第3話 それもひとつの ②
それを忘れようとしたこともないし、無関心でいようと思ったこともない。
辛いから忘れるとか、悲しいから考えない、というのは、何か違うと思う。
私にとって、それは一種の礼儀作法のようなものなのかもしれない。歪で、無作法で、無思慮なのかもしれないけど。
それもひとつの——私にかけられた、呪いなのかもしれないのだ。
千倉大学は、県内の国立大学の中では中堅どころの大学だ。
そこそこの広さのキャンパスには、それなりの学生が居て、全国にある大学の平均的な学力と敷地面積と学生数を誇っているのだろう。
そんな下らない妄想をしてしまう程度には、私のイメージしている大学の姿と殆ど変わらなかった。
大学での過ごし方と言えば、殆どの授業を合わせた塚本と行動を共にすることが自然と多くなった。
一週間、大学生活を過ごした感想としては、まぁこんなものか、という特筆するような事もないものであった。
「なぁ小山内、サークルとか考えてる?」
出会って一ヶ月と経っていないのに、いつの間にか塚本が隣にいるのが当たり前になっている。
それをくすぐったく感じる時もあれば、妙な安心感を覚える時もある。
「サークル?うーん、バイトもあるし、今のところはなぁ」
興味が無いわけではないけど、正直言うとサークルに参加する暇があればバイトで生活基盤をより盤石にしたいと言うのが本音だ。
目の前で学食の坦々麺を食べている塚本は、恐らく私がなんとなく経済的に厳しい状況にあると気付いているのだろう。
それ以上深く訊くことは無かった。
「午後からアタシはバイトだけどさ、小山内は?」
車の免許を取るまで塚本は短期バイトで凌ぐらしい。そういう話をこないだしたので、今日のバイトも単発のものなのだろう。
私といえば、まだバイトは決まらずにいた。一応、幾つか目星はつけているけど。
という訳で、今日は講義が終わればやることはないのだけど、あらためて訊かれるとボンヤリと家の近くを散歩でもしてみる気になった。
「んー、少し探索がてら家の辺りを散歩するかな。まだ引っ越してきて近くに何あるのか知らないし」
なんてことを言ってしまった手前、多少外に出るのが億劫になってしまったが、塚本に嘘をついたようで嫌なので帰宅した私は渋々家の周りを散歩することにした。
「こっちの方、高台になってるんだ」
いつも使う駅前の方とは反対方向に向かって歩くと、直ぐに坂道にぶつかった。
道の脇に建てられた邸宅は、どれもこれも高級そうな住宅が広がっている。ある程度の街になると山の手は高級住宅街になると聞いていたが、その通りのようだ。
少し歩くと、実に立派な庭園が見える。古庭と評しても良い、古めかしい庭だったが、一眼で手入れがされていると分かるほどに、洗練された趣がある。
牡丹に菖蒲、木瓜何かが控えめに咲いていて、一面彩どりの花で溢れかえっている、という訳ではないところに、なんというか、優雅さを感じることができる。
庭の真正面の道路には、まるでこの庭を眺める為かのようにバス停のベンチが置かれていて、休憩がてら座る。
更に都合良くベンチ横には自販機があるので、温かいコーヒーを飲みながら一息ついていると、庭の出入口である小さな門扉から、見知った人物が出てくるのが見えた。
椎本さんだ。もう一人一緒にいるが、椎本さんとはかなり親しげなようで、どんな話をしているのか、私にも気付かないほどに笑顔でお喋りをしている。
声を掛けるべきか——と、悩んだが、私の逡巡は意味を為さず、椎本さんが私に気づいて、少し驚きながらも駆け寄ってきた。
「小山内さん?こんなところで珍しいね」
「家の周りを探索がてら、散歩をしてたの。ところで、そちらは?」
椎本さんの後ろにいる人物は、どうやらいいところのお嬢さんのようだ。一見しただけでも、彼女の仕草や振る舞いに、品を感じる。
多分庭の奥にある洋館の住人なのだろう。
「江月だよ。ほら、柊のもう一人のお姉ちゃん」
ああ——。
と、得心がいく。しばしば話題に上っていた江月若菜さんか。
小首を傾げるように私達の話を聞いていた江月さんは、一歩前に出た。本当に同い年なのだろうか、そんな疑問を抱いてしまいそうな程に、彼女はどこか大人びている。
「椎本から聞いてるよ。隣に越して来たんだってね。私は江月若菜、よろしくね」
「柊ちゃんと塚本が良く話してるのを聞いてます」
二人の名前を出すと、江月さんは目を細めて少し笑う。浮かべた笑みが、驚く程に可憐だった。
少しドキッとして、同い年とは思えない色っぽさの理由を知りたくなったが、その立ち居振る舞いとか仕草に現れているように、育った環境の違いなんだろうな、と勝手に決めつけて訊くのをやめる。
「丁度私も帰るところだったんだよ。小山内さん、一緒にどう?」
なに卑屈になってんだ、私。
私の生まれ育った環境との違いを見せつけられているようで、嫌な考えが浮かんでしまう。
「そうだね。じゃあ、一緒に帰ろうか」
そんな時、椎本さんの柔らかな声は安心する。彼女もまた、私と同じように辛い過去があったのだろうから、勝手な仲間意識がそうさせているのかもしれない。
江月さんと別れて、椎本さんと二人で帰路につく。
そういえば、椎本さんと二人きりなのは初めてなのかも知れない。
そういうことを意識したのと、先程感じた一方的な仲間意識が、私を少し大胆にさせているような気がする。
そうでも思わないと、たった今口から出かかっている質問は、ただの無遠慮な言葉でしかならないからだ。
「そういえば、椎本さんの部屋にあった仏壇……、あれお母さんの?」
「うん、そうだよ。もう四年前かな、高校に上がる前に亡くなってね、柊と暮らすまでは一人暮らしだったんだよ」
そういえば、もう一人暮らしより二人暮らしの方が長くなったなぁ。
と、思い出したように付け足す椎本さんは、大切な人が亡くなったというのに、そのことをもう乗り越えたかのように、何でもない表情だ。
だからこそ、訊きたくなった。
「こんなこと、訊くのは少し失礼かもしれないけど……。今でも、思い出すの?」
「母さんのこと?そうだね、昔は毎日のように思い出してたと思う。でも、母さんは多分いつまでもウジウジしてたら逆に叱るような人だったからなぁ、今じゃ本当にたまに、って感じかな?」
それは——、同じだ。
同じで、私と違う。
私達のアパートが見えて来た。ここは、もう私の居場所だというのに、椎本さんの言葉が、それを酷く曖昧なものにさせた。
「でも、それって——」
「え?」
危うく口を滑らせかけたが、僅かに残った理性が、それを押しとどめる。
「ううん、ごめん。何でもない。じゃあ、また明日」
逃げるように部屋へと駆け込んだ私の姿は、無様だっただろう。
それでも、あのままあの場所に留まっていたら、椎本さんを否定するところだった。
恨むこと、憎むこと。
亡くなった人に対して抱くような感情では無いのかも知れないし、それこそ筋違いだと誰から見ても思うだろう。
優里だって、椎本さんのお母さんと同じで、いつまでも囚われている私を叱り飛ばすか、笑い飛ばすだろう。
それでも、私を置いて一人逝ってしまった優里を、今でもまだ恨むのは、憎むのは。
故人を想い、哀しんだりするのと同じように、私にとって、それもひとつの弔いに他ならないのだ。
優里を決して忘れない。
その為に必要な感情だというのなら、楔だというのなら。
私はその弔いを、やめるつもりは無かった。
それもひとつの——。
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