いつか君を忘れる日々【完結】
カエデ渚
プロローグ
全て等しく、不幸であるべきだ。
これまで生きてきて、いつしかそう思うようになった。
深々と降る雪の様に、風に靡きながら、揺蕩いながら。
この世界に住まう全ての人間に、罰が降ればいいのに。それこそが、人類の在るべき姿なのではないだろうか。
「悲観主義者だねぇ、
いつだったか、優里はそんな私の考えを笑って一蹴した。
幸福になりたいから人は努力する。幸福を維持したいから人は考える。
どう頑張ったって不幸にしかならないなら、多分人類はとっくに滅亡してたんじゃない?
「
本当、何でそんなに前向きに物事を捉えられるのか。いつも不思議だった。
こんなに閉鎖的な田舎で生まれ育って、どうしてそんな考えに至るのだろうか。
——この村は、人間の悪意の坩堝だ。
下らないことで、他人を疑い、見下し、迫害する。自分を守るためだけに、標的を作っては集団で弾劾を行う。
数年前の高坂一家が焼死した火事だって、きっと誰かが放火したに違いない。村の人々は心の根底でそれを確信しているのに、誰も口には出さない。
誰かに疑いの目を向ければ、今度は自分が標的になるからだ。
果たしてこの村の人間達も、幸福とやらを求めて努力しているのだろうか。
努力していたとして、他人を不幸に落とす為の努力に意味はあるのだろうか。幸不幸で、争いが起きるのなら、最初から等しく皆不幸で在るべきではないだろうか。
「んー……、確かにこの村はすこーし陰湿な人が多いけどさ、でも、木乃香の言う通り幸福と不幸の違いで争いが起きるのならさ、皆等しく不幸より、どうせなら皆幸福の方が良いよね」
……本当に、優里はこの村で生まれ育ってここまで真っ直ぐなんだろう。
私みたいに何故歪まなかったのだろう。
心すら、人間は平等では無いのだろうな。
「優里は、強いよね」
「そうかな?普通だよ」
この村において、それを普通と言えるのは強い証だ。
だからこそ、私は優里に憧れていたし、何より信用できる友人だった。
いつか優里とこの村を出よう。こんな村から抜け出して、私も優里みたいに、この世界を愛してみたい。
そう、思った。優里がいるなら、私はまともな人間になれると、この村の住人達の様な性根の曲がった卑屈で陰湿で残酷な人間から脱却できると。
——本気で、そう思っていた。
◇
悲しい程に、荷物は少なかった。
これまで過ごしてきた人生の重みが、まるでその程度だと否定されているような気分だ。
目の前にある段ボールは三箱。中身は衣服が殆どだ。
殆ど両親に勘当されたようなものだから、ある程度は仕方がないとはいえ、引っ越してきて早々来月の家賃を払える余裕は無かった。
そもそも生活に必要な家電や寝具が殆どない状況だ。
曙荘なんて古風な名前の木造ボロアパートは家賃二万というこの辺りでは破格の家賃なので、私にとっては大変助かる物件だ。だというのに、その二万すらも捻出出来ないのが現状で、実家から出た際に持ち出せた貯金はたったの四万円。
「学費は奨学金で何とかなるけど……問題は生活費だよなぁ」
二週間後には大学の授業が始まるので、兎に角それまでにはバイトを見つけなくてはならない。ここに来る途中の駅で見つけたバイト雑誌を開いて、当面を乗り切る為の短期バイトを探すことにする。
引っ越し初日の、それも部屋に着いて一番最初にする行動では無いのだろうけど。
(——日当がその日の内に手渡しで貰えるようなのがあれば良いんだけどなぁ)
仮に時給がよくても、給与の振込が一ヶ月先とかだと話にならない。今日明日にでも手にしないと、布団すらない状況で非常に厳しい。
と、必死になって雑誌を読み込んでいると、隣の部屋から声が聞こえてきた。
どうやら隣は「姉さん」とか聴こえるから、姉妹の二人暮らしらしい。この狭っ苦しい部屋で二人暮らしということは、お隣さんもなかなかに厳しい暮らしをしているのだろうか。
(んー、隣人の挨拶でもしておくか)
とはいえ、手土産も何も無いけど。
少し迷った挙句、人間不信の空気が蔓延していた村のことを思い出した。
(あの村の住人みたいになりたくないなら、愛想良くしなきゃなぁ)
そんなコトを思って、少し億劫だが挨拶をすることにした。
扉の横には「椎本」と書かれた表札がある。珍しい苗字で読み方が分からなかったが、取り敢えずインターホンを押す。
築六十年近いアパートだけあって、ドアの外からでも中の住人が玄関に向かって歩いてくる足音が聞こえた。
「はい?どなた様?」
可愛らしい少女が出迎えてくれた。銀のような白のような髪色で、肌も同じように透き通っている。
(アルビノってやつかな?)
想像とはかけ離れた姿の住人が出てきたので、数瞬対応が遅れてしまう。
「あ、ええと、本日隣に越してきました
「……あ、それはどうもご丁寧に。姉を呼んできますね」
ペコリ、と頭を下げてから室内にいるらしい姉を呼び出した彼女の手に握られていたのは高等数学Ⅲと書かれた教科書だった。
ということは、高校三年生なのか。彼女には失礼だが、一回り幼く見えてしまった。
奥から出てきたのは射干玉の様な美しい黒髪を持つ女性だった。怜悧な顔立ちで、初対面の印象ではとても賢そうな人だと思ってしまうような雰囲気を持っている。
「隣に引っ越された方ですか?これからよろしくお願いしますね。何か困ったことがあったら頼って下さい。ほら、ウチは二人暮らしだし、友人が遊びに来ることも多いので煩くしてしまうかもしれませんので。あ、申し遅れました、椎本楓といいます」
おお……、なんだか丁寧で物腰の柔らかい人だ。なんとなくだけど、良さそうな人が隣人で良かった。
彼女のお辞儀に合わせて、私も名乗ってから頭を下げる。彼女の妹が、どこか呆れるような視線で姉の楓さんを見ているのが気になるけど。
では、今後ともよろしくお願いします。
と言ってから自分の部屋に戻ろうとしたところの、「では」の部分で突然大きな声がして言葉が止まる。
「よぉ、柊。面白い映画借りてきたぜ」
粗野だが、どこか可憐な声が背後から聞こえてきて思わず振り返る。
「ん?椎本の知り合いか?」
「今日隣に引っ越して来た小山内さん。ごめんなさい、友人が煩くて」
「ふーん。そっか、よろしくな小山内さん」
友人の家の隣人に対して、どうしてそんな表情を向けるのか私には分からないけれど、彼女は当たり前の様に、少年の様な無邪気な笑みを浮かべた。
何故か不思議と、優里を思い出す。
優里の居ない、たった一人の村からの脱走は。
私と塚本朱音と名乗る女性の出会いは。
——こうして、幕を開けた。
その意味すらも、まだ私には理解できぬまま。
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