第41話 決着。空の上で二人

 数瞬後、抜刀術の効果は遅れて現れた。


 放った横薙ぎの一閃は木刀の到達圏を超越し、エイオンベートのコアはもちろん、後方の空まで斬り裂いた。


 文字通り、空に切れ目が入っていた。


 ダメージを受け、傷を負ったことで永遠は自分の認知力が壊れてしまったのかと目を疑う。


 木刀を振りきった先、エイオンベートの後方の空に、紙をカッターなどで一思いに切ったような長い一筋の切れ目が走っていた。


 切れ目からは形容しがたいような色の光が漏れており、異質としか言えない。だから永遠は空が裂けたのだと理解できる。


 だが、戸惑いを咀嚼そしゃくする暇もなく、空の切れ目と周囲が何の前触れもないまま、ガラスが粉々に割れる時のような高い音を響かせながら、切れ目と同程度の菱形の穴へ変化した。


 穴の向こうには周囲の空と明らかに異なる空間、薄桃色、濃紫色、虹色……様々に変わる玉虫色の景色が広がり、こことは違う異質な世界を覗かせている。


 美しいが見ていて不安にも襲われる。


 まるで宇宙の果てや外のことを考えると訪れる言いようのない心許なさ。それを感じさせる一端を目にしているようで永遠は生唾を飲み込んだ。


 瑠璃乃が振り切ったナグハートを戻し、佇まいを直した直後、空に咲いた桜の大輪も、エイオンベートを構成していたエルイオンなど全てが菱形の穴に急速に吸い込まれていく。


 しかし、コアだけは、まるで踏みとどまるように小刻みに揺れながらその場に留まろうとしている。


 瑠璃乃は空を滑ってコアのもとへ近づき、そっと柔らかくコアに触れ、穏やかに語りかける。


「……怖かったよね? だから暴れちゃったんだよね? でも、もういいんだよ」


 接触しての対話により、コアの纏う雰囲気が変わるのを、永遠はエルイオンを認識できるペネトレーターとしての力からなのか感じ取っていた。


 瑠璃乃の温かさと慈しみが離れていても伝わってくる。


 それはコアも同じようで、彼女の手の温もりに触れたコアは振動するのを止め、永遠の目から見て心地よさそうに静止した。


「ありがとう。言うこと聞いてくれて。今度こっちに来るときは、いっしょに遊べるといいな。またね……」


 永遠にそうしたように、エイオンベートにも同じことをした。


 違った出会い方でまた会えるよう、瑠璃乃は別れの挨拶に“またね”を選んでコアの背中を押すように、コアを菱形の穴の方に優しく送った。


 コアは抵抗も無く大人しく穴へ寄る。


 そして、その輝きは至極しごく色から淡い桃色に変化し、最期には光の粒子となって穴へと吸い込まれていった。


 エイオンベートが消えると、追随するように菱形の穴も瞬く間に閉じ、通常の空へと姿を戻した。


 瑠璃乃のやったことの一部始終を見ていた永遠は、残心にも似た、やり遂げた後の余韻を湛える彼女の勇姿に魅入みいる。


 が、そんな余韻は瑠璃乃が泣きそうな顔で永遠の顔面に急接近してきたことで破られた。


「永遠っ‼」


 空の上で永遠の首元へ飛び込んだ瑠璃乃が心配のあまり、自らが血で汚れることを省みず、彼を締め付ける。

「ごめん永遠! 痛かった⁉ 痛かったよね⁉ 痛いに決まってるよね⁉ ごめんねーーーーっ‼」


「むっ……むしろ今のほうがぐるじい……」


 永遠の呻きにハッとなって腕を解いた瑠璃乃は、


「ごめん、ごめんね! いま治しちゃうからねっ⁉」


 そう言うと、永遠の両頬を両手で優しく包み込み、目を閉じて彼の額と自分の額をぴったりとくっつける。


 こんなことされては鼻血が止まるどころではない。そんな永遠の心配をよそに、彼から溢れていた血は何もなかったようにピタリと止まった。何度も蹴られる痛みが再現され、実際に腫れ上がっているであろう感覚のあった腹側部の激痛もどこへやら。あっと言う間に視界も思考も明瞭となってきた。


 加えて、胸のネガティブな興奮も収まって、安らぎさえ覚えるほどの回復を遂げた。


「血、止まった⁉ どこも痛くない⁉」


「あ、うん。むしろ体が軽いぐらいだよ。ありがとね」


「うんうん。わたしこそありがとうだよ! 永遠のおかげで、エイオンベートをおとなしくさせられたんだから! でもね、でもね……」


 礼に続いて瑠璃乃が何を継ごうとしているか永遠には分かっていた。心を痛めるほど心配してくれたのだろう。彼女の眉間には深い皺が寄っていて、今にも泣き出してしまいそうだった。


「……ごめんね。心配かけちゃって。僕、ただ突っ立ってるぐらいしかできないから……こんなことぐらいでしか、役に立てないから……ははっ」


 自虐気味に永遠が言うと、


「そんなことないよ! いてくれるだけで価値があるんだよ?」


 誠実に瑠璃乃が訴えた。その瞳を前に永遠は目を丸くする。ややあって、


「いやいや、そんなこと……」


 ここに来てもまだ胸を張れずにいる永遠に瑠璃乃が続ける。


「わたしにとっては、どんなわたしでもいいって言ってくれた永遠なんだから、本当に傍にいてくれるだけで、わたしがうれしくて価値があるんだよ!」


 それだけで価値があるという常套句。しかし、瑠璃乃の口から出るそれはカウンセラーなどの動画とは段違いの説得力があった。


 自分を信じてくれる子の言葉なら何一つ疑うことなく信じられる。この子が言ってくれるのなら自分を肯定しても良い気がする。永遠は気が楽に、そして持ち上がっていく感覚を抱いて、頬を緩ませた。


「……そっか。そうだね。ありがとう、瑠璃乃……」


「うん♪ ……あっ! って言ってたのは、わたしじゃなくて、瑠璃乃3号なんだからね⁉」


 パートナーの笑顔を見届けた瑠璃乃は、もう永遠にとっては頬笑ましいだけのツンを披露してプイッと顔を背けるのだった。


「あ、そうだっ!」


 わずかばかりのツンの表現に気が済んだのか、瑠璃乃は何かを思い出して嬉々として永遠と目を合わせる。

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