第14話 月下の吸血姫②
銃を下げつつも、少し離れたところから油断なく鋭い視線を射抜くように向けてくる茜。しかし、不意を突いて殺してきたりはしないはずだ……少なくとも、奏斗がこれから詩葉を落ち着かせられるのかを見届けるまでは。
奏斗は路地の壁に背を預けて力の入らない身体を地面に座らせながら、目の前の詩葉に視線を向ける。詩葉は激しい吸血衝動に抗って、何とか理性を保とうと、苦しそうに荒い呼吸をしていた。
「詩葉、ほら」
奏斗は身に付けていたシャツの襟元を広げて首筋を見せる。すると、詩葉が深紅に染まった瞳を一度大きく見広げて反応した。しかし、なぜかこの状況で我慢する。そして、苦しそうに表情を歪めながらも、どことなく恥じらいの色を見せた。
「か、カナ君……こ、ここじゃなきゃ、ダメ、かな……?」
「は?」
「だ、だって……誰が通り掛るか、わからないし……茜ちゃん、見てるし……」
「悪いがそんなこと言ってる場合じゃない。けどまぁ、安心しろ。こんな時間にこの路地通る人なんてまずいないし、茜は……」
奏斗が一度茜の方へ目をやるが、絶対目は離さないから――とでも言わんばかりに、茜は無言のままこちらを睨んでいた。奏斗は苦笑しながら詩葉に向く。
「……まぁ、アイツはいないものだと考えてくれ」
「で、でも、恥ずかしい……」
「……っ!?」
吸血衝動のせいで詩葉の身体は妙に火照っており顔も赤みを帯びている。胸高鳴らせている状況でないとわかっていても、変に上目遣いでそんなことを言われれば、奏斗の心臓は不覚にもドキッと大きく跳ねてしまった。
「や、やめろやめろっ。お前が恥ずかしがったら俺まで変に恥ずくなってくるだろ!」
「で、でもぉ……うっ……!?」
「ほら言わんこっちゃない!」
詩葉が胸を両手で押さえつけるようにして背を丸くする。吸血衝動に抗うのももう限界だ。奏斗はそれでも一歩を踏み出せずにいる詩葉の腰に手を回し、グッと自分の方に引き寄せる。いくら満身創痍で身体に力が入らないと言っても、華奢な少女一人を自分の方にもたれ掛からせる程度の力は残っていた。
「きゃっ。か、カナ君……!」
「良いから。茜だって別に誰かに言いふらしたりはしない」
「う、うぅ……」
奏斗の腕の中に納まりながら、詩葉は赤い相貌を半開きにして不満を訴えるが、奏斗は「ほら、早く」と襟の開いた自身の首元を曝け出す。詩葉は、男子にしては色白な奏斗の首筋を見詰めてしばらく唇をキュッと結んだままでいたが、遂にゆっくりと口を開く。そして、ゆっくりゆっくり、ことさらゆっくりに奏斗の胸に手を添え体重を預けながら、口を首元へと近付けていく。
「か、カナ君……私っ……!」
「もう我慢も限界だろ? ほら、いつもやってるんだから。一思いにガブッといけガブッと」
「うぅ……今度カナ君に、今の私の気持ちを教えてやるんだからぁ……!」
はいはい、と奏斗は適当に返事をして、詩葉が血を吸いやすいように少し頭を傾けて首を晒す。すると、数秒の間を置いて詩葉の柔らかくて熱を帯びた唇がまるでキスをするかのように触れた。そして、おおよその牙を立てる位置が決まった詩葉は、唇を開いて普段とは違う鋭く伸びた上の犬歯を奏斗の首の根元に突き立てた。
「……っ」
ピリッとした鋭く細い痛覚を感じた奏斗の眉が僅かに動く。しかし、詩葉に牙を立てられる感覚は不思議で、注射針より太いものを刺しているのにもかかわらず、痛みとしては注射とさして変わらない。それどころか、熱いのに冷たくて、鋭いのに柔らかい……そんな不思議としか表現のしようがない痛覚は、どこか甘美なものでさえある。
