第33話 君と向き合って②
家を出た奏斗は道路を挟んだ向かい側にある詩葉の家に走っていった。玄関の扉を引っ張ってみたら、すぐに奏斗が来ることを予期してか、鍵が開けられていた。
「詩葉~、来たぞ~」
家に入った奏斗はきちんと玄関の鍵を閉めて、靴を脱ぎながら詩葉に呼びかけるが、返事はない。
(もう部屋で休んでるのかな……?)
そう思って奏斗は、二階にある詩葉の部屋に行こうと階段に一歩足を乗せた。そんなとき、リビングとは反対側にある横開きの扉が半分ほど開けられたので、立ち止まって視線を向けてみる。
すると、湿気た熱気を廊下に逃がしながら、白いバスタオルを胸の上あたりで身体に巻いた詩葉が扉の隙間から顔を覗かせていた。その表情が赤らんでいるのは、今さっきまでお風呂に入っていたせいか、それとも恥ずかしいからか……その理由は奏斗には判断できなかったが、取り敢えず直視出来ない格好だったので、目のやり場に困りながら言う。
「お、お前なぁ……なんて格好で人の前に出てきてんだよ……」
「えへへ……カナ君だし、良いかなぁって……」
「まったく……というか、調子はどうなんだ? 風呂入ったりして大丈夫か?」
「うん、今は割と平気……体調悪くなるのにも波があってね。少しマシだったから今のうちにお風呂入っちゃおうって思って……」
「まぁ、大丈夫ならいいんだけど……」
「えっと、それじゃ私着替えるから……カナ君は先に部屋行ってて?」
了解、と短く返事をした奏斗は言われた通り先に階段を上がって詩葉の部屋に向かった。最近はあまり来る機会がなかったが、中に入るとやはり見慣れた家具の配置だった。ただ、今まであまり意識しないようにしていたが、仄かに甘い香りが充満していて、気付けば鼓動が早まっていた。
(い、いかんいかん……変な気を起こすなよ、俺)
頭を横に振って邪念を取り払う奏斗。ふと勉強机の上に視線をやると、そこに一つの写真立てが置かれていることに気付いた。奏斗はフッと口許を緩めて手に取った。
「詩葉の奴、この写真まだ飾ってたのか」
それは、まだ着慣れていない感じの中学校の制服に身を包んだ奏斗と詩葉を並べて撮った写真だった。中学校入学初日に、奏斗と詩葉の母親に撮られたのだ。
奏斗がそんな写真をしばらく見詰めていると、着替え終わった詩葉がガチャッと部屋の扉を開けて入ってきた。すると、奏斗が写真盾を手に持っているのを見て顔を赤くする。
「んもぅ、勝手に見ないでよぉ~」
「いや、見られたくないなら何で飾ってるんだよ」
「さぁ、どうしてだと思う~? カナ君は鈍ちんなので多分わかんないけどねぇ~」
からかうようにそう言った詩葉がクスクスと笑うが、ふと身体から力が抜けたようによろめいた。奏斗は咄嗟に腕を伸ばしてその身体を支える。
「ほら、取り敢えず横になれ」
「あはは、ありがとね……」
奏斗は詩葉の身体を支えながらベッドの傍まで行き、そっと詩葉を寝かせる。額に汗が滲み、顔色も悪くなってきている。明らかに先程までより体調が悪くなっていた。しかし、ヴァンパイア化して血を吸える状態になるまでは、奏斗にはどうすることも出来ない。
「詩葉、何かして欲しいこととかあるか?」
「う、うぅん……そうだなぁ……」
詩葉はベッドに仰向けに寝た状態で天井を見詰めながら少し考える。そして、上手く力が入らずとろんとした笑みを浮かべながら、僅かに奏斗の方へ首を傾けた。
「ちょっと寝るから、傍にいて欲しいな……」
「そういうことなら、お安い御用だ」
「えへへ……」
掛け布団の隙間から詩葉がそっと片手を出してきたので、奏斗はその意図を察して手を握る。詩葉の手が少し冷たく感じたので、体温は奏斗より低くなっているということだ。そんなことは出来ないとわかっていながらも、奏斗は詩葉が眠りにつくまで、自分の体温を分け与えるように手を優しく握り続けた――――
◇◆◇
「うっ、うぅ……!!」
突如聞こえてきたそんな詩葉の悶え声に、いつの間にか眠ってしまっていた奏斗が目を覚ます。部屋の中は真っ暗で、既に夜になっていることがわかる。暗闇の中、窓から淡く差し込んでくる月明かりを頼りに、奏斗は慌ててベッドに横たわる詩葉の姿を確認する。
「詩葉、大丈夫か!?」
「か、カナ君……!」
奏斗は時間を確認しようと部屋を見渡すが暗くて時計が良く見えない。部屋の照明のスイッチは扉の近くにあるので、そこまで行くくらいなら自分のスマホで確認した方が早いと判断し、ポケットからスマホを取り出す。画面を開くと、午後十一時五十九分。
(ヴァンパイア化が始まるっ!)
