第09話 シナリオとのズレ②

(昨日は失敗したが、今日こそは主人公を詩葉ルートに入れて見せるっ!)


 授業間の短い休み時間。奏斗は男子トイレで手を洗いながら、正面の大きな鏡に映る自分の姿に向けて、自分に気合を入れるように心の中で言う。そして、ポケットからハンカチを取り出し、濡れた手を拭きながら出ると――――


「あ、カナ君」


 奏斗が男子トイレを出るのと同時に、出入り口が隣の女子トイレから詩葉が姿を現す。奏斗は少し驚いたが、まぁそういうこともあるかと納得する。


「おう、詩葉か。お前もトイレ?」


「ちょっ、女の子にそんな話題振るのはどうかと思うっ!」


 詩葉は微かに顔を赤くして苦言を呈するが、奏斗はよくわかってなさそうに頭上に疑問符を浮かべながら首を傾げた。そして、奏斗が自教室に向かって歩くのに合わせて、自然と詩葉も隣に並んで歩きだす。しかし、二組の教室を通り過ぎても詩葉が付いてくるので、奏斗は思わず立ち止まって言う。


「おい、お前のクラスここだろ」


「う、うん。そうなんだけど……」


 詩葉はスカートの上で両手の指を絡めながら、微かに頬を赤らめて奏斗に上目を向ける。


「もうちょっと休み時間あるし、カナ君と一緒にいようかなぁ~って……」


「すぅ~……」


 奏斗は細く、そして長く空気を吸い込みながら、廊下の窓から窺える外の景色へと視線をやる。「カナ君?」と小首を傾げてくる詩葉を横目に、奏斗は表向き何てことなさそうにフッとニヒルな笑みを浮かべながら、心の中で――――


(くっそ可愛いぃぃいいいいいいいッ!!)


 前世の記憶が戻ってから一体何度こうして心の中で尊さを叫んだことか。奏斗は三桁に入ったところからすでにカウントするのを諦めていた。

 奏斗が独自の呼吸法で荒ぶりつつあった心を落ち着かせていると、一組教室の前の方の扉が開かれっぱなしで、廊下から中の様子が見えることに気が付く。そして、今まさにGGの主人公である駿が教室の後ろの扉から出て行こうとしていた。


(――ここだッ!)


 奏斗の頭の中でありとあらゆるシナプスがバチィッ! と結合した。そして、ほぼ本能的とも反射的とも取れる速度で弾き出した答えを叫ぶ。


「詩葉! 走れッ!!」


「えっ!? ど、どうしたの急に!?」


 ビシッと前方に人差し指を向けながら叫ぶ奏斗に戸惑いを隠せない詩葉。しかし、奏斗は「いいから行け!」と理由などどうでもいいと言わんばかりに、詩葉の背中を押し出す。


「う、うん。まぁ良いけど……」


 なぜ急にそんなことを言い出したのか意味不明だが、奏斗がそう言うならと詩葉は戸惑いの色を隠せないままに小走りし出す。廊下を進む詩葉。そして、教室の後ろの扉から出て行こうとする駿。そのタイミングは、まるで運命で決定されていたかのようにピッタリ重なった。


 ドン、とそこまで強くはないが、それでもしっかりと身体をぶつけ合う詩葉と駿。


「きゃっ……!?」

「うおっと!?」


 ぶつかった衝撃で数歩後ろに後退る詩葉と、突然のことに驚く駿。二人がしっかり衝突したことを確認した奏斗は、すかさず教室に滑り込むように入り、姿を隠す。そして、教室の中から二人の会話が聞こえる位置にまで移動する。


