第5話 あなたは、弱者であることを受け容れますか?
『あの、好みの女性のタイプということですか?』
『はい』
『その人と働くということですか?』
『はい』
過去に眉唾情報のコメント欄で不意に目に留まってしまった情報があった。ニュービジョンワークに就くと、とても格好いいか可愛いパートナーと働けるかもしれないらしいと。
あれは都市伝説の類いだと思っていた永遠に衝撃が走る。
リビドーと不安の狭間で青少年のイロイロ迸るものが彼の中でスパークする。
紛れもなく喜ばしい事であっても、紛うことなき過大なストレスにもなるからだ。トラウマから、異性に興味を持ちながら異性を恐れる永遠にすれば天国でもあり地獄でもあるのだ。
17歳の永遠は、もちろん青い欲を持ち合わせている。異性を怖がりながらも、年相応に興味は満載だった。なんて身勝手なと自嘲もする。けれど、こればっかりは生きているのだから仕方のないことだった。
『もし、林本様のお許しがあるのでしたら、すぐにでも手配させていただきます。もちろん無理強いはいたしませんし、チャットでのやりとりのみでも可能でございます』
『少し考えてもいいですか?』
『もちろんでございます』
その答えに永遠は安堵する。しかし、すぐに焦ってもくる。これは時間稼ぎでしかない。好みのタイプなんて分かりきっている。ただ、それを正直に伝えて話が無かったことになったらどうしようと恐れたから足踏みしているだけだった。
『では林本様。もし手持ち無沙汰でしたら、理想の女性像が固まるまでの間、別のトピックについてお話してもよろしいでしょうか?』
『はい』
その提案に、永遠は一安心する。だから進んで了承した。
『ありがとうございます。林本様もご存じの通り、国の中枢は二度に渡る首都直下地震と複合災害に襲われ、様々な行政機能が麻痺した期間が存在します』
自分が生まれた年と翌年、東京は二度、壊滅していたらしい。その影響は日本全体に及んだというが、永遠にとっていまいち現実味に欠ける話だった。
ただ、確かにそれを契機に、ハルジオンがオクミカワで築いた莫大な富を捧げ、社会保障関係の支出を段階的に全て担ってきたというのを授業で習った記憶は強くあった。
『国からの支援が行き届かなくなったとしても、助けを求める人々は変わらず存在しました。ならば疲弊した国に代わって、富を持つ機会に恵まれた者が手を差し伸べなくてはならない。そんな理念の下、この案内は存在しております』
『はい』
『ですが、私共は弊社の業務を斡旋するメールをお送りする方々を無作為に選んでいる訳ではございません』
来た。ここにきて来るのか。永遠は突然の起こりに構えて身を固くする。
『心身の病気をはじめ、どんな障害から難病まで治すことのできるまでに技術は進歩しました。もちろん、個性として共存を選ぶのも自由ですが、治療という選択肢も用意され、本人の生き方を必ず尊重できる時代が到来したのです。これに伴い、生きづらさという概念は解消されたかに思われました。しかし、未だ社会に適応できない方々もいらっしゃいます』
表示されていく説明を読みながら、永遠は息を呑む。
『特定難治性脳機能疾患2b8。この疾患だけ、人類は克服を成し遂げていません。そして、この疾患を患う方々は、現代においても生きづらさとの共存を余儀なくされております』
自分とは切っても切り離せない文字列を他人から書き込まれたことに、永遠の緊張はさらに強くなっていく。
『その原因は症状にあります。世界でも1000名に満たない罹患者のケースに共通する特徴としてまして、ストレスに慣れるということが基本的に無いという事が挙げられます。推論の域を出ませんが、脳の不可塑性がある意味強力に作用してしまうことが原因と考えられております。そのため、トラウマなどの治療を施したとしても、脳神経細胞が治療以前に、まるで傷を呼び戻してしまうような状態が常態化してしまうのです』
いくら理屈を聞いても理解が及ばない。病院で
だが、実感はその通り、おおむねチャットの通りだ。だからこそ、三年経っても悪夢が、ついさっき起こったことのように鮮明に再生されてしまうのだろう。
貶められたこと。好きな子の嫌悪の表情。上級生達に蹴られた痛みや嘲笑。おまけに初恋の甘痒い感覚までがセットとなって、トラウマを思い出すたび、当時の心身の痛みが明確に再現されてしまうのだ。定着した記憶というより、今し方見ていた光景のように頭の中と体の外で当時が蘇ってしまう。それが永遠の患う疾患の症状だった。
『そんな方々はこう呼ばれています。“現代の弱者”と』
身が固くなり、息を呑む。少しして永遠は生唾を飲み下す。
(……改めて他人に思い知らされるのって、やっぱりちょっと……堪えるな……)
『ご気分を害してしまっていましたら、誠に申し訳ございません』
『いえ。大丈夫です』
『ありがとうございます。ではその寛大なお心に免じて、これからの発言にもどうかご容赦を。失礼を承知で申し上げます。林本様、あなたは、今を変えたいと望みますか?』
文字だけなのに、相手の雰囲気が変わったような気がした。そのため永遠の居住まいも自然と正される。
『はい』
答えは決まっていた。だから踏み出したのだ。
『お気に障りましたのなら、この画面を閉じて下さっても構いません。その際、林本様に今後一切干渉しないことをお約束いたします。ですがもう一度失礼を。あなたは、現状からの脱出を願いますか?』
『願います』