ゴクッ、ゴクッ……と、奏斗の首から伝う鮮血を一滴さえも溢すまいと、詩葉が必死に唇を動かして血を口内へと流し込み、喉を鳴らして飲み込む。奏斗は詩葉のどこか荒い吐息が肌に触れてくすぐったいのを我慢する。
「詩葉、吸い過ぎたら俺死ぬからな。ただでさえ既に血が結構出てるのに……」
奏斗は全身に刻まれた切り傷の痛みを感じながらそんなことを呟くと、詩葉は一度牙を抜いて口を離すと、舌なめずりをして「もうちょっとだけ」と一言だけ答えると、気持ちが乗って来たのか先程より少し激しく再び牙を立てる。
「んっ、ん……」
血を飲み込む際の喉が鳴らす音だけでなく、どこか気持ちよさそうな甘い声が漏れ始める。これもいつものことなので奏斗は慣れているが、チラリと茜の様子を窺ってみると、目のやり場に困りつつも目を離すわけにはいかないという葛藤を抱えているようで、気恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
(いつも最初はなかなか血を吸いたがらないくせに、一回吸い始めると勢いづいてくるんだよなぁ、詩葉……)
初めて詩葉がヴァンパイア化した中二の一月に血を吸わせたときは、まだ詩葉も加減がわからなくて危うく奏斗は失血死するところだった。
と、そんな懐かしい記憶を思い出しているうちにも、詩葉は奏斗にしなだれかかるように身体を擦り寄らせて、荒い呼吸と共に唇と喉を動かす。この際、薄着&密着のために、詩葉の発展途上の胸の膨らみの柔らかさや細い腰、しなやかな脚の感触がありありと伝わってしまうのは仕方のないこと……なのだが、生まれ変わったとはいえ現在思春期真っ盛りの健全な男子である奏斗には少々刺激が強い。
「な、なるべく早く頼む……」
――俺の理性が死ぬ。と、失血死より先にゴールを迎えそうな死因について奏斗が懸念すること数秒。詩葉が口を離して最後に奏斗の首をさりげにチロッと舐める。そして、「ふぅ……」と息を吐いて奏斗に向いた。
「えへへ、いっぱい飲んじゃった……」
「うぅん……」
そう言って照れ笑いを浮かべる詩葉に、奏斗は曖昧な笑みを浮かべて思わず言ってしまいそうになった言葉を飲み込む。が、様子を眺めていた茜が代わりとばかりに――――
「な、なんかやらしい……」
「おい、折角俺が言わなかったのに何ポロッと言っちゃってんだよ」
奏斗が半目を向けると、茜は「だって!」と弁明したそうにしていたが、今はもっと優先すべきことがあるので、コホンと一つ咳払いをしてから近付いてくる。
妙な動きをしたらすぐ奏斗を守る――と言わんばかりに詩葉が警戒の色を見せるが、その視線の先で茜は手に持っていたハンドガンをホルスターに仕舞い込む。
「はぁ、約束は約束だもの。それに、私だって出来ることなら殺したりなんてしたくないし……」
「茜……」
「茜ちゃん……」
「でも、勘違いしないでよ」
茜が腕を組んでそっぽを向く。
「仕事は仕事。今後万が一詩葉ちゃんが理性を失って人を襲うようなことがあったら、そのときは――」
「――大丈夫」
奏斗が茜の続く言葉を遮るように言い切る。
「詩葉には俺が付いてる。絶対に危険なことにはならない」
「ちょ、カナ君ってば……! うぅ……」
「え、何?」
赤らんだ顔を両手で覆って隠し、悶える詩葉に首を傾げる奏斗。そして、そんな奏斗をジト目で睨む茜が、呆れと恥じらいを交えたような表情を浮かべながら呟いた。
「あ、貴方……よくもまぁそんな殺し文句をサラッと……」
「ん?」
結局奏斗は二人が何に恥ずかしがっているのかわからないままだった――――
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