そう思った瞬間、目の前で詩葉の髪の色が根元から変色し始めた。亜麻色の髪は徐々に色を薄めていき、やがて淡い月光を乱反射して煌めく銀色の髪となる。そして、苦しそうに開かれた目蓋の下からはいつのも灰色の瞳とは似ても似つかない、爛々と輝く深紅の瞳が現れた。
「身体、起こせるか?」
「うん……!」
奏斗に背中を支えられて、詩葉はゆっくりと上体を起こした。そして、鋭い犬歯が覗く口から荒い息を吐き、激しい吸血衝動と必死に戦っている。
「よし、じゃあさっさと済ませよう」
奏斗はベッドに腰を下ろして、自分の首元を詩葉に晒す。先月は茜に見られていて恥ずかしかったせいでなかなか噛み付くのを渋っていた詩葉だったが、今ここには二人以外に誰もいない。ゴクリと喉を鳴らした詩葉が、ゆっくりと奏斗の首筋に口を持っていき、一度唇をつけてから牙を立てた。
「……っ」
ピリッと走る鋭くも甘美な痺れに、奏斗は僅かに眉を動かす。そして、しばらく詩葉に血液を吸われるままになっていた。そして、数分後――――
「お、お前さ……俺を殺す気か……!」
「ご、ゴメン……つい吸い過ぎちゃって……」
今度は奏斗がベッドに仰向けで横たわる番になっていた。詩葉が心配そうに、そして少し申し訳なさそうに奏斗の顔を覗き込む。
(うぅ……詩葉ときちんと話そうと思ってたのに、頭がボーっとする……)
「か、カナ君大丈夫……?」
「あぁ、何とか。けど、ちょっと休ませてくれ……」
「え、えっと、それは良いけど……」
ヴァンパイア化して奏斗の血を貰ったことで吸血衝動も収まり、体調も回復した詩葉は、改めて今の状況について考えてみる。そして、夜中に一つ屋根の下で二人きり――それも、奏斗が自分のベッドに横たわっているというシチュエーションであることに気付く。
(こ、これって、もしかしてそういう――って違う違うよぉ! カナ君はただ私の看病に来てくれただけで、べっ、別にこのあとに何かあるワケじゃ……)
別に何かを期待してるわけじゃないもん、と詩葉がカァっと顔を赤らめながら、自分を何とか騙そうとしていると、奏斗がボソボソと言ってきた。
「詩葉……」
「な、何?」
「ちょっと休んだら……俺、お前と……」
「え? か、カナ君!? な、何?」
そこから先の言葉が続けられることはなく、奏斗は目蓋を閉じたまま「うぅ……」と唸るばかり。詩葉はどんどん自分の鼓動が加速していくのを止められずにいた。
(『俺、お前と』何っ!? で、でもこんな状況で考えられることって……!)
このあと奏斗の体調が回復するまで、詩葉は頭の中をピンク色に染め上げていた――――
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