第38話 オリエンテーリング②
「お、おい茜……! いったん止まれっ!」
「はぁ? 何でよ」
オリエンテーション開始の合図からまだ三分経過したばかり。奏斗は足場の悪い山道を余裕綽々と走り抜ける茜の隣に追い付き、制止を促す。
「ペースが速すぎて体力が持たん」
「の割には、随分と余裕そうな表情だけど? 息も上がってないじゃない」
「俺じゃない。後ろを見ろ」
あ……、と声を漏らした茜が後ろを振り返って立ち止まる。一番近くの通過地点へどこの班よりも早く辿り着くことに夢中になっていて、すっかり他二名の体力面を失念してしまっていたらしい。
「あ、綾川さん……は、速いよ……!」
「にゃはぁ……! 茜ぇ~、ちょっと休憩ぃ~!!」
茜のペースについて行くため呼吸も忘れて走っていたらしく、やっと足を止めることが出来た駿と真紀が肩で呼吸をする。そんな二人を見て、茜が申し訳なさそうに頬を掻いた。
「ご、ゴメン。つい張り切っちゃったわ……」
「ふえぇ……まぁ、茜の足の速さはもちろんだけど、それに普通に追い付いていった桐谷君もヤバいにゃ……」
そんな真紀の感想に、奏斗は肩を竦める。
「いやぁ~。本当のところ俺もかなり体力ギリギリだったんだよ」
「か、奏斗……汗一つかかずにそんなこと言われても説得力ないからね……?」
そう指摘して苦笑いを浮かべる駿。
実際駿の言う通り、奏斗は前世の記憶が戻った頃から、いつでも詩葉を守れるようにとトレーニングを欠かしたことはない。前世で一度同じようにトレーニングをして運動神経を鍛えた経験があるため、今世ではより効率的に鍛えられた。
そのため、現在の奏斗は前世より高い運動能力を誇っている。
「んまぁ、ともかく。意味のわからんペースでここまで来たお陰で、一つ目の通過地点まであとちょっとだ。もうどの班も追い付けないだろ」
普通に歩いて行けばオリエンテーリング成績一位は確定だ、と奏斗は確認のため茜から借りて広げていたこの山の地図を畳み、班長である茜に返す。
そして、このあとは普通のペースで通過地点を順番に巡っていき、そこで出される簡単なお題をクリアしていく。
スタートダッシュで他の班と大きく差を付けた。もうどの班も追い付きはしない。そのはずだったのだが――――
◇◆◇
「――男子遅いっ! 体力でウチらに負けてどうすんの!?」
詩葉の所属する二組の五人班。その先頭を走る一人の女子が叫んだ。
そう、この班は――というよりは詩葉の恋路を応援したい二人の女子限定だが――やる気満々だった。通るべきはずの通過地点を完全無視。とにかく奏斗の所属する班の先回りをすることだけを考えていた。
「ね、ねぇ……!? 別にそこまでしてくれなくても良いんだけどっ……!」
もはや体力などではなく、謎の気力によって限界を超えた力を振り絞って走る二人の女子に、詩葉は息を切らせながら呼び掛ける。しかし、二人は聞く耳を持たなかった。
「何言ってるの詩葉ちゃん!」
「愛しのカナ君がいる班には、他の女の子もいるんでしょ!? 早く合流しないと横からかっさらっていかれるよ!?」
「さ、流石にそんなことはないと思うけど……」
そう答えた詩葉だったが、内心否定しきれない部分もあった。脳裏に茜の姿が過る。
証拠はない。しかし、女の勘と言うやつか、ほぼ確信に近いものを持っていた。茜が奏斗に向ける思いは、友達のそれとは違う気がするのだ。
(た、確かに……こうして私とカナ君が気まずくなっちゃってる間に、他の人が手を出してくる可能性もあるよね……!)
よしっ、と気合いを入れ直した詩葉は、走りっぱなしで力が入らなくなってきた足に鞭を打つ。明日筋肉痛になるのは覚悟の上だ。
詩葉は後ろを振り返って、必死に女子の足についていく男子二人に申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ご、ごめんね二人とも……個人的なことに付き合わせちゃって……」
「えっ……」
「あぁ、いや……」
男子が戸惑いの表情を浮かべる。そんな二人に、詩葉は胸の前でぎゅっと拳を握って、可愛らしく小首を傾げた。浮かべるのは無自覚のとろけるような笑み。
「でも、お願い! 私のワガママだけど、付き合ってくれると、嬉しいな。えへへ……」
「「……っ!?」」
詩葉は再び前を向いて走り出す。そんな詩葉の背中を呆然と見詰めてから、男子二人は互いに顔を見合わせた。そして、フッとニヒルに浮かべる笑み。
「姫川さんにお願いされちゃ……」
「断れねぇよな……!」
美少女のお願い事は、あらゆることに優先される――思春期の男子ほど
二人は既に底を突きかけていた体力を気力で補い、既に結構距離を離されてしまった女子に追い付くべく、全力で山道を駆け抜けた。
◇◆◇
それは、奏斗らが四つ目の通過地点へ向かっている最中だった――――
「あっ、見付けたぁ~!!」
左手にある山の斜面の上から突如そんな女子の声が聞こえた。進んでいる道は違えど、まさか自分達に追い付く班がいるとは思っていなかった奏斗らは、少し驚きながらそちらへ視線を向ける。すると、先程の声の主に追い付く形で姿を見せたのは、詩葉だった。
「う、詩葉!?」
奏斗が思わず声をひっくり返らせながら驚くと、斜面の上ではぁはぁと不規則で荒い息を立てている詩葉が、疲れた笑みを浮かべた。
「あ、あはは……か、カナ君……き、奇遇だね……?」
「お、おう」
どうやって追い付いた?
やけに疲れてないか?
……等々、色々と突っ込みたい箇所はあるものの、奏斗は久々に面と向かって言葉を掛けられたことに少しドキッとする。
やはり、あの夜の日から目を合わせるのが気恥ずかしい。そして、それは詩葉も同じだった。
山の高低差を隔てて、二人の間に何を話して良いのかわからないといった感じのむず痒い沈黙が流れる。
斜面の上で、二人の女子がどこか楽しそうに笑みを浮かべながら詩葉に詰め寄る。
「ほら! 早く何か喋らないと!」
「折角愛しのカナ君と会えたんだよ!?」
「そ、そうは言っても、何を話したら良いのかわかんないよぉ……」
詩葉が顔を赤くしながら二人の方を向いて一歩後退る。すぐ後ろは山の急斜面。ここまでの道行きで足はフラフラ。
奏斗は嫌な予感がした。
「お、おい詩葉! 危ないぞ!」
「ん? 危ないって何、が……えっ?」
その瞬間、この場にいた皆が心胆から凍てつくような感覚を覚え、呼吸を止める。スッ、と音もなく詩葉の身体が傾いた――――
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