最終章~真のハッピーエンド編~

第一節:計画に打つ終止符

第31話 本当の幸せ

「本当に送って行かなくて大丈夫か?」


 完全に日が落ちて住宅街は夜になっていた。街灯や各住宅から漏れ出す明かりがあるにしても、夜道を女子一人で帰らせるのはいかがなものかと思った奏斗が、玄関で靴を履き替える茜にそう尋ねる。そんな奏斗に振り返った茜が腰に手を当てて半目で睨んできた。


「あのねぇ、私がただのか弱い女の子じゃないことくらい知ってるでしょ? 夜道を一人で帰るくらい平気よ」


 そんな言葉を受けて、奏斗の脳裏に茜の鋭い攻撃の数々が過り、思わず苦笑いを浮かべてしまう。仮に暴漢が襲ってきたりしても何の問題もないだろう。あっという間に返り討ちだ。


「(まぁ、こんな私でも女の子扱いしてくれるのは悪い気分じゃないけど……)」


「ん、何?」


「なっ、何でもない!」


 妙に顔を赤くした茜が、奏斗から目を背けるように身を翻した。そして、「じゃ、おやすみ!」と一方的に別れを告げると玄関から出て行ってしまった。


(な、何なんだ……?)


 奏斗はよくわからなさそうに後ろ頭を掻きながら二階の自室へと戻るために階段を上がって良く。


(でも、確かにわからないことだらけだ……今まで皆のことを完全に理解しているつもりでいたけど、そんなのあくまで字面の情報でしかない。一個人として、俺は茜のことも桜花先輩や紅葉、駿……そして詩葉のことさえよくわかってない)


 そう改めてこれまでの自分の愚かさを反省しながら自室の扉を開けると、勉強会が解散になってもまだ帰っていない詩葉が奏斗のベッドに腰掛けてクッションを胸に抱き抱えていた。それを見た奏斗がジト目を向けて呆れたように言う。


「茜は帰ったぞ~。お前もいつまでも残ってないで早く帰ったらどうだ?」


「えぇ~、勉強しすぎて疲れちゃったからもう一歩も動けないよぉ……」


 そう答えながら、詩葉はゴロンとベッドに横たわる。こんなのはもう見慣れた光景なはずなのに、よくよく考えてみると自分のベッドに好きな相手が寝転んでいるというのは中々に男心をくすぐる状況だ。

 これまで特に気にしていなかった――というより、気にしないようにしていた奏斗であったが、今は違う。胸の中でドクドクと鼓動が早まっていくのがわかる。


 奏斗は咳払いを一つ挟み、平静を保つよう心掛けながら横たわる詩葉の隣にそっと腰を下ろす。


「お前さぁ、もう子供じゃないんだからあんまり無防備にするなよ……」


「えぇ、そんなことないもん」


 奏斗が横目に詩葉を見ると、制服のスカートが太腿辺りまで捲れ上がっており、その白くてしなやかなおみ足が惜しげもなく晒されている。クッションを抱き締める姿も天使のように愛らしかった。


「いや、これを無防備と言わずして何とするんだよ」


「……無防備なのはカナ君の前だけだもん」


「お、お前さぁ……いくら幼馴染だからって、俺も男なんだが……」


「(だからやってるのに、何でわからないかなぁ……)」


 奏斗に聞こえない声量でボソッとそう呟いた詩葉が、ため息混じりにゆっくりと上体を持ち上げた。そして、口に出来ない不満を拳に込めて奏斗の脇腹をポフッと突く。ほとんど痛みはないが、奏斗の口から「ぐはっ」とわざとらしい台詞が零れた。


 詩葉の気持ちが、これまで自分が色々と手を掛けてきたせいで生じてしまった依存なのか、それとも別の感情なのか。その判断がつかずに黙り込む奏斗。

 自分の気持ちをたった一言で伝えられるはずなのに、どうしてもあと一歩勇気が出なくて尻込みしてしまう詩葉。

 そんな二人の間にどこか居たたまれない沈黙が流れる。


「……じゃ、私そろそろ帰るね」


 そう言って立ち上がった詩葉が、学園のカバンを持って奏斗の部屋のドアのノブに手を掛ける。


「――詩葉!」


 半ば衝動に駆られるように呼び止めた奏斗に、詩葉が不思議そうな表情を浮かべて振り返る。ベッドから腰を上げた奏斗が、視線を右往左往させながらなんとか言葉を紡いで尋ねた。


「えっと、急に何でこんなこと聞くんだって思われるかもしれないけど……詩葉にとって幸せって、何だ……?」


「幸せ?」


「ああ……」


 詩葉はうぅん、と唸りながら目線を斜め上にやる。そして、しばらく考え込んだあとで気恥ずかしそうに笑って答えた。


「私はこうしてカナ君と一緒にいられたら、充分過ぎるくらい幸せかな……な、なぁんて。えへへ……」


 そして、自分で言ったことの恥ずかしさに耐えられなかったのか、「じゃあねっ!」と言葉を残した詩葉が、顔を真っ赤にして逃げ出すように奏斗の部屋から出て行った。あとに残された奏斗は、静まり返った部屋の中で自分の鼓動の音だけがけたたましく鳴っているのを聞きながら、力を失ったように数歩後退りし、ベッドに倒れ込んだ。


「……可愛すぎて死ぬ」


 奏斗はクッションに顔を埋めながら考えた。


 もし詩葉が自分と一緒にいることを幸せだと感じてくれるなら、奏斗としてもこれ以上ない幸福だ。しかし、詩葉が自分に執着するようになった原因を作ったのも自分であるという自覚が、奏斗にはあった。だから、そんな自分が詩葉の隣にいて良いのだろうかと不安に思ってしまう。


(もしかしたら俺は、自分自身の手で詩葉を幸せにする自信がなかったから、シナリオで既に確定したハッピーエンドに固執していたのかもしれないな……)


 しかし、もうそんな言い訳はしないと決めたのだ。詩葉を幸せにするという免罪符を掲げて、結局自分の力で幸せにするのを放棄することはもうしない。だから、誠意を持って向かい合うことに決めた。


(俺の秘密を、これまで俺がやって来たことを全部打ち明けて……それでもまだ詩葉が俺と一緒にいることを望んでくれるのなら――)


 すべて打ち明けたら詩葉はどんな反応をするのだろうか。たとえ怒って、泣いて、自分が拒絶させることになったとしても、奏斗はそれを受け止める責任がある。でも、そんなことを想像したらすごく怖かった。


 奏斗がクッションをギュッと力強く握るのは、恐怖を押し殺すためか、勇気を振り絞るためか……はたまた、そのどちらものためか。


 そのクッションには、まだ仄かに詩葉の匂いが残っていた――――

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