り、目を擦ってから、繋いだ手の主の顔があった位置を見る。


 現実は何も変わらない。


 現実離れした愛らしい整った顔が、耳に心地良い声を放つ口が、腰まで伸びた眩い金の髪が、首から上全てが無くなっている。


 永遠は現実を否定するように首を横に振り、繋いでいない方の手で瑠璃乃の首に触れる。温かい。まだ温もりが残っている。なのに死なせてしまった。こんなにもあっけなく。まだ生きていると思えるほどの熱を帯びているのに。


(死んじゃった……瑠璃乃……こんなに……温かいのに…………ん?)


 そこでふと、人間がこんな目に遭ったなら当たり前に見られる現象がないことに気付いた。


 頭部を損失したというのに出血が全く無い。その代わりに断面からは薄桃色の粒子が上に向かって立ち上っている。それがたぶんエルイオンだということは理解できた。


 が、状況の把握が追いつかない永遠は、断面に目を凝らすしかできない。


 すると、引っ込めた頭を戻す亀のように、断面から「スポンっ!」と瑠璃乃の頭が勢いよく生えてきた。


「ぎゃああああああーーーーーーーーーー!!!」


 失われたはずの頭を首から上へ勢いよく伸ばした勢いで金髪もそのまま上に流れる。


「……よいしょっと。永遠、そんなに大声出しちゃダメだよ? のど、疲れちゃうよ?」


 何事も無かったように頭を元あった場所に位置させ、ベレー帽を被り直し、パートナーを気遣う瑠璃乃に永遠は愕然となる。瑠璃乃は自分を瞬き一つしないで凝視してくる永遠の反応に首を傾げて目をぱちくりさせる。


「驚かせてすまない! 只今目にしたプロセスを踏まないと、エイオンベートとのあらゆるコミュニケーションは困難を極めたままなんだ!」


 呼吸を忘れていた永遠のところに博士の叫び声が飛んできて永遠は我に返った。


「っ最初に言ってくださいよ! 心臓止まっちゃうかと思いましたよっ⁉」


「すまないっ! エイオンベートは基本的に、精神を保持する生物に敵意を持っている!」


「見たら分かりますよ!」


「そして瑠璃乃の一部を摂取してもらい、開閉もまばらな不安定なエルイオンの弦を、この世界に張り付かせるように定着させないといけないんだ!」


「だから、それを最初から言っておいてくださいよ! こっちは瑠璃乃が死んじゃったと思ったんですからねっ⁉」


「しかし健勝で何よりだ! 生まれたてのエイオンベートは、生きづらさに藻掻いていると言っていい! そのため瑠璃乃の“君のままで大丈夫”という思いを確かに伝えるため、瑠璃乃の一部を取り込むことで、母親の産道の細菌を摂取し、生きていくための細菌を獲得する赤ん坊のように、彼等にとって生きやすい術を見いだしてもらっているんだ!」


『瑠璃乃ちゃんが永遠くんにやってたことを、エイオンベートにもやってるのに近いことをしてるって考えて』


 目の前の幾つもの立体浮遊モニターを巧みに操りながらインカム越しに説明してくれる弥生に大きく、いちいち叫んでくれる博士にはそれなり感謝しながら永遠は瑠璃乃を窺う。


(なるほど。瑠璃乃は僕だけじゃなくて、こんなのの面倒もみないといけないのか。偉いなぁ……)


 瑠璃乃の働きぶりに感心すると、無性に褒めたくなってくる。


「……君は偉いね」


「? 永遠だってえらいよ?」


 褒め返された。何故なのかと永遠が呆ける。


「だってほら。怖い思いをしても、わたしの言うこと聞いてくれて手を繋いでくれてたもん」


 永遠の視界に入るよう、二人の繋いだ手を上に持ってきた瑠璃乃は頬笑んで謝意を表す。


 永遠はそう言われて初めて、自分が手を離さず、最初より強い力で瑠璃乃の手を握っていることに気が付いた。


「……あ……ははっ……これぐらいはね。なんとかね……」


 なぜ手を振り解いて逃げなかったのか自分でも不思議に思うほどの恐怖だった。それでも無意識にその場に留まったのは、自分にとって瑠璃乃がその行為に値する存在なのだと自覚すると永遠は気恥ずかしくなってしまう。だからつい格好つけるように事実でないことを口にした。


「えへへ。ありがとね。と――」


 突然、腕が引っこ抜かれると錯覚してしまうほどの力で永遠は瑠璃乃に引き寄せられる。瑠璃乃は引き寄せた永遠を抱きかかえると瞬時にその場から跳ねた。


 二人が飛び退いた直後、二人がいた場所をエイオンベートの拳が巨大な槌となって陥没させた。


「まだ続くのっ⁉」


 瑠璃乃に抱きかかえられたまま、永遠は戸惑いを漏らす。生きやすくなったのなら何故、暴力が止まらないのか。


 見れば体付きも変わった。脂肪をたっぷりと蓄えた力士のようだった体が変質し、超重量級のボディビルダーのように洗練された筋肉の塊のような姿へと変わっていく。


 だからなのか、緩慢だった動作は素早さを宿し始め、軽やかなステップを踏んでいる。


「どうしてまだ暴れてるのっ⁉」


『またまたごめんなさいね。瑠璃乃ちゃんを一噛みしたら、不安がとれちゃって、心置きなく暴れちちゃうぞモードになるエイオンベートがほとんどなの』


「存在が世界に強固に定着し、より強力に、より狂暴性に磨きがかかるが、処理への道も均されたと考えてくれ! 君達の戦いはこれからだ! 健闘を祈る!」


 この恐怖がまだ続く。永遠は挫けてしまって人目をはばからずに泣き叫ぶ。


「いやだ~っ! 逃げる! 僕、逃げる~~‼」


 恥も外聞も捨て去って、女の子の腕の中で泣きわめく永遠の顔を瑠璃乃が不安そうな顔で覗き込む。


「永遠、いっちゃうの?」

「続けましょう!」


 とびきりの美少女に潤んだ瞳で見つめられて格好つけない男子はいない。行かないでと懇願するような憂いのこもった瞳で見つめられた永遠はイチコロだった。いきがれるだけの自尊心を何とか残していたようだ。


「でも、これからどうするの⁉」


「えっとね、『ナグハート』って言う武器があってね、それで叩けばいいと思う」


「そのナグハートっていうのはどこにあるの?」


「ここにあるよ……あれ?」


 瑠璃乃は腰に手を持っていって何かを握る動作をみせる。まるでそこに何かあるような慣れた手つきで手を握りしめるが、掴んでいるのは空気だけだった。


 そこに武器が確かに存在するかのような様になった仕草だったものだから、永遠も武器らしきものを握ったのものだと錯覚した。しかし、瑠璃乃は何も手にしていない。彼女自身も不思議に思ったらしい。


「あれ? おかしいなぁ。わたし、何も持ってない」


「……それがないと、どうなる……の?」


「えへへ、わかんない!」


 永遠の顔が蒼に染まる。女の子に頼りっぱなしの自分の情けなさを痛感しつつ、さらにそれを棚上げした後、これ以上ないくらい彼女の朗らかさに不安を覚え、永遠はまた絶叫した。


 永遠の悲鳴を聞いて、離れて見ていた隊員達が声援を送るが、それに応える余裕はとても無かった。

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