第39話 一日目終了

 その瞬間、この場にいた皆が心胆から凍てつくような感覚を覚え、呼吸を止める。


 詩葉が振り返った瞬間に、爪先が斜面にはみ出たのだ。いつもなら少しビックリしながらも踏み出した足を引き戻せたかもしれないが、疲労しきった足は上手く言うことを聞かない。


 詩葉の身体が重力に従って傾く。斜面は急で、転がり落ちたら怪我は避けられない。打ちどころが悪ければ……なんていう想像をしかけた奏斗だったが、そうはさせないと身体を動かした。


(下から登ってたんじゃ間に合わない……!)


 奏斗は咄嗟にそう判断して、茜に視線を向ける。


「茜ッ!!」


「任せなさいっ!」


 用件は言わなかった。しかし、茜は奏斗の考えを察して、脚を置きく開き腰を落とす。低重心で踏ん張りの利く姿勢になってから、両手を組んだ。奏斗はそんな茜の方へ走っていき、茜の組まれた両手を右足で飛び乗るように踏みしめた。


「はぁあああああッ!!」


 茜が声を上げながら、力の釣り合いと重心移動、そして腕力で俺の身体を山の斜面の方へ投げ飛ばす。同時に奏斗は茜の手を踏ん張って蹴り出したので、二人の力が狂いのないタイミングで合わさり、決して一人では成し得ない跳躍を可能にした。


 空中に放り出されたような格好になっている詩葉に、奏斗が迫る。手を伸ばし、その身体を強く抱き抱えた。


「カナ君……っ!」


「問題ない」


 詩葉の不安を消し去るように、奏斗が言い切った。


 詩葉を右腕で抱き抱えたまま、両足を急斜面に付ける。しかし、踏ん張りの利かない足場のため、ザザザァと滑り落ちていく。が、それで充分だった。落ちる勢いを少しでも殺すことが出来れば――――


「よっ!」


 奏斗が左手を伸ばし、斜面に生えていた木の幹をしっかりと掴んだ。完全にその場で停止することに成功する。それから、慎重に斜面に尻をつくようにして、ゆっくりと下まで降りていった。


「ふぅ……怪我はないか、詩葉?」


「う、うん……ありがとうカナ君……!」


 既にしっかりとした足場に立っているが、まだ落ちたときの恐怖が残っている詩葉は、奏斗の胸に顔を埋めるようにして抱き付いたままだ。奏斗としては皆に見られる中でかなり恥ずかしい状況だが、詩葉を安心させられるならと頭にポンと手を置いた。


(もっと気をつけないとダメだろ、って説教は今はやめとこう……)


「詩葉ちゃん! 大丈夫っ!?」

「どうなったのっ!?」


 斜面の上から詩葉と同じ班の女子らが、顔を真っ青にして見下ろしてきていた。茜が腰に手を当てたまま、肩を竦めて答える。


「大丈夫よ。詩葉ちゃんは無事。だから貴方達は先に行ってなさい。詩葉ちゃんは私達の班に任せて」


 どちらにしろ高低差のあるこの場での合流は無理だ。そう判断した茜の言う通りに、斜面の上で了解の意思を伝えてきた班は先に進んで行った。


「詩葉、歩けるか?」


 奏斗が優しく尋ねると、詩葉は一度小さく頭を縦に振ってから上目で見上げてきた。


「カナ君と一緒なら……」


「ああ、一緒だ」


 とにかくゴールまで行かなければこのオリエンテーリングは終わらない。皆で顔を見合わせて頷き合ってから、歩き出した。ゴールに着くまで、詩葉は終始奏斗の服の裾を摘まんだまま、傍を離れることはなかった――――



◇◆◇



 ジュゥウウウ――と炭火が肉や野菜を焼く音が聞こえる。一日目の夜のイベント、バーベキューである。


 各班ごとにバーベキューセットと決められた食材が配られており、敷地内の好きなところで食べて良いことになっている。今、奏斗らの班は詩葉が所属する二組の班と場所を一緒にして夕食を取っていた。


「んにゃ~、それにしても凄かったよね! 茜と桐谷君の連携!」


 そう話を切り出すのは、猫耳のような癖毛をぴょこぴょこさせる真紀だ。そんな真紀に呼応するように二組の班の女子二人も「あれ凄かったよね!」「何かビュンって飛んでなかった!?」と興奮気味に話し出す。


 その当人である奏斗と茜は微妙にぎこちない笑みを浮かべていた。


「ま、まぁ、あのときは必死だったから……なぁ?」


 奏斗が同意を求め、茜も頷く。


「え、ええ……たまたま上手くいっただけよ」


 嘘である。

 あのとき二人の視線が合った瞬間、迷いなく出来ると確信していた。一度拳を交えて互いの呼吸を覚えていたからこそ、連携によって自身の持ちうる力を昇華させることが出来たのだ。


「にゃっはは。やっぱり茜と桐谷君って相性バッチリって言うかぁ~」


 ニヤァ、と真紀が口角を上げる。鋭い八重歯が姿を見せた。


「お似合い? みたいにゃ? にゃっははは~!!」


「ちょ――変なこと言わないでよね真紀っ!」


 茜が髪の色に負けず劣らず顔を真っ赤にして、真紀に掴みかかろうとする。真紀はパクッと手に持っていた串焼きの肉を頬張ると、皆が食べている周りを回るようにして逃げる。それを追い掛ける茜。


「(ちょっと詩葉ちゃん! このままじゃライバルに愛しのカナ君を取られちゃうよ!)」


 そんな様子をどこか拗ねたような視線で見ていた詩葉の耳元で、班の女子がそう囁く。そんな言葉に背中を押されたように頷くと、網の上で焼かれていたニンジンを箸で掴み、手元の皿で少しタレをつけた。


 そして――――


「んもぅ、カナ君ってばお肉ばっかりじゃなくて野菜も食べなくちゃダメだよ? はい……あ、あぁ~ん」


「う、詩葉……!?」


 詩葉が恥じらいながらも奏斗の口元へニンジンを差し出す。流石に恥ずかしい奏斗は顔を赤くするが、詩葉は構わずニンジンを掴んだ箸をこちらに向けたままだった。


「は、早く食べてよぉ……」


「お、おう……」


 奏斗は鼓動を加速させながらも、ゆっくりと口を開き、差し出されたニンジンを食べた。加熱されたことによって増したニンジンの甘みとタレの旨味が口に広がる。

 しかし、今にも顔から火が吹き出そうで味を感じているどころではなかった。今の奏斗の顔に肉をくっ付けたら、ジュッと音がしそうだ。


 同時に周りから――主に詩葉の班の女子だが――はやし立てるような声が上がる。


 既に茜に捕まっていた真紀が、そんな光景を眺めて、再びニヤリ。


「にゃはぁ~。コレは茜もうかうかしてられませんにゃぁ~?」


「うるさいっ!!」


「みゃぁあああああっ!?」


 茜のヘッドロックが、今にも真紀を絞め落としそうだった――――

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