第24話 姉妹の本心①

 紅葉は語った。姉である桜花は、昔から自分の目標であったことを――――


 日々勉強を怠らず何事にも真面目に取り組む桜花は、生まれつき賢いのもあって小学校でも中学校でも周りから一目置かれる存在だった。そんな姉の姿が紅葉にとって憧れの対象になるのは自然なこと。紅葉はいつか姉のようになりたいと思いながら勉強も運動も、自分磨きとなりえるものは何でも欠かさず行った。


 しかし、そんな目標であり憧れの対象は、中学生のときに消え失せた。


 一体何があったのか、あれほど真面目だった桜花はよく学校を早退するようになり、次第に休む日も増え、終いには夜一人で外に出て行くようにもなってしまった。桜花は変わってしまったのだ。真面目で真剣に、そして常に正しくあれる人間を目指してきた紅葉が最も忌避する存在へと。不真面目で自堕落で自己の欲求のままに好き勝手する不良へと。


「私は、裏切られた気がしたんです。あんな背中を見せて追い掛けさせておいて……無責任にフッとどこかへと消えていった。私はそんな姉さんが許せなかった……」


 そう語る紅葉は、怒りと言うよりかは寂しさに近い表情を浮かべていた。奏斗はブレンドコーヒーの入ったカップを口から離し、一呼吸置いてから言う。


「……気付いてると思うけど、それは――」


「――わかってます! 全部私が勝手です。勝手に憧れて勝手に目標にしておいて、勝手に失望して……八つ当たりだってことは、私が一番わかってるんですっ! でもっ、でも理屈じゃどうにもできない……!」


 これまで冷静を貫いていた紅葉だが、一度口から零れ出た本音は止まることを知らず、今まで心の奥底に押し込んで閉じ込めていた感情が溢れ出す。


「私はっ、昔の姉さんのままでいて欲しかった! 変わらず私の前を歩いていて欲しかった! 全部私のわがままだなんてことはわかってるけど、それでもっ、それでも私は……!」


 そこから先は言語化不可能な感情なのだろう。紅葉はそれ以上気持ちを語ることはなかったが、その表情は険しかった。歯は強く噛み締められ、眉間にしわが寄っている。奏斗はそんな紅葉の姿をしばらく見詰めたあと、短くため息を溢し机の端に裏向きで置いてあったスマホをひっくり返す。


 そして――――


「こういうワケです、先輩」


「えっ……?」


 突然奏斗がこの場にはいないはずの桜花――紅葉の姉へ呼び掛けるので、紅葉は思わず声を漏らす。そして、その視線を奏斗のスマホへ向けてみれば、画面には通話中の表示があった。通話相手は…………


「ね、姉さん……!?」


「すまん、最初から通話を繋げさせてもらってた」


 奏斗は桜花と紅葉の姉妹仲を取り戻そうと決めたときに、桜花と連絡先の交換を行っていた。そして、今日このカフェに来る途中でこっそりと桜花にメッセージを送っておき、いつでも通話を繋げられるよう待機していてもらったのだ。そして、紅葉が話し始めるときに通話を繋ぎ、その話を桜花にも聞いてもらっていたのだ。


 もし二人に関して何の情報もないままこの手段を取ったらかなりリスキーだ。紅葉の語る内容が桜花を傷付けるものだとしたら、それを電話越しとはいえ直接紅葉に言われたら桜花はもう立ち直れなくなってしまうかもしれない。


 しかし、奏斗は知っていた。桜花と紅葉はすれ違ってしまっただけで本当は互いを心の底から思い合う仲良しな姉妹なのだと。二人が今のような希薄な関係になってしまったのは互いが本音を隠すから。であれば、その原因を根本から消し去ってしまえばいい。


「紅葉は別に本気で先輩を嫌っていたわけじゃないって、これでわかりましたか? 今度は先輩の番ですよ。きちんと自分の口から伝えてあげてください」


 奏斗がスマホに向かってそう言うと、数秒の間を置いて桜花の戸惑いに揺れる声がスピーカーから聞こえた。


『そ、そやけど……信じてもらえへんかも……』


「大丈夫です、先輩」


『え?』


「話せばきっと伝わるだなんて綺麗ごとは言いません。でも、話さなければ何も伝わらないのは事実です。信じてもらえるかどうかは、先輩次第ですよ」


 それに――と、奏斗は桜花を勇気づけるように笑って言う。表情は見えなくとも、声にその気持ちは乗った。


「俺が大丈夫って言ってるんです。先輩ならわかるでしょ、この意味が」


『……ふふっ、そうやったな。ウチは悪魔に魂売ってもうたんやったわ。わかった、ほな話してみるわ』


「じゃあ、通話越しじゃあれなんで合流しましょう。先輩今どこですか?」


『家にいんで』


「家って……」


 GGのシナリオで詳しく桜花と紅葉の家がどこにあるかは描かれていないため、奏斗は自分のわかる場所で待ち合わせした方が良いかとも思いながら、対面にいる紅葉に視線を向けると、紅葉が奏斗の思ってることを察して答える。


「ここからそう遠くないので、私達が行きましょう」


「わかった。――ってワケだから先輩、家にいてくれ」


『わかった』


 了解の意思を聞いた奏斗はスマホの画面をタップし通話を終了する。そして、ふぅと一つ息を吐いてからスマホをカバンに仕舞い込み立ち上がる。


「じゃ、行くか」


「あ、待ってください先輩。その前に――」


「ん? って――ぃっててててて、痛い痛い! 何だよ!?」


 奏斗は紅葉に横腹を思い切り抓られて、少し涙目になる。紅葉はそんな奏斗に細めた目を向けながら不満を言い放った。


「私との話を姉さんに聞かせるとか何してくれちゃってるんですか! 先輩は馬鹿なんですか!? アホなんですか!? 死にたいんですか!?」


「ご、ゴメンって! もうしませんっ、もうしないから抓らないでぇえええっ! めっちゃ痛いですからっ!!」


 紅葉は最後に一度力一杯抓ってから手を離した。解放された奏斗は未だジンジンと痛む場所を手で擦る。そして、そんなだらしない奏斗の姿を見て思わずため息を溢しながら、紅葉は自分の荷物を取って背を向ける。


「……でも、ありがとうございます」


「え?」


「やり方はともかく……先輩がいなかったら、こうして姉さんと面と向かって話す機会なんてなかったでしょうし、感謝してます」


 紅葉からの感謝の言葉に、奏斗は一瞬目を丸くした。

 もちろんGGのシナリオのこのタイミングで、紅葉が感謝の台詞を言うのはわかっていた。しかし、知識として知っていた台詞ではなく、短い時間ではあるがこうして実際に関わりを持った紅葉に言われた言葉は、ただの画面上に映し出される文字の羅列とは比較にならない程の情報量を宿していた。その正体は、やはり感情だろうか。


 奏斗は口許を緩めて答えた。


「まだお礼を言うのは早いぞ。ちゃんと桜花先輩と本音で話し合って、仲直りしてから聞かせてくれ」


「……ええ、そうですね」


 二人はそう言って一度顔を見合わせて微笑むと、カフェをあとにした――――

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