第13話 月下の吸血姫①

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 深閑とした夜道に、どこか苦しさを感じさせる荒い呼吸音が響く。音の元は奏斗だった。奏斗は路地の脇の壁に背を預けるようにして力なく座り込んでいる。身体の至る所――主に腕や脇といった上半身に切り傷が刻まれており、衣服の破れたところから広がるように血が滲んでいた。


「本当に、何なのよ貴方……!」


 愚痴を吐き捨てるようにそう言った茜は、道端に落としたままだったサイレンサー付きのハンドガンを拾い上げる。奏斗ほどではないが、茜の身体にも打撲や擦り傷などがみられる。


「けど、もうお終いね。一つ心残りがあるとすれば、ついぞ貴方が何者なのかわからなかったことだけど……悪いわね。私、仕事に私情は挟まない主義なの。さっさと貴方を始末して、そのあとで詩葉ちゃんも後を追わせてあげるわ」


 茜は一度コッキングしてハンドガンが壊れていないことを確認してから、右手に構えて銃口を項垂れる奏斗の頭部に向ける。


(やっべ、身体が動かねぇ……ってか、めっちゃいてぇ……)


 正直奏斗は自惚れていた。詩葉を守るために身体づくりを欠かしたことはないし、そこに前世で積んだ武道経験が合わされば、ここで茜を制圧することも出来るんじゃないかと思っていた。しかし、この有様だ。かつて画面越しに綴られていた綾瀬茜というGGのキャラクターは、実際対峙してみると想像していたよりも遥かに強かった。


 しかし、こうしてまともに時間稼ぎすら出来ず敗北した原因は、それだけではなかった。


 奏斗はもちろん詩葉が一番好きで、一番愛した、最推しのヒロインだ。では、他のヒロインには興味がないのかと言えば、答えはノーだ。GG――ガールズ・ガーデンの素晴らしいところは、どのヒロインにも考え抜かれたバックボーンが存在し、魅力的な人物に仕上がっていること。キャラクターに順位を付けるなら、奏斗の中で詩葉が一番だったというだけで、茜というキャラクターのことも、奏斗は充分過ぎるほどに好きだった。


(好きなキャラクターを本気で殴れるほど、サディスティックな性格してないんだよなぁ、俺……)


 奏斗は身体に残った僅かな力で顔を持ち上げて、自身に銃口を向けている茜の姿を見詰めた。


 炎を紡いで編んだかのような赤い髪と、切れ長の紫炎色の瞳。前世で画面越しに知っていた通り、いや、それ以上に何事に対しても真面目に向き合い、学園ではいつも誰かに頼られていた。流石は学級委員になるだけのことはある。非常に魅力的なキャラクターだ。


「……何、笑ってるのよ」


「ん?」


 怪訝に眉を顰める朱音にそう指摘されて、初めて奏斗は自分が笑っていたのだと自覚する。そして、もう笑っていたなら仕方がないと割り切り、奏斗はよりハッキリと口許を緩め、若干の公開と申し訳なさが混じったような曖昧な笑みを浮かべて言った。


「悪いな、茜。お前を止められなくて」


「……ッ!?」


 茜の瞳が大きく見開かれ、銃口が震えた。


「俺がここでお前に勝ってたら、俺や詩葉を殺さなくて済んだのに……」


 そう。茜は別に奏斗や詩葉を殺したくて殺すわけじゃない。仕事だから仕方なく殺すのだ。仕事に私情は挟まない主義と茜は言った。それは、私情をこの場に持ち出してしまったら、茜はいつまで経っても引き金が引けなくなってしまうからだ。感情を殺して、心を捨てて、国の害となる因子を屠る。それが例え、入学した学園で出来た大切な友達だったとしても。


 そして、奏斗はそのことを知っていた。だからこそ、この死に際で謝罪の言葉が出たのだ。そして、大きな後悔が胸に渦巻いていた。詩葉を死なせたくないし、茜に誰かを殺させたくないのなら、ここで茜を全力で止めるべきだったのだ。


 だから――――


「……ゴメンな」


「っ!?」


 茜は一杯の涙を湛えた両の瞳を辛そうに細め、同時、思い切って引き金を引いた。サイレンサーと亜音速弾というどこまでも奇襲暗殺に則った組み合わせによって押し殺された本当に僅かな銃声が響く。刹那という間に奏斗の眉間に風穴が――――


