第42話 縁結びの炎③

「えっ……カナ、君……?」


 照明は点けられておらず、部屋は薄暗さで満たされている。唯一の光源は詩葉の傍にある窓で、運動場を照らすライトと、そこで赤々と燃えるキャンプファイアーの輝きが、微かにこの一室の中に入り込んできていた。


「って、カナ君ここ女子寮だよっ!?」


「し、しぃ~!! 騒ぐなバレるだろ……!」


 奏斗は慌てて口の前で人差し指を立てる。


「お前が運動場にいないから探しに来たんだろうが……」


「え、私を探しに……?」


 運動場には一年生のほぼ全員が集まっている。前もって集合場所を決めておくならともかく、そんな大勢の中からたった一人を探すというのは困難だ。


 しかし、奏斗は大勢の中で詩葉を探し回り、いないことに気付いてここまで来た。


 詩葉はそのことがどうしようもなく嬉しかった。


「にしても、この部屋からもしっかりキャンプファイアー見れるんだな」


 奏斗はちょっと気恥しそうに頬を指で掻きながら、詩葉の傍までやって来る。そして、隣に立って窓の外に窺えるキャンプファイアーの明かりへと視線を落とした。


「なぁ、詩葉。このキャンプファイアーの噂知ってるか?」


「えっと、このキャンプファイアーを二人きりで眺めた男女は結ばれるっていうやつ?」


 そうそれ、と奏斗がどこか呆れたように笑いながら頷く。


「正直、まぁこの手のイベントにはこういう噂が付いてくるよなぁ~って感じで、信憑性はどこにもないんだけどな」


「んもぅ~、カナ君はすぐそういうこと言うんだからぁ……」


 奏斗の隣に並んで、一緒に窓からキャンプファイアーを見詰める詩葉が、僅かに目を細めた。


「でも、良い切っ掛けにはなると思ったな」


「切っ掛け?」


「ああ。多分こんな迷信、俺は信じてないんだと思う。でも、信じてるフリでもしとかないと、怖くてなんも言えそうにないわ。ははは……」


 奏斗が見せる弱気な笑みが珍しくて、詩葉は目を丸くする。


 窓の外の景色を横目に向かい合う二人。互いに口を開くことはなく、静寂が部屋に立ち込める。妙な緊張感が二人の鼓動を加速させていった。


「う、詩葉……」


「な、何……?」


「前に話した通り、俺には前世の記憶があって、この世界のことを――詩葉のことをこうして直接会う前から知ってた。それがゲームの中の話であっても、姫川詩葉っていうヒロインは俺の最推しのキャラクターだった」


 奏斗は前世の記憶を覗き見る。


 親に敷かれたレールの上を歩むだけの息苦しい人生。完璧であることを強要されたその生涯の中で、唯一とも呼べる楽しみがガールズ・ガーデンだった。


 ヒロインと同じ数だけの物語があり、感動があった。中でも奏斗は詩葉の物語に心惹かれて、もう何周したかは数え切れない。


「でも、この世界に転生してそれが変わっていった。画面越しじゃない……詩葉の幼馴染として隣に立って一緒に過ごしてきた時間の分だけ、俺の中でどんどん詩葉の存在が大きなものになっていった。最推しのヒロインだった詩葉は、今では俺の――」


 奏斗はここで最大の勇気を振り絞るんだというようにギュッと固く拳を握った。


「一番好きな女の子だ」


「……っ!?」


 奏斗の言葉に、詩葉の瞳が大きく見開かれた。窓の外から入ってくる明かりを灰色の虹彩がキラリと反射し、薄桜色の唇がキュッと結ばれる。色の白い顔は花が咲いたように色付き、耳の先まで赤く染まっていた。


「だ、だからっ……これからもずっと俺の傍にいて欲しい。ずっと俺を隣にいさせて欲しい! 一度はやり方を間違えたけど……今度は俺自身の手で、詩葉を幸せにしたい……!」


「か、カナ君……」


 詩葉は表情を柔らかくして、奏斗が身体の横で固く握り締めている拳に優しく手で触れた。


「詩葉……?」


「カナ君はやっぱり凄いね……」


 詩葉の体温が徐々に奏斗の拳をほどいていく。そして、開かれたその手を詩葉がそっと握った。


(カナ君は昔から凄かった……でも、何でも出来るわけじゃない。今こうして気持ちを伝えてくれてるのだって、物凄く怖くて、それを乗り越える勇気が必要……)


 その証拠に、開かれた奏斗の掌には、固く握り締めていた痕跡として爪の型が残っていた。


 そして何より、気持ちを伝えることが――『好き』とたった一言言うことがどれだけ怖いことかを、詩葉は知っている。


 そうでなければ、今こうして部屋に閉じ籠っていない。


(でも、カナ君がこうして来てくれた……私のことを『好き』って言ってくれた……! なら、私もちゃんと応えなきゃ!)


 詩葉は奏斗の掌から視線を上げて、顔を見る。


「実はね、私もカナ君に伝えたいことがあったんだけど、どうしても勇気が出なくて、怖くて、いっそのこと何も伝えない方が良いんじゃないかとか……色々考えて……」


 でもっ! と自分を奮起させるように詩葉が声を大きくした。


「カナ君がこうして来てくれた。私が困ってるとき、カナ君はいつも助けてくれる。だから、カナ君の傍にいると自然と勇気が湧いてくるんだ。何でも出来る気がしてくるの……」


 詩葉が奏斗の手を握る力を少し強くした。まるで、その手を介して勇気を貰うかのように。


(うん……怖くない。カナ君の隣に立つ私は――無敵だっ!)


「私も……カナ君のことが好きです。大好き。ずっと前から……」


 とんっ、と詩葉は額を奏斗の胸に当てる。


「もっと私の気持ちに早く気付いて欲しかったんだけどぉ……」


「あ、あはは……すまん……」


 自分の胸の辺りから聞こえてくる不満の声に、奏斗は苦笑いを浮かべる。


「……で? それだけ……?」


「え?」


「皆は運動場にいて、ここには誰もいないよ。誰も見てない、二人きり……」


 どこか熱を帯びたような詩葉の瞳が、奏斗を見上げる。瞬間、奏斗の心臓が一際大きく跳ねた。


 そして、詩葉が奏斗の方へ顔を持ち上げたままゆっくりと目蓋のカーテンを閉じる。


 その意図を察せられない奏斗ではない。


 奏斗はゴクリと喉を鳴らしてから、覚悟を決めて、詩葉の顔に自分の顔を近付けていく。


 そして、僅かに尖らされた薄桜色の唇に、自分の唇を優しく重ね――――


「ん……」


 触れた瞬間、詩葉の睫毛が踊った。


 同時に、今にも溶け出しそうなほどに柔らかな感触に、奏斗の鼓動は最高潮に達する。


 窓の外にキャンプファイアーを構えた薄暗い部屋の中で灯った、恋の炎。


 このあと、しばらく二人は並んで立って、この部屋の窓から、運動場で赤々と燃えるキャンプファイヤーを見詰めていた――――

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