第14話 君が忘却を拒むのなら ②

 二年に、なった。

 何かがあった訳じゃない。大学の春休みが長いせいで、気が付けば四月になっていた、それだけだった。

 髪を染めてみた。最近流行りのインナーカラーで、髪型もショートボブに変えた。

(昔は……こーいうのが、嫌いだったなぁ)

 流行りが、嫌いだった。

 そこに理由はない。ただ、何となく、流行りに乗っかれない自分が嫌いで、流行りに乗っかる人々を下に見ていた。

 少しマイナーなものを好きだと言うことで、自分はこの世界にいる無数の普通の人々とは違うのだと思いたかったのだろう。

 だが、結局は思い知らされてしまった。アタシは、普通の人間なのだと。



「お疲れ様、塚本」

 別れたからと言って、お互い距離を露骨に広げた訳でもない。

 講義が重なれば、自然、近くの席に座るし、椎本や江月の飲み会や晩御飯に招待されれば、二人揃って参加する。

 あの日、アタシは情けない程に、泣いていた。小山内が思わず抱き締めてくれるほど、泣いてしまった。

 別れようと言ったのは、アタシの方だし。悪いのはアタシだ。

 そんなことを分かっていたはずなのに、彼女を救ってやれなかったアタシを、それでも好きなんだ、と認めてしまう自分を、滅茶苦茶に壊したかった。

「椎本ん所の鍋パーティー以来か?」

「えっと——うん、そうだったね。そっか、二週間、か」

 付き合っていた頃は、三日と空かずに顔を合わせていたのにね。

 なんて、そんな言葉が後に続きそうだ。

 或いは、アタシがそんなことを考えていたからなのかもしれないが。

「そういえばさ、バイト仲間と旅行、したんだろ?どうだった?」

「旅行って言っても日帰りだよ。先輩の運転する車でね。楽しかったよ?受験シーズンも終わってようやく羽根伸ばせたからかな」

 と、笑う。

 アタシの中に優里さんを見ていた時、小山内はこんな風に笑ってくれていたのだろうか。

 もしかしたら、単純に、恋人ではなく友人という関係こそが、彼女を助けることが出来る唯一の方法だったのではないだろうか。

(そろそろ五ヶ月も経つっていうのに……アタシは女々しいな。いや、五ヶ月が経ったからこそ、なのかもしれないなぁ)

 少なくとも、それでも、救いなのは。

 こうやって笑えるのなら、彼女の人生にアタシも優里さんも必要ないという、勝手な希望を抱けたことだけだった。



「つかもっちゃん」

 小山内と別れた後、心機一転という訳ではないが、居酒屋でバイトを始めた。

 少しでも騒がしい場所に身を置きたかった、というのが理由だが、本心なんてもう自分でも分かりはしなかった。

 もしかしたら単純に、働くことで何かを忘れようとしていたのかもしれない。

 髭面の大きな体躯でアタシをあだ名で呼んだのは、二つ上の横溝先輩だった。その強面から想像もつかない程にピュアな横溝先輩は、意外と気が合う。

 というよりも、先輩の恋愛相談を揶揄いながら雑談している時間が楽しかった。

 とはいえ、仕事中にわざわざキッチンの方からアタシを呼ぶのは珍しい。空いたジョッキを両手に八つ持ち戻ると、顔を近づけて小さな声で囁く。

「なぁ……アレってどう思うよ?助けに行った方がいいかな、俺」

 と、そのガタイの割に気の小さい先輩が視線を向けたのは、座敷席で騒いでいる大学生の一団だ。

 時期的にもサークルの新歓コンパだろう。品の無い飲み方をしているなー、と思いながら見ていたが、どうやら先輩には気掛かりなことがあるらしい。

「ほら、あの子……。先輩から無理やり飲まされてね?嫌がってるのにさぁ……」

 確かに、よく見ると背の小さい小柄な女の子が、見るからに不機嫌そうな顔で肩に抱きついて来ている男から離れようとしている。

 周りの学生達も悪酔いした男の無理やり飲ませようとする行為を笑ってみているだけだ。いや、当人達もそれを悪いことだとは思っておらず、つまらなさそうにしている新入生を気遣っての行動なのかもしれない。