「――させないっ!!」


「「――ッ!?」」


 死を覚悟した奏斗も、殺しを覚悟した茜も、同様に驚愕した。二人の間をすり抜けるように、何かの残像が見えた。通り過ぎたものを半瞬遅れて目で追った奏斗と茜。その視線の先には、一人の少女が血の滴る左肩を押さえて佇んでいる姿があった。


 雲間から満ちた月が姿を見せ、月光が降り注ぐ――――


 月影に照らされた癖のないセミロングの髪は、まるで純銀を溶かし込んで紡いだかの如く美しく、自ら淡い光を放っているかのように幻想的だった。そして、雪を欺く白磁の肌と、鮮血を固めて作ったかのような深紅の瞳を持っていた。

 髪や瞳の色は異なるものの、紛れもなくその少女は姫川詩葉だ。


「詩――ヴァンパイア……ッ!!」


 茜は咄嗟に銃口を奏斗から詩葉の方へと向け直す。射線の先で、詩葉はゆっくりと左肩を押さえていた右手を離す。すると、人間ならざる圧倒的な治癒能力を持って、先程奏斗を庇って身に受けた弾痕が微かな蒸気を放ちながらみるみる塞がっていった。そして、瞬きする間に傷跡一つ残すことなく完全に元通り。

 詩葉は深紅の眼差しを真っ直ぐ茜に向けて口を開いた。


「茜ちゃん、カナ君は殺さないで。お願い」


「え、嘘……ヴァンパイアが理性を保ってる……!?」


 茜が片足を一歩後ろに引いた。奏斗はボロボロになった身体に活を入れ、壁に身体を擦りつけるようにして何とか立ち上がり、言う。


「言ったろ……詩葉は完全なヴァンパイアじゃないって……っと!?」


「――カナ君っ!」


 壁を支えにして立ってみたものの思ったより身体に力が入らず、バランスを崩してしまう奏斗。倒れ込みそうになったところを、人並外れた俊敏さで駆け寄ってきた――というよりは、飛んできたという表現が近い――詩葉が受け止めた。


「カナ君のバカっ……! 何でこんなに傷だらけになるまで……!」


「あはは……ってか、そういうお前こそ公園で待ってろって言ったろ。何で来たんだよ……」


「だって全然カナ君が来ないから心配で……っていうか私が来てなかったら今頃カナ君死んじゃってたんだからっ!」


 そんなの嫌だもん、と詩葉はムッとした表情を浮かべて奏斗を叱るように言った。これまで詩葉に怒られるなんてことがほとんどなかった奏斗は、思わず呆然としてしまった。そして、なんだか可笑しくなって思わずクスッと声を漏らす。


(まったく。俺が詩葉を守るはずが、逆に守られることになったな……)


 しかし、そんなとき奏斗の腕を掴んで支えていた詩葉の手にギュッと力が籠められる。そして、少し苦しそうな声を漏らす。


「詩葉おまっ――無理しやがって……!」


「え、えへへ……」


 今度は奏斗が詩葉を支える番だった。しかし、流石に傷を負った身体で人一人の体重を立って支えることは出来なかったので、その場にゆっくりと腰を下ろす。


(そうだ、既にヴァンパイア化した詩葉は今激しい吸血衝動を感じているはず。なのにコイツ、それを堪えながら俺を助けに……!)


「詩葉、しっかりしろ!」


「だいっ、じょうぶ……だよ……っ!」


 奏斗を心配させまいと必死に笑顔を作ろうとするも、そのぎこちない表情からは今も必死に吸血衝動に抗い何としてでも理性を保とうとしているのがわかる。そんな詩葉に、様子を窺っていた茜が銃口を向けた。しかし、それを奏斗が言葉で制する。


「待て茜!」


「待てないわ! 見てみなさいよ! 今にも理性が消し飛びそうになってるじゃない。このまま放っておくわけにはいかないわっ!」


「……賭けだ、茜」


「か、賭け……!?」


 奏斗はコクリと頷く。


「今から俺が詩葉を落ち着かせてみせる。もし成功したら誰も殺すな」


「……じゃあ、出来なかったら?」


「そのときは、お前の好きなようにしてもらっていい……」


 奏斗と茜は少しの間互いの目を見詰める。そして、茜はため息を一つ吐くと、銃を下ろした。


「わかったわ。少しだけ時間をあげる。でも、もしできなかったらそのときは――」


 茜は紫炎色の瞳を冷徹に細めて言い放った。


「――殺すわ」

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