第19話 青さの残骸 ①

 桐谷雫は、どうやら異性にモテるらしい。

 酒の席で、彼女の恋愛遍歴を聴いていたが、高校の頃から恋人が途切れたことは殆どないらしい。

 その人当たりの良さと持ち前のコミュニケーション能力が、彼女の魅力の半分を占めている様だ。

 もう半分といえば、塾講師を務められる程度にはある知的で生真面目な部分のギャップが魅力の一端なのだろう。

 コミュニケーション能力も、ギャップとやらも、到底私には持ち得ぬ魅力だ。

 そんな彼女が、何故私を。

 雫に絆されたのは間違い無いが、彼女が私に迫って来なければ、私はきっと、

(雫に対して、何も感じる事はなかったのだろうな)

 それを考えると、なんて酷い女なのだろう、私は。

 彼女を好きになったのでは無くて、好いてくれた相手を自身の慰撫に利用しているだけではないか。

 すっかり自己嫌悪が得意になってしまった私は、自己嫌悪どころか自家撞着の域にまで達している気がする。


「でもさー。考えてみると、木乃香が初めてなんだよな」

 雫はワインの注がれたグラスを左右に揺らす。

 結構酔いが回ってるな、と思う。

 雫は酔うとこうやって手近にあるもので、手慰みをする。

(そういうこと分かっちゃうんだな)

 自然と彼女のことを雫と呼んでいることとか、口調も砕けていってるところとか。

 知らず知らずのうちに、私は彼女に心を許してしまっているらしい。

 自慢げに恋愛遍歴を語る雫の横顔に、否が応でも幸福感を感じてしまう自分の浅ましさに嫌気がさす。

「私が初めて——って何が?」

 目についたバーで杯を傾ける私達の目の前には、生ハムが数切れ置いてある。

 それを口に運びながら、私は訊き返す。

「年下の恋人ってのもそうだし、同性の、ってのもね」

「てっきり私は、初めからそういうものかと」

 もし初めて同性を好きになったというのなら、もっとこう、葛藤のようなものがあってもいいと思う。

 それにしては、桐谷はあっけらかんとし過ぎていた。

「そりゃ心外。あ、でもさ。木乃香のこと、好きになったのはマジだよ」

 まるで私を口説くかのように、わざとらしく真剣な表情で私を見る。

「馬鹿」

 と、一言だけ私は照れ隠しに呟くと、ロゼのワインの残りを一気に飲み干した。

 そういう、なんてことない時間こそが、きっと誰もが望む幸福の形なんだろう。




 ふと、思い立ったのは、前日の夜にそんなやりとりがあったからなのだろうか。

 楽しいと思えてしまった。

 この時がずっと続けばいいと思ってしまった。

 部屋にある優里の写る写真立てには、うっすら埃が積もっていた。その埃の厚さが、私の薄情さを表している様な気がして、ようやく私は思い至った。

 優里の命日も近い。両親とは会いたく無いけど、優里の墓参りに行きたい、と。

 行かなければ、ではなく、行きたい、と思ったのが、私の心境の変化を表している様な気がする。

 私にとって、優里はそんなにも軽い存在だっただろうか。

 かつては、私の全てだった。

 それが変質して、醜化して。まるで、私が私足り得る何かを失ってしまったかの様だ。

 それでも、足は動く。

 一方的な懺悔を君に与えて、塗炭の苦しみをあの人に味わわせて。

 それでも尚、厚顔無恥にも幸福を求めることの、その意味を。

 全て等しく、不幸になってしまえ。

 あの子の様に、あの人の様に、私の様に。


 そう願いながら、大きな鞄を背負う私は、ほら、やっぱり。

「相変わらず、悲観主義者のままなんだよね」

 アパートの扉が閉まる。次にこの部屋に戻ってくる時、私は、何を思うのだろう。





 優里の墓の場所は、知らない。

 だけど、集落の外れに集合墓地の様なものがあり、十中八九、峯蓮村の住民はそこに墓を建てる。私の実家も代々そこに弔われていて、粗末な石柱の様なものが疎に点在しているような景色は、まさに田舎の墓地という感じだ。

 集合墓地とはいえ、大した広さは無い。

 少し歩き回れば、すぐに優里の墓は見つかった。思わず笑ってしまうような、彼女に似つかわしくない字面が並んでいて、それが優里の戒名だと分かると、随分と堅苦しい名前を付けられてさぞかし難しい顔をしているのだろうな、と思う。

 峯蓮村は、その空気も、雰囲気も、何もかもが嫌いだった。バスを降りてから、直ぐにでも離れたくなる様な怖気すら感じていた。

 だというのに、優里の墓前だけは、不思議と温かい。心地の良さが、まだあった。

「全然墓参りに来れなくて、ごめんね」

 どうだろうか、今の私の姿を見て、優里は私だと認識できるだろうか。

 髪も染めたし、服だってこの村じゃ浮いてしまう様な、垢抜けたものだ。

「どう?優里の憧れてた、都会の格好。羨ましいでしょ。羨ましいなら、もし、私が妬ましいならさ、今直ぐ生き返ってよ」

 結構無茶苦茶言うよね、木乃香って。

 いつだったか、そんなことを優里に言われたことを思い出す。

 それを思い出して、涙では無く、笑みが溢れてしまうのは、やはり優里は過去の人になってしまった証だ。

「ね、すごい勝手なこと、言っていいかな。私ね、優里のこと、好きだったんだよ。そりゃもう、きっと知ったら優里が引くくらい。それから、君が死んで、私はそれでも、優里を求めた。優里じゃない人に、優里を見つけた。それでも結果的に、私はあの人を傷つけただけだった」

 私は塚本の好意を利用した、その報いすら、まだ受けてもいないというのに。

 それでも赦しを乞うのは、私がそういう人間だからなのだろう。

「あの時、思ったんだ。私はもう、生きてる人の中に優里を見ない。これからずっと、君を弔って、悼み続けて、終わればいいなって。それが最上の幸福だって」

 それでも。

 いや、だというのに。

 私は、君を忘れ去りたいと思った。

 いい思い出にしてしまおうと、思ってしまった。

 墓前の私に、優里はなんと言うのだろう。

 怒っているだろうか、呆れているだろうか。

 それとも、笑ったりしてるんだろうか。




「………小山内?」

 長い間、きっと墓前で座っていた。

 そろそろ、戻ろうかと立ち上がったところで、この場所で聞こえるはずのない、耳朶に馴染んだ声が、私を呼ぶ。

 困惑した様な、どこか、気まずそうな表情の塚本が、そこに立っていた。

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