 それを浮ついた行動でフォローしてしまったのだろう。

「助けた方がいいかもですねー。先輩、その自慢の身体で撃退して来てくださいよ」

「ええ!?俺が?」

「俺が?じゃないですよ。か弱いアタシに行けって?」

「何がか弱いだよ……。ほら、今相良が休憩室にいるだろ?あいつ呼ぶとかさ……」

「いやいや、絶対先輩の方が見た目的にビビりますって」

「お前なぁ……パソコン部で高校の青春を費やした俺のビビりを舐めんなよ?」

 そんな胸を張ることじゃないのに、堂々と言い張る横溝先輩がどこか面白くてアタシは声を上げて笑うと、ジョッキを置いて例の学生の席へと向かう。

「じゃ、アタシが何とかして来ますよ」

「つかもっちゃん……カッケェな」



「お客さーん。あんまりそういう事されると、ウチが炎上しちゃうんでそこまでにしてもらえますか?」

 アタシは十五人ほどで騒いでいる大学生達に向かって、出来るだけ威勢を張って言うと、絡まれていた新入生の襟首を引っ張って引き寄せる。

「えーっと……何か勘違いしてません?俺ら別に無理やら飲ませてたってわけじゃあ……」

「いやいや、どう見たって嫌がる女の子に無理矢理飲ませてたっしょ。アンタらさぁ、こんなに可愛い後輩がサークルに入って来てくれて浮かれる気持ちは分かるけどさ、加減を考えろよな」

 言いながら、学生達を見渡す。反応から見るに、半数が新入生っぽいな。

 で、いきなり殴りかかりそうな輩や泥酔している奴は居なそうだ。

 まぁ警察沙汰にはならなそうだ、と安堵していると、いかにも大学デビューといった感じのチャラそうな茶髪の男がアタシを睨む。

「あのさぁ店員さん、空気読んでよ。こっちは楽しく飲んでんだからさぁ……!!」

 と、どうやらこのサークルはヤンキー気質の新入生も勧誘してしまったらしい。喧嘩腰の口調に、逆に上級生の方がたじろいでしまってる。

「つーか、アンタら千倉大学のスノボサークルだろ?いいのか?警察沙汰になったら困るのはアンタらだぞ?」

 というか、上級生の中の一人は見たことがある。同じ講義を受けたこともあるし、喋り声がデカいので、スノボサークルなのも知っていた。

「関係ないでしょ?アンタにはさぁ……」

 飲み慣れない酒を飲んで気が大きくなっているのか茶髪の新入生はこちらを威嚇するようにわざとらしい大声を出すが、嘆息しか出ない。

 効果が無いことに腹を立てたのか、男はアタシの方に詰め寄ろうとするが、それを慌てて上級生達が止めに入る。

「ほら、会計はあっちな」

 と横溝先輩が不安そうに眺めている場所を指すと、ようやく学生達はスゴスゴと申し訳なさそうに席を立っていく。

 居酒屋だからこういうトラブルは慣れっこだが、やはり疲れる。

 学生達が横溝先輩にビビりながら会計しているのを横目に、ふぅ、と息を吐くと、不機嫌そうな声が側から聞こえて来た。

「あの……いつまで肩を抱いてるんですか?」

「うぉっ……すっかり忘れてた!すまんな、で、お前は大丈夫だったか?」

「別に助けていただかなくても、大丈夫でしたから」

 と、ぶっきら棒に無理やり飲まされていた女性は言った後、睨みつけるように私を見上げた。猫のような吊り目をしている。

「そんな赤ら顔で言っても説得力ねぇよ。相当酔ってるだろ?無理しないで店の奥で休んでろ」

「いえ、一人で帰れます……」

 アタシを突き放すようにして歩き出したが、直ぐにふらついて、座り込んでしまう。

 いきなり動いたから、吐き気がしたのだろう。

「横溝先輩、アイツらは?」

「そそくさと帰って行ったよ。しかし流石つかもっちゃん、漢だったぜ」

 グッ、と親指を立てる横溝先輩に苦笑しつつ、座り込んだ女性の方へ駆け寄ると、余程助けられるのが嫌なのか、再度こちらを睨むが、諦めたように目を伏せた。

「アタシは女ですよー。それより、この子具合悪そうなんで水貰っていいですか?」

「私は……別に……!」

「いーから、ほらあっちで横になってろ!」

 無理やりバックヤードに押し込んでから、水を渡すと、渋々彼女はコップを受け取ってパイプ椅子に腰掛けた。

(……嫌になるな、どうにも)

 誰かに親切にするのは、過去の罪悪感から去来するものだと知っていた筈なのに。

 だからもう、アタシは小山内で最後にしようと決めていたのに。


 こういうことをしてしまう自分が、情けない。

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