『自分の力だけではなく、誰かの力に頼ることになったしても変化を望みますか?』
永遠は一人では何も出来ないことを情けなく思い恥じても、他人の力を借りることになっても行き止まりの今を打破したかった。だから一瞬の躊躇の後、答える。
『望みます』
『あなたは、弱者であることを受け容れますか?』
問われた永遠は改めて自分の立ち位置を思い知る。だが絶望はしない。代わりに、ある種の観念、諦観、覚悟の類いが永遠の中で芽生え、指に力がこもる。
『はい』
『弱者であることを選び、その新しい立場にて傷付くこともあるかと存じます。それでもあなたは弱者であることを受け容れますか?』
(たとえそうだとしても……それでも僕は……)
『受けいれます』
でもせめて、身の丈に合った役割が欲しい。喉から手が出るほどに。だから永遠の返事を打つ指にこもる力は強さを維持していた。
『ありがとうございます。林本様のご覚悟を頂戴いたしました。林本様は現状からの変化をお望みだとお見受けします。私共なら確実に、林本様の一助となり得ることをお約束できます。そのために理想の女性像が必用だったんです』
『そのために?』
『望まない現状からの脱出。これには様々な方法があります。その中の一つ、林本様に最も効果的である方法を提示いたします。それは、異性に認められ、受け容れられることです』
なるほど。新しい考え方だと思う一方で、永遠に疑問が過る。外におびき出された後に改めて欺される可能性が無きにしもあらずだからだ。
しかし、ひきこもりから脱することができる。自分ではどうしようもできない現在のどん詰まりの状況を打破することができるかもしれない。永遠は不安を感じつつも、ワラにもすがる思いで返事を返す。
『あの、詐欺の類いではないですよね?』
『だいじょうぶです。お金が無いのは事実だけど……あっ、間違えちゃった』
文章がくだけた。
永遠は直感した。相手はブレインコンピュータインターフェイス(BCI)を使っている。脳の電気信号を介する入力端末はチャットでは特に間違いを取り消せない。レスポンスが速過ぎるからだ。
『あ、え~ごほんごほん。失礼しました。大丈夫です。キレイなお姉さんが出てきて喫茶店に連れ込まれて手相を見られて鑑定料を巻き上げられるなんてことはありません。だから林本様もテレビ局や配信者様に連絡なんてしないでくださいね?』
『はい』
『ところで永遠くっ、……こほんこほん。失礼しました。林本様、イメージの方はどうでしょうか?』
(この人だんだん遠慮がなくなってきたな)
『イメージというか、理想の女性のタイプの要所要所ならなんとか言葉で説明できますが、それでもいいですか?』
相手のくだけた様子と時間が緊張を取りさったのか。永遠の躊躇が薄らいできていた。
『まったく構いません。では、どうぞ仰ってください』
(言うだけだしね)
『穏やかで優しくて、常にニコニコ笑っていて包容力があり、スタイル抜群。ものすごいグラマーなのにモデル体型のキレイなお姉さん系。姉になってもらいたい女性タレントナンバーワンという感じの女性が好みです』
『申し訳ございません。そんな都合のいいスタッフは在籍しておりません』
ゼロコンマを
(じゃあ訊かないでよ!)
『現在こちらが派遣できるスタッフは、素直すぎるからこそ素直になれない性格で、はにかんだ笑顔がチャーミング。腰まで伸びた美しい金髪と、猫のように大きくて青い瞳が輝く、まるでお人形のように可愛らしい女の子のみとなっております。しかも、凄くきれいなプロポーションです! び、にゅうです!』
『び、にゅうとはなんですか?』
思わず打ち込んでしまった疑問へのレスポンスが遅い。永遠がオロオロと待っていると、
『大丈夫です! 夢と希望を詰め込めばどうとでもなりますから!』
なら理想を語る必要なかったんじゃ? 永遠はそう思わずにはいられなかった。
『こほん。林本様? と言うわけですので、そのスタッフでしたら、すぐにでも派遣できますがよろしいでしょうか?』
今までのやりとりでかなり消耗した永遠は、腑に落ちない様子で呆れたように大きく息を吐き出し、もし、ここで『はい』と答えたらどうなるのだろうと、その結果を想像する。
(金髪で青い目のお人形さんみたいな女の子……素直すぎて素直になれない?)
首を傾げて目を瞑り、眉間にシワ寄せ唸るように思案していると、
――わたしを呼んで――
永遠は目を見張った。それほどクリアな音声だった。頭の中なのか外なのか、出所の分からないトコロから聴こえてきたその声には今回、ノイズがほとんど含まれていない。よく透る澄んだ女の子の声だと判別できるほど鮮明だった。
その声を受けると、何故かストンと心に紹介された女の子の姿が自然に浮かび上がってきた。
永遠は自分でも何が起こったか分からないのに、会った事もない人の姿が漠然とした形で頭の中に存在することに気付いた。
まるで持って生まれた理想像であるかのように錯覚してしまうほど自然に浮かんで、そこに在ったのだ。
(これが、この子が僕の理想像? なんていうか、思ってたのと違うけど、こんな子と一緒にいられたら、すごく楽しいだろうな……)
「……会ってみたいな……」
そう呟くと同時に、永遠は座ったままストンと電源が切れたように気を失い、項垂れる。
時を同じくして、轟く爆発音が永遠の家の周囲を激しく揺さぶった。
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