第35話 ハッピーエンド計画に終止符を!

「えっと、その……ありがと。詩葉……」


 奏斗はしばらく詩葉の胸で声を押し殺すようにして涙を流したあと、少し腫れた目元を隠して、恥ずかしさ混じりにお礼を言う。すると、詩葉も奏斗の態度に気恥ずかしさを感じて照れたような笑みを浮かべながら頬を指で掻いた。


「えへへ……これくらいならお安い御用だよぉ~」


「な、何か嬉しそうだな詩葉……」


 奏斗としてはこれまで自分のやって来たことを洗いざらい吐き出して、むしろ嫌われる覚悟でいたというのに、詩葉は一切そんな素振りを見せない。それどころか、ニヤニヤと嬉しさを滲ませた表情を浮かべている。


 そんな詩葉の様子を不思議に思った奏斗が、ジト目を向けながら指摘すると、詩葉が「やっぱりバレちゃった?」と悪戯っ子のようにクスッと笑う。


「何か、初めてカナ君の弱みを見られた感じがして、ちょっと嬉しいんだぁ~」


「まさかお前に、人の弱みを握って喜ぶ趣味があるとは思わなかった……!」


「ち、違うよぉ~!」


 ポフッ、と言う効果音が似合いそうなほど力の籠っていない詩葉のパンチが、奏斗の二の腕に当たる。そして、詩葉がジワリと顔を赤らめていきながら、恥じらい混じりに呟いた。


「カナ君のことなら何でも知りたい、から……それが弱いところでも、知れて嬉しいの……」


 そんな言葉に、奏斗の顔も詩葉に負けず劣らず紅潮した。そして、改めて詩葉の可愛さに心打たれると共に、今まで押し殺して考えないようにしてきた自分自身の素直な気持ちを自覚する。


(可愛すぎてっ……ホント好き……!)


 今までだって詩葉のことは好きだった。素直になれば、そんな詩葉を他の誰かに渡すなんてことは嫌だった。しかし、奏斗にとっては詩葉の幸せが最優先で、ゲーム通りに駿とくっ付けようとしていた。

 だが、今ではもうそんなことをする必要はない。つまり、奏斗は自分の素直な気持ちに従って、詩葉に想いを伝えることも出来るわけで…………


(もし俺が『好きだ』って言ったら……コイツは、何て答えるんだろう……)


 いつの間にか、奏斗は無意識で詩葉の顔を覗き込むように自分の顔を近付けていた。互いの吐息すら感じられる距離で、詩葉の愛嬌ある灰色の瞳が不思議そうに瞬いた。


「か、カナ君っ……!?」


「……あっ。いや、ごめん。な、何でもない」


 詩葉の戸惑いと焦りが混ざったような声に、奏斗はハッと我に返り、自分の顔が詩葉の顔の目と鼻のすぐ先にまで近付いていたことに気付く。そして、慌てて距離を取り、顔を背け、気持ちを整えるように一つ咳払いする。


 そんな奏斗の隣で、詩葉が横に垂れる髪を指で巻き取りながら言った。


「あ、あはは。ビックリしたよカナ君。き、キスされるのかと思っちゃった……」


「もし、しようとしてたら……お前はどうした……?」


 奏斗は未だ顔を背けたまま、高鳴る鼓動につられるようにそう尋ねた。すると、詩葉もまさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったようで、「えっ?」と小さく声を漏らした。

 二人きりの部屋に、妙に気恥ずかしい沈黙が流れる。あと二、三秒ほど我慢できていたら、詩葉が口を開いたかもしれないというタイミングで、奏斗が曖昧に笑いながら腰を上げた。


「あはは、冗談だって」


「えっ、あ、うん! そ、そうだよね!? 冗談っ、冗談……ね!」


「ってか、もうこんな時間か。俺そろそろ帰るわ。流石に母さんが心配するだろうし」


「う、うん。その……毎月のことながら、ありがとねカナ君」


「いや、今回は俺の方が助けられたから……ありがとう。詩葉」


「えへへ……」


 このあと、奏斗は玄関まで詩葉に見送られて帰宅したが、しばらく胸の鼓動は収まることがなかった。また、それは詩葉も同様で、玄関の扉を閉めるなり、その場に膝から力が抜けたように崩れ落ちる。そして、火照った顔でどこへともなく視線を投げながら小さく呟いた。


「『今日は泊まっていったら?』って、言えば良かったかな……? うぅ、私の意気地無しぃ……!」



◇◆◇



 数日が経過し、何度か奏斗の家で勉強会をしてから中間テストを迎えた。その間特に奏斗と詩葉の関係性に進展があるわけでもなく――というよりむしろ、あの日の夜の出来事があったために、互いに恥ずかしさを感じてしまってまともに目を合わせられずにいた。


 そんな状況の中で、中間テスト結果が発表された今日、騒ぎが起きた――――


「桐谷君凄くないっ!? 学年順位一位だよ!?」

「桐谷君って頭良かったんだ!」

「おめでとう桐谷君! な、何かカッコいい……!」

「おいすげぇな桐谷ぃ~! 俺に勉強教えてくれよ!」


 ……等々。休み時間になるなり、奏斗の席を囲うようにクラスメイトが集まってきた。その中には、数人ではあるが奏斗に熱を帯びた視線を向ける女子も見られた。


 そして、そんな人集りの真ん中で困り顔を浮かべる奏斗を遠巻きに眺めているのが、茜と駿、隣のクラスから騒ぎを聞き付けてやって来た詩葉だ。


「アイツ……やっと本性現したわね……!」


 前々からただ者じゃないって確信してたのよ! と言う茜に、駿が曖昧な笑みを浮かべていた。


「あはは……それは流石に大袈裟だけど、確かに今までそこまで勉強できるようには見えなかったよね。手を抜いてたってことかな?」


 そこのところどうなの? と駿が詩葉に視線を向けると、既に詩葉はまともに受け答えが出来るような精神状態ではなかった。完全に、スイッチが入っていた。

 ハイライトの消えた瞳で、奏斗に群がる生徒らを見ている。


「そうだよ。カナ君は昔から凄いんだから。でも何? 今までカナ君に見向きもしてなかった女の子まで目をキラキラさせちゃって、それって失礼じゃない? というかカナ君の魅力って勉強が出来るだけじゃないから。そんなことも知らずにカナ君に群がるなんて許せないよ……って、あはは! ダメだよね私がこんなこと言っちゃ。そうだよ、カナ君に友達が出来るのは良いことなんだから我慢しなくっちゃ。そう、友達が出来るのは我慢するの。はね?」


 えへへ……とどこか心胆から凍てつかせるような詩葉の歪な笑みを見た茜と駿が、互いに顔を見合わせて、こりゃダメだと首を横に振る。


「まぁともかく、次は負けないわよ奏斗……!」


「そう言えば綾川さんは学年二位だったね。充分凄いと思うけど……?」


「ダメよ。たとえ良い成績でも一位と二位では二位の負け。勝者が生きて敗者は死ぬ……それが勝負よ!」


「な、何か良くわからないけど……どうしてか他の人が言うより言葉の重みが違うね……?」


 君こそ何者なんだよ、と心の中で苦笑いを浮かべる駿。茜は奏斗に対抗心の炎を灯した視線を向け、詩葉は相変わらず一人ブツブツと呪詛を呟いていた。


 そんな三人へ、奏斗は人に囲まれながら、


(いや、見てないで助けて欲しいんですけど……!?)


 と、思っていたが、誰一人としてそんな視線には気付いていないようだった。

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