第14話 君が忘却を拒むのなら ①
疵の無い物を美しいと思えるのなら、無、というのが究極の美といえるのだろうか。
複雑さの中にある機能的な部分に美を感じるのなら、過剰な程の粗雑さを虚飾と呼んでもどうせ誰も文句は言うまい。
その癖、アタシは複雑さを好む。
弛まぬ糸に、余裕さを感じられる程、アタシはアタシを愛せていないのだ。
心臓から伸びる銀の糸は、臓腑の全てを凝縮したようにアタシの全てとは思えないのに、そこに恰も全てが詰まっているかのような素振りで、何かを紡ぐ。
糸を、手繰り寄せる。ほんの少し、手に力を入れただけで、暴れるように心臓が鼓動を早めていく。
その度に、アタシはそれの正体を掴むことを諦めていた。
それを無駄だと、断定していたから。
「うぃーっす。今日も寒ぃな……」
冬休みが明け、大学一年生もあとは期末の試験を残すのみとなった、一月下旬。
口元までマフラーで包んだ江月を見かけたので肩を叩いてそんな挨拶を交わす。
珍しく椎本の姿は見えない。
「おはよ。あれ、塚本って月曜日の朝から講義入れてたっけ?」
「あー……いや、ちょっと図書館にな。課題の調べ物があるんだよ」
そんな面倒な講義取ってたっけ?と、江月は訝しげな視線をアタシに送る。
それを言うなら、いつも一緒にいるはずの椎本の姿が見えないことの方を訊きたいくらいだ。
アタシのそんな考えを感じたのか、少し言い淀んだように、マフラーで口元を隠しながら江月は喋り始めた。
「まー、久しぶりにね、少し喧嘩したんだよ」
そりゃ珍しい。
と、暢気な感想をそのまま口に出す。
実際他人事だし、それを差し引いても、普段の江月と椎本の様子を見ていると、喧嘩といっても少し言い合いした位で大したことはないだろう、と思っていたのだ。
「なんかそんな反応されると、相談したくなくなるな」
「いや実際、大したことじゃないだろ?」
そんな突き放した態度で返事をする。我ながら友達甲斐の無い奴だな、とは思う。
「で、原因は?一応聞いてやるよ」
「何、その態度?そっちは相談も無しに勝手に別れてた癖に」
と、文脈こそ繋がらないが、何となく言いたい内容の分かる愚痴をブツブツと呟きながらも、キャンパスのベンチに座り込んだ。
何だか長くなりそうだ、あとベンチが少し凍っていて冷たい。
構内の自販機で買った缶コーヒーを飲み終わる頃に江月の愚痴が終わったということは、たっぷり15分ほど、彼女の話を聞いていたということなのだろう。
とは言っても、喧嘩の理由は些細且つ単純そのものであった。何というか、いつかの椎本の大学進学を巡って言い争った喧嘩を彷彿とさせるような内容だ。
要約すると、車の免許を取得しようとした江月だったが、意外と抜けている所のある江月を心配して「私が免許取るから江月は助手席に乗っててよ」という発言が喧嘩のきっかけらしい。
江月は江月で、椎本が運転に向いていないと思っているらしく反論したとのことだ。
まぁ、この二人にとっては、数年に一度の喧嘩が丁度良い塩梅のイベントなのだろう。そうでなくては年柄年中イチャイチャしていて飽きないものかと、アタシが思うくらいだ。
「椎本も江月も、お互い想い合ってる癖に、お互いを縛り過ぎなんだよ。少しくらい、相手の自由にさせてもいいんじゃねーの?」
「いやいや、束縛なんかしてないよ。ただ心配なだけでさ」
「それが束縛なんだよな……」
こんな下らない言い争いに巻き込まれたであろう柊の事を考えると、少しばかり不憫に感じてしまう。
明日辺り、受験勉強の差し入れついでに甘い物でも買って行ってやるか、と考えていると、アタシの鼻の頭に冷たい水滴が落ちてきた。
「ん、雨か?」
とは言っても、疎に降るその雨に煩わしさは無く、肌に落ちなければ雨が降っていることすら気が付かない程度のものだ。
「あ、そろそろ講義始まっちゃう。じゃ、またね」
「おう」
と、アタシは早歩きで講義室へ向かう江月を見送ってから、図書館へと向かう。
「束縛、ねぇ……」
アタシは果たして。
小山内のことを束縛するくらい、愛していたのだろうか。
むしろ、アタシはその逆だった。
愛することの証左が束縛へと誘惑だというのなら、小山内を縛り付けている何かから解放してやりたいと思っていたアタシの感情もまた、愛とは真逆のものだったのでは無いだろうか。
県内では、そこそこの広さを誇る大学の図書館には、学生だけではなく近所の人達も利用する為か、平日の朝だというのに人の姿は疎にあった。
どうやら日刊新聞は縮刷版で保管されているらしい。目当ての年の新聞の縮刷版を取りだして、慎重に一枚一枚捲っていく。
「……」
目当ての記事は、あった。
「自分の胸に包丁を突き刺す……か」
峯蓮村という名前に注目して探して出てきた記事は、小さな扱いだった。自殺で事件性が無いというのに小さいとは言え全国紙に取り扱われているのは、その自殺方法が特殊だったからだろう。
死因は失血死だという。要するに、痛みと苦しみを和らげる死が迎えに来るまで、相当な時間があったという訳だ。
普通、自殺の方法として苦しみの伴う方法は選択されない。自殺の目的が今の人生からの逃避では無いとするのなら、こんなにも苦しく辛い方法を選択した優里さんの死に様は、何というか、一つの意味を含んでいる様な気がした。
「贖罪……?」
だが、そこには何か誇りを守る様な、武士の切腹にも似た矜持すら見え隠れする。
「………」
新聞を遡っていく手は止まらない。峯蓮村は、東北地方の山間にある寒村だ。排他的な因習が根付いていて、文明社会の悉くと折り合いのつけられらなかった古い遺物のような村である。
昭和の終わりだというのに、座敷牢に障がいのある子供を隠匿して、それが明るみに出たというおよそ現代とは思えない事件もあった様だ。
近年でも一家全員が焼け死ぬ失火事件もあったらしいし、戦後戦前の辺りまで遡れば、次男ということで結婚することも村の外へ出ることも許されず、長男の下男の様に扱われてきた男が、自身の親族十五人を殺害したという凄惨なものまである。
土地的に、そういう場所なのかもしれない。
「そういう、場所で生まれ育ったんだな……アイツは」
別れを告げた今でも、アタシは小山内を縛る何かから解放してやりたいと思っていた。
そう。
最初は、彼女を愛すれば、それが達成出来るのだと、単純に考えていたのだ。
だが、それは違った。
愛だとか恋だとか。そんな感情的な事では何一つ解決しないのだと、気付いた。
何のために、そんなに頑張るのか。何故そこまで、小山内の為に動いているのか。
誰かがそんな疑問を投げかける。ソイツの正体はきっと、理性とか常識とかそういうものだろう。
だからアタシは答える。
「一番じゃなくっても、愛されなくてもさ。アタシはきっと、小山内に惚れてんだよな」
半年近く、小山内と付き合って分かったことは、そんな単純な事実一つのみであった。
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