「だ、大丈夫……? って、あ」


「ごめんなさい……って、あ」


 ぶつかった二人の目と目が合う。互いの姿を確認したところで、共に昨日の中庭での出来事を思い出した。


「ああ、昨日の……えっと……」


 誰だか思い出したは良いものの、駿は詩葉の名前がわからず言葉を間延びさせてしまう。すると、詩葉も昨日自分が名乗っていなかったことを思い出し、慌てて自己紹介する。


「あっ、姫川です。姫川詩葉」


「僕は神代駿。ぶつかってゴメン。怪我しなかった?」


「うん、全然大丈夫だよぉ。こっちこそゴメンね……んもぅ、カナ君が走れなんて言うから~! って、あれ? カナ君?」


 この状況の元凶である奏斗に文句の一つでも言ってやろうと詩葉が後ろに振り返るが、奏斗の姿はどこにもない。当然戸惑う詩葉。教室の中から密かにこの状況を窺っていた奏斗は、心の中でそっと謝っておく。


「どうかした?」


「え? あぁ、いや……さっきまで一緒にいたんだけど……」


「もしかして、昨日待ってたのと同じ人?」


「あ、うん。そうだよ」


 仲良いんだね、と駿が言うと、詩葉がどこか得意げに鼻を高くして「幼馴染だからねっ」と答える。


「昨日はあのあのあとちゃんとその幼馴染と一緒に帰れた?」


「うん、一応……けど、文句は一杯言ってやったけどね。えっと、神代君も昨日は誘ってくれてありがとね……」


 断ってしまった若干の申し訳なさから、詩葉は曖昧な笑みを浮かべながら礼を言う。すると、駿は気にしなくていいとでも言うかのように首を横に振る。


「いや、あんなことがあって一人で帰らせるのが少し心配だっただけだから。ちゃんとその幼馴染と一緒に帰れたなら良かったよ」


「うん」


 ――と、そんな二人の会話に聞き耳を立てていた奏斗は怪訝に眉を顰めていた。


(どういうことだ? 駿はちゃんと詩葉を帰りに誘っていた? つまり、きちんと詩葉ルートへの選択肢を選べていたってことだ。なら、何で詩葉は中庭に残ってたんだ……? シナリオだったらあのまま駿と一緒に帰るはずなのに……)


 そう奏斗が疑問を募らせていると、廊下でも二人の会話が終わり、駿はどこかへと向かっていく。そのタイミングで奏斗は教室を出て、再び詩葉のもとへ行く。


「詩葉」


「うわっ、カナ君!? 急にいなくなったと思ったら急に現れて……神出鬼没だね!?」


「お前、昨日アイツに一緒に帰ろうって誘われてたのか?」


「あぁ、うん。中庭でカナ君のこと待ってるときに……」


 それがどうかしたの? と詩葉が小首を傾げるので、逆に奏斗が不思議そうな表情を作る。


「え、じゃあ何で一緒に帰らなかったんだよ……?」


「な、何でってカナ君待ってたんだよぉ! カナ君置いて帰れないよ」


「いや、ぜんっぜん置いて帰ってもらって構わなかったんだがっ!?」

(――そうしてもらわないと、主人公が詩葉ルートに入れないからさ!?)


「何でそんなこと言うの……? 私は……カナ君と一緒に帰りたい、よ?」


「可っ――(愛い、がッ! その可愛い姿を主人公にも見せろよっ!?)」


 そんな奏斗の心中など知るわけもなく、詩葉はやけに自分が遠ざけられている感じがして、薄っすらと目蓋を下ろして半目を作り、奏斗をジトッと見詰める。


「それとも何? カナ君は私に帰ってほしかったの? ……ああ、そういうこと。確かに昨日、綾瀬茜ちゃんっていう物凄い可愛い子と一緒にいたもんね? 私がいたら邪魔だよね。あはは、ごめんね気配りできなくて。そうだよね、私みたいな幼馴染に周りをうろちょろされたら迷惑だもんね。カナ君だって年頃の男の子だもん仕方ないよね。私なんかよりもっと女の魅力がある子の方が良いよね――」


「――す、ストップ、ストォオオオップ! なんか変なスイッチ入っちゃってるからねッ!? 一旦落ち着こうか!?」


 こんな属性GGの詩葉にあったか? と奏斗は疑問に思いつつも、取り敢えず今は詩葉を落ち着かせようと専念するのだった――――

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