第12話 満ちた月の下で②

「貴方となら、良い友達になれると思ってたんだけど――さようなら」


 茜が右手に携えたサイレンサー付きのハンドガンの銃口をピタリと制止させた次の瞬間、細い人差し指が引き金を引く。


「――ッ!?」


 奏斗は大きく目を見開き、反射的に詩葉の頭を抱えつつ身を屈める。すると、半瞬遅れてプゥウウンッ! と空気を突き抜ける音と共に、一筋の弾道が先程まで奏斗の頭があった場所を通過する。生きた心地がしなかった奏斗は、気付けばぐっしょりと冷や汗で身体を濡らしていた。


「か、カナ君……一体何が……!?」


「詩葉逃げるぞっ!」


「きゃっ!?」


 奏斗は許可を取る余裕もなく詩葉の背中と膝の裏に腕を回すと、そのまま横抱きに抱え上げて、躓きそうになりながらも全力でダッシュする。途中二、三発ほど耳の横を弾丸が通過したが、身体に命中しなかったのはシナリオでそう決まっていたから――などとは考えられないほどに緊迫した状況だった。たまたま奏斗がよろめいたのが一つの要因と、あとはもう運としか言いようがなかった。


 奏斗は十字路を曲がり茜からの射線を切る。背後から茜が追ってきているのを感じながら走る。すぐ茜に追いつかれないのは、茜が奏斗と詩葉が疲れるのを待ってから仕留めるつもりだからだろう。


(このまま逃げててもジリ貧だな……!)


 GGであれば、このまま逃げ続けた先の展開で生存ルートもある。しかし、これまで奏斗は何度もこの世界でシナリオ通りにいかなかったことを経験している。特に詩葉に関係するシナリオは、GGから大きく外れてしまっている印象だ。ゆえに、ここで茜から逃げ続けても生き残れる確証は得られない。


(シナリオに頼りたいところだが、ここは俺に出来ることをするしかないかっ……!)


 奏斗は次の曲がり角を曲がったところで詩葉を下ろして地面に立たせる。詩葉は状況が呑み込めておらず、戸惑いの色を浮かべていた。


「詩葉、ここからは一人で公園に行っててくれ」


「ね、ねぇ、カナ君……! どういうことなのっ?」


「悪い。事情を説明してる暇はない。あとで俺も必ず行くから、な?」


 奏斗はこの場で精一杯詩葉を安心させるように、ポンと優しく頭に手を乗せた。詩葉は色々と聞きたそうな視線を向けてきていたが、それら全てを飲み込んで「わかった……」と頷く。

 詩葉の体調ももうかなり限界に近いところまで来ている。歩くのがやっとだろう。


「その代わり、絶対来てね……?」


「もちろん」


 奏斗の言葉を聞いた詩葉は、ゆっくりとした足取りで一人公園のある方へと向かって歩いていく。奏斗はそんな詩葉の背中を見やったあと、ポケットからスマホを取り出して時刻を確認する。現在、午後十一時五十五分。


(タイムリミットの午前零時まであと五分……時間は掛けてられない)


 奏斗は精神と呼吸を整えるように曲がり角の傍で身を隠すようにして立つ。夜の静けさの中聞こえるのは、自分の早い鼓動の音と、一定のペースで近付いてくる茜の足音だ。


(まだだ、まだだっ、まだだッ……!)


 茜の足音がどんどん近付いて聞こえるにつれて、奏斗の鼓動も指数関数的に早まっていく。そして、衝動的にさっさと飛び出してしまいたくなるのを必死に堪える。


 そして――――


(今だ――ッ!!)


 奏斗は強張る身体に鞭打って、素早く曲がり角から飛び出す。すると、案の定目の前には茜の姿があり、まさか自分が奇襲を受けるとは思ってもいなかった茜は驚き顔を浮かべていた。その隙に、奏斗は左手を動かして茜の右手に携えられていたハンドガンを払い落すと、すかさず右フックを茜のこめかみ目掛けて放つ。


「ふっ――!!」


 しかし、すぐに平静を取り戻した茜は奏斗の右拳を頭を潜らせるようにして躱すと、カウンターとして右膝蹴りを繰り出す。奏斗は咄嗟に身を引いて寸前のところで回避した。そして、互いに近接戦闘の間合いを保って身構え、仕切り直しとなる。


「まさか、そっちから仕掛けてくるなんてね」


「意表を突けたなら作戦成功……って言いたいところだけど、今ので決着を付けられなかったからそうとも言えないな」


「そんなことないわ。正直危なかった……貴方本当に何者なの?」


「別に俺は何者でもないモブ以下だ。けど、俺はお前のことを知ってるぞ? 政府直轄、異能対策秘匿部隊所属の、綾瀬茜」


 茜は僅かに眉をピクリと動かし、スッと目を細めた。そして、普段より半音下がった硬質な声で言う。


「どこで私の正体を知ったのか知らないけど……なら、私の目的もわかってるんでしょう?」


「ああ、もちろん。詩葉を殺しに来たんだろ? けど、それを聞いて俺が『そうだったんですか。はいどうぞ』とでも言うと思うか?」


「奏斗、わかってるの!? 詩葉ちゃんは、彼女は――」


「――吸血鬼ヴァンパイアだろ? それがどうした」


「それがどうしたって、貴方……! ヴァンパイアは人を殺すのよ!? 文字通り血を吸って、自身の糧とする。そんなのを野放しにしておくわけにはいかないわ!」


「詩葉は完全なヴァンパイアじゃない。月に一度、満月の夜にだけヴァンパイア化するだけだ。それも、少し血を吸ったら吸血衝動は収まって、落ち着きを取り戻す」


「な、何の根拠があってそんなことを……!」


「俺が知ってるんだよ。詩葉のことなら何でも知ってる。物心ついたときから一緒に過ごしてきた幼馴染だ」


 加えて、前世での最推しヒロイン。何度も詩葉ルートを周回しては、その度に胸を弾ませていた。詩葉を詩葉たらしめる情報は、全て頭の中に入っている。


「それに、別に今回が初めてってワケじゃない。詩葉が最初にヴァンパイア化したのは中学二年の一月だ。それから毎月満月の夜に、俺はアイツに血を捧げてる」


 奏斗は左手で自分の首の付け根に触れる。


「だから、今回だって俺に任せてくれればいいんだ。詩葉を殺す理由なんてどこにもない」


 自分に出来る限りの説得を、奏斗はしてみせた。いくら前世で武道を叩き込まれたとは言っても、茜は殺しのプロだ。専門は暗殺で直接戦闘ではないにしろ、当然一般人とは比較にならない戦闘技術を持っている。出来ることなら戦わず、穏便に済ませたい。


 しかし…………


「……で、貴方の言葉が真実である証拠は?」


「……」


「ない……当然よね。もしその言葉が本当に真実なんだとしても、それを証明する方法なんてない。けど、私は証拠を見ない限り納得は出来ない……」


 茜は太腿に巻いていたベルトから右手で素早くナイフを取り出すと、何度かクルクルと弄んだあと、逆手に持って構える。銀色の刃が、月光を浴びて怪しく光る。


「そこを退いて、奏斗。じゃないと貴方も殺すわ」


「……すまん。それは出来ない」


 一呼吸の間を置いて、奏斗と茜が足を踏み出すのは同時だった